第43話:鉄球とチャチャチャ
鉄球を引きずる音が、地を這うように響いた。
現れたのは全身がほとんど鎧の巨漢――“鉄球のグロム”。
片手に鉄球をぶら下げ、砂を抉って歩く。
審判の声が響く。
「第四試合、アーク対グロム・ハンマー!」
太鼓が鳴り、
審判の手が上がる。
「――始めッ!!」
その声と同時に、俺は鉄球を構えた相手を指差した。
「おいおい、そっちのタマ、左右ちがくね?」
会場が一瞬静まりかえった。
審判が「え?」と固まる。
観客の一部が吹き出す。
周囲がざわつく中、俺は真顔のまま続けた。
「あ、悪ぃ悪ぃ……片方、頭か」
一瞬の波紋、そして笑いが広がる。
相手の額に青筋。
「……貴様ッ!」
「おぉ、反応した反応した! いいぞ〜!
だがなぁ、そんだけツルッツルだと大変だろ。
……オヤジのタ◯からそのまま出てきたんか?」
会場――爆発。
笑いと悲鳴が入り混じり、太鼓まで止まる。
審判が頭を抱え、
観客の半分が腹を押さえて転げた。
「黙れえええええええええええ!!!」
巨漢の鉄球が唸りを上げて振り下ろされる。
ーーーーー上層席。
エレナが深く息を吐いた。
「……終わってますね」
「エレナ?」
リュリシアが首を傾げる。
「戦士が戦いの前に、敵を貶めて笑いを取る……最低です」
アドリアンは苦笑した。
「……だが観客は、完全にあいつの掌の上だ」
リュリシアが下を見る。
観客席はもう笑いと歓声の渦。
太鼓が再びリズムを刻み始めていた。
ーーーーーーコロシアム内。
砂上。
最初の鉄球を避けた俺は、一瞬構え直したが、
ふと思い出したように剣を置き、手を鳴らして相手に話しかける。
「あ、わりぃわりぃ、でももう一つだけ…これは絶対確認しないとダメなんだ」
「あぁ!?」
グロムは鼻息を荒らげながら耳を傾けた。
何を言われるかも分からずに。
「そういや、昨日酒場の女から聞いたんだが――お前、“三回”なんだって?」
「あ? 三回?」
理解できていない相手に、俺は手を三度打ち鳴らす。
「パン、パン、パン! ……っで終わるんだろ? 可哀想にな……短い上に楽しめる時間も短い!」
「き、貴様ァ…!」
両手を広げて、観客を煽る。
「拍手三回〜! チャッチャッチャ!」
一人の観客が俺に合わせて手拍子を始める。
対戦相手の顔は真っ赤。
太鼓が鳴り、観客は大合唱。
「チャチャチャ! チャチャチャ!」
審判「静粛に!!」
しかし誰も止まらない。
「おもちゃのチャチャチャ! おもちゃのチャッチャッチャ!
グロムくんは、チャッチャッチャ! ……あうっ!」
最後に内股になって俺がポーズを決める。
その瞬間、相手は完全に理性を失い、
鉄球をデタラメに振り回しながら突進をかけてきた。
「貴様ァァァァァ!!! ぶち殺すぅうううう!!!」
「おお、怒った怒った! そんなに怒っちゃダメよ?
そんなに興奮すると三回どころか一回で終わっちゃうわよぉ?」
グロムの中から、鈍くブチッと切れたような音がした。
「ぬぅガァアアア!!!」
鉄球をぶん回しながら突っ込んでくるグロム。
もはや狙いもへったくれもない、ただの暴走だ。
砂が爆ぜ、地面が抉れる。
観客がどよめく。
俺はひょいっと身をひねり、すれすれでかわす。
その勢いのまま、グロムの鉄球は背後の柱に直撃した。
「おっとぉ! あぶねえなぁ!!」
鉄と石がぶつかる轟音がコロシアム中に響き、
鉄球は柱にめり込む。
俺はその背後から一撃。
だが――金属の棒が、おもい切り硬い壁にでも殴った時のように、
反動が手にはね返り、痺れる。
ガンッ。
「な!? かってぇ〜!?」
「フンガァアアアアア!!!」
グロムは力任せに鉄球を引き抜き、そのまままた振り回す。
俺は身をかがめながら距離を取る。
やられることはないが、有効打がない。
この体格差じゃ、俺の攻撃なんてほぼ効かねぇだろうし。
(今回の相手の鎧は、急所もほとんど全部隠れてやがる……めんどくせぇ〜)
この後も、グロムは怒りに任せて鉄球を振り続けていた。
砂が爆ぜ、地が揺れる。
鎧の継ぎ目から汗が滲み出て、まるで蒸気機関みたいだ。
(完全に理性飛んでんなぁ)
俺は剣を構えながら、ちらりと横の柱を見る。
高さは人の二倍、太さは腕三本分ほど。
(……あれ、いけるかもな)
口の端が自然と上がる。
「おいグロム! お前、さっきより遅くなってんぞ!」
「ぬぐあああ!! 黙れぇぇええ!!!」
案の定、挑発に乗った。
俺はわざと柱のほうへ回り込む。
観客の目の前を横切りながら、
「はいこっち〜。あんよが上手! あんよが上手! あばよ〜!!」
「逃がすかあああ!!!」
グロムがちょうどいい位置にくると、
俺はそいつの左へと、少し大回り気味に走る。
鉄球を大きく振りかぶる。
怒号とともに――横薙ぎ。
鉄の玉がものすごい勢いで砂煙を上げながら、俺の背後に迫った。
しかし途中で、鉄球は向きを変えた。
鎖が柱にかかった。
ガシュン!!
金属音が響く。
鎖が柱に引っかかり、
そのままグロムの勢いを乗せて――
ブンッ!!
鉄球が軌道を変え、
振り子のように大きく弧を描いて戻ってくる。
「な――っ!?」
グロムが気づいた時には遅かった。
反動のままのスピードで、
自分の頭めがけて――
ドガァァン!!!
鉄球、直撃。
「ぶぐぅっ!!?」
巨体がその場で膝から崩れ落ちた。
鎖がピンと張ったまま、
鉄球がのろのろと地面を転がる。
一拍の沈黙。
「あぁ〜あ」
俺は頭をかきながらぽつりと呟いた。
「……ほらなぁ、だから怒っちゃダメよって言ったのに」
観客、爆笑。
太鼓が止まり、誰かが腹を抱えて倒れる。
「やべぇ! 自分で食らったぞあいつ!」
「はっはっはっは! 最高だ!」
「チャチャチャだ! チャチャチャ!!」
笑いと歓声が渦を巻き、
観客のアンコールに俺は答える。
審判が慌てて手を上げる。
「し、試合続行不能!! 勝者――アーク!!!」
俺は手を3回打ち鳴らしながら観客に向かい、
小躍りしながら退場口へ向かった。
「おもちゃのチャチャチャ! ってな」
観客席からは「パンパンパン!」の拍手三回。
太鼓までリズムを合わせる。
ーーーーーーー上層席。
リュリシアがぽかんと口を開けている。
エレナは眉をひそめ、
「……あれを“戦い”と呼ぶのは、騎士への侮辱です」
アドリアンが肩をすくめる。
「だが民は笑い、剣より先に心を掴んでいる。
……それもまた一つの“才”だ」
砂と笑いが入り混じる中、
試合は太鼓のリズムと共に幕を下ろした。
ーーー控室。
リュカとシアが、その様子を眺めていた。
リュカは呆れ顔でため息。
「はぁ……いや、なんていうか、アークって卑──」
シアはリュカの言葉を遮るように、両手を組んでうっとりした顔で割り込み、魅入っている。
「さすがアーク様! ……挑発も華麗! 勝利も優雅! ……完璧です!」
「おい…、どこ見てそう言ってんだ…」
「どこでもですっ!」
リュカが顔を押さえて首を振る。
「……最近ほんと、シア見てると不安になるなぁ」
「はぁ! 早くアーク様に合流できないかしら!」
控室の外では、まだ観客の「チャッチャッチャ!」が鳴り止まない。
リュカは天を仰ぎ、
「……次、あたしと当たるとかないよね?」
その音に合わせて、遠くの太鼓がまた
「パンパンパン」と鳴り響いていた。




