第44話:決勝 ―不退の刃―
太鼓が鳴り響く。
砂上に立つのは、俺とリュカ。
観客の熱は前の試合から冷める気配がない。
むしろ「またやるんだろチャチャチャ!」みたいな空気が会場全体に満ちている。
(いや、もうネタねぇんだけどな……)
審判の手が上がる。
「第五試合――アーク対リュカ!」
(力寄りな分、まだシアよりはやりやすいが…さて、どう勝つか…)
風が止まり、砂が鳴る。
――が。
「…………降参します!」
俺は思わず耳を疑った。
「「「は?」」」
会場が一瞬静まる。
太鼓も止まる。
審判が間の抜けた声を出した。
「……試合開始前の……降参?」
リュカはうつむいたまま、手を上げて叫ぶ。
「そ、そうだよ!降参!無理!」
観客が一斉に「えええええええええ!!!」 と声を上げる。
「……いや、待て。何もしてねぇぞ?」
リュカは顔を青ざめさせたまま、俺を指差す。
「悪いアーク! いや、アークは悪くねぇけど無理! 無理だわ!」
審判が戸惑いながら手を上げる。
「えー……勝者、アーク!」
歓声が一斉に爆ぜる。
「チャッチャッチャ!チャッチャッチャ!」
(……またそれかよ)
ーーーー控室。
俺が戻ると、負けたリュカは椅子に沈んでた。
顔面蒼白。肩が小刻みに震えてる。
「……お前、何だったんだよあれ」
「……いや……試合なんかより控室のほうが怖ぇんだよ」
「は?」
その瞬間――背後から声がした。
「“アーク様に傷一つでもつけたら、あなたの耳を二つとも切り落としますね”ってお願いしただけですよ?」
完璧な笑顔。
だが、笑ってねぇ。
シアが立っていた。
「おいおいおいおい……」
俺が頭を押さえると、リュカが涙目で叫んだ。
「聞いたか!?これだよこれぇ!!」
「……いや、そりゃ降参するわな」
シアは首を傾げて、上品に微笑んだ。
「わたくし、脅したつもりはございません。ただ……“お願い”をしただけです」
「どこの世界にそんなお願いがあるかぁぁぁ!!」
リュカが頭を抱えて背後で叫ぶ。
「試合よりここで命のほうが軽くなりそうだったんだぞ!!」
俺はため息をついて肩をすくめた。
「……まぁ、勝ちは勝ちだ。ありがとな」
「軽っ!?」
シアはうっとりした声で言う。
「アーク様が傷つくなど、この世の理が崩れますもの」
「いや崩してんのはお前の方だろ!」
外ではまだ歓声が響いていた。
「チャッチャッチャ! 3連勝だ!チャッチャッチャ!」
リュカは天井を見上げてぼそっと言った。
「……試合より迫力あった、ほんと……」
「はは、そうだな」
太鼓がまた「パンパンパン」と鳴り、
俺は苦笑しながら腰を上げた。
ーーーーー
それからもう何試合が過ぎただろう。
観客の喉は枯れて、空もだんだん赤く染まりはじめていた。
控室の片隅。
俺は椅子に腰を下ろしながら、
左の脇腹を押さえた。
「……いってぇな」
さっきの剣士との一戦。
冗談抜きでやられるかと思った。
運だけで勝ったようなもんだ。
腕には擦り傷、頬にも切り跡。
鎧はひび割れ、剣も欠けている。
(はは……なんで俺、まだ立ってんだ?)
外から「アーク!アーク!」と歓声が響く。
民衆の“チャチャチャ”は、もう笑いよりも“祈り”に近い。
リュカとシアが包帯を巻いてくれている、
そのままリュカは呆れ声で。
「ったく、どんだけしぶとんだ…」
「しぶとさだけが取り柄でね…いででで」
「誇りの欠片もない戦士って言われてるけど?」
「……誇りで飯が食えるなら、とっくに貴族になってるさ」
「そうですよ、頭のおかしな人たちにアークの素晴らしさは分かりませんもの」
「シアも大概だと思うけどな…」
リュカが苦笑する。
「しっかし、まじでここまで来れるとは、少なくとも賞金は貰えそうだな?」
「こんだけ体張ってんだ、じゃなきゃ困る」
ふと、通路の先に影が差した。
その姿に俺は見覚えがあった。
背筋はまっすぐで、鎧は一切の汚れもない。
差し込む光に縁取られたその姿が、妙に現実離れして見えた。
…一瞬、目が合った。
彼女はただ短く言った。
「次です。準備を」
(……エレナ)
胸が一瞬、固まる。
そのまま彼女は何事もなかったように通り過ぎていく。
わずかに残った風の匂いだけが、記憶を刺激した。
「……アーク?」
リュカが“察した”顔で覗き込む。
「おーい顔、強ばってんぞ?」
言葉を続ける前に、シアが静かに一歩出た。
その足取りはゆるやかで、けれど空気がピンと張る。
「リュカ、口を慎みなさい」
声音は柔らかいのに、刃のように通る。
笑っている――けれど、その笑みは氷のように冷たい。
リュカはピクリと肩を震わせ、あからさまに視線を逸らした。
「な、なんだよ……」
空気が一瞬、凍る。
シアは何事もないふうでコールの襟元を整え、指先で包帯をきゅっと結び直す。
指の動きは丁寧で、まるで儀式のようだった。
「大丈夫です、アーク様。――勝ってください」
目を合わせると、いつもの微笑み。だが、奥にだけ小さな焔が灯っている。
「あ、あぁ。もちろん…どうせなら優勝で賞金ガッポリだ」
「大丈夫かぁ? まぁ勝ったら酒場行こうぜ! 気になる肉料理見つけたんだ!」
場の空気を戻そうとしたのか、リュカが少しだけ明るい声を出した。
「リュカ?…おだまりなさい?」
「っはい!」
瞬間、リュカの笑顔が凍る。背筋を正し、壁際にそっと下がった。
シアの声は笑っているのに、威圧感だけが残る。
「怪我は、あとで全部わたくしが頂きますから、存分に」
「……頼む」
「ええ。終わったら…必ず!最初に、わたくしのところへ戻ってきてくださいね」
横でリュカが小声でぼやく。
「こっわ…」
「リュカ?」
「はい! 応援してます!!」
太鼓が鳴る。
扉が開く。
俺は兜を被り、砂の匂いのする光の中へ歩き出した。
砂の上を渡る風が、汗と血の匂いを運んでくる。
夕陽が傾き、会場が赤く染まっていた。
「決勝戦――アーク対エレナ!」
審判の声が響く。
歓声の波が押し寄せ、砂を巻き上げた。
(決勝……ここまで来るとはな)
脇腹がまだ痛む。
包帯の下で、さっき裂けた傷がうずく。
だが目の前を見た瞬間、そんな痛みは全部どこかに消えた。
彼女はそこに立っていた。
真っすぐな姿勢、乱れひとつない鎧。
紅い髪が夕陽を映して、まるで炎のように揺れている。
(……綺麗だ)
初めて見た時と同じだった。
あの時も、誰かを守るために立っていた。
今もその剣は――誰かのために構えられている。
「“不退の騎士”――!」
観客のどこかから、そう呼ぶ声が上がった。
確かにその名が似合う…一度構えた剣は、決して退かない。
主を守るためなら、命さえ迷わず差し出す。
(ああ……そうだろうな)
目を見れば…改めてこの場、敵として前に立ってわかる。
彼女の剣は、そういう剣だ。
理屈も欲もなく、ただ「守り、敵を打ち倒す」ためだけに振るわれる。
(……俺とは正反対だな)
俺は笑いながら剣を振り、嘘を混ぜてのらりくらり…。
こりゃ…小細工は通じねぇな…。
審判が手を上げる。
「両者、構え!」
金属の音が響く。
エレナが剣を抜く――その一瞬、
風の流れまで変わった気がした。
俺は肩に担ぐ剣をくるりと回転させ、足を開き、つづく戦いの中――初めてちゃんと構えを取った。
(さて……どうするか)
この距離、この相手。
勝ち負けよりも――たぶん、俺はただ確かめたい。
俺の剣は、本物にどこまで届くのか…。
太鼓が鳴った。
砂が跳ね、風が唸る。
戦いが――始まる。




