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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第39話:沈む気はねぇ


ギルドの扉を押すと、夕暮れの光が差し込んだ。

酒と油の匂い、木の床のきしみ――、

一日の終わりの音がそこかしこで鳴っている。


受付に歩み寄ると、昼の受付嬢が顔を上げた。

「あっ、お帰りなさい。依頼は完了ですね?」

「獣は片付いた。確認してくれ」


討伐証を出すと、彼女が慣れた手つきで札を刻印台に置く。

淡い光が走り、数字が浮かんだ。


「はい、確認できました。報酬は銀貨二十枚。E級換算です」

「受け取る」


革袋がカウンターに落ちた音が、妙に心地よかった。


リュカが袋の口を覗き込む。

「おー、本当に出るんだな。ちょっと感動」

シアが小さく笑う。

「お金に感動するって、現金ね」

「へっへっへ!」


この世界の金は大国ごとの通貨の他、

“魔力鋼”と呼ばれる金属でできている魔硬貨というのがある。

ただの金属じゃない。魔力を帯びてるから、偽造も不可。

価値が安定していて、この通貨に関しては国をまたいでもだいたい通用する。


たしか、この大陸では使われる単位が三つ、区分するとこんな感じだ。


銅貨=庶民の生活用

銀貨=労働や取引の主流

金貨=貴族や大商人の領域


冒険者が一日働いて得る銀貨二十は最低でも稼げる普通の兵士の月給に近い。

危険の割に儲かる。

だからやる奴が絶えない。

それで死んじまうやつも……。


俺は袋を懐にしまいながら、小さく呟いた。

「……まぁ、死ななきゃ割のいい稼業だな」

「死んでしまったら全部無駄ですけどね」


シアが淡々と言う。


「そういやさ、銀貨二十枚ってどれぐらい使えるんだ?」

リュカの問いに、俺は指折り数えた。

「宿代が一泊銀貨一枚、飯代が三枚で三食。

 つまり一週間ぐらいは遊んで暮らせる」

「おぉ! じゃあ飲み行こうぜ!」

「……お前なぁ、こりゃすぐに破産だな」


シアが苦笑する。

「でも、確かに今日は節目ですしね。少しだけなら」

リュカの目が輝く。

「よっしゃ決まり! 支部長も呼んで宴だ! あ、どうせだから奢らせようぜ!」

「やめろ」


笑い声が混ざる中、ギルドの灯が少しずつ強くなっていった。

戦場ではなく、生活の音。

この空気が、少しだけ心地よかった。


――こういう夜の匂いは、どこにでもある。

人のざわめき、安い酒の匂い、笑い声。

けれど俺には、それがどうしても“夢の中”みたいに思えた。

みんな、確かに生きてる。

だが俺はまだ、その輪の中に入る気がなかった。


夜のギルドは、酒と笑いで満ちていた。

木の杯がぶつかり、歌が飛び交う。

昼間の血なまぐさい空気は、もうどこにもない。


リュカは机に突っ伏し、すでに三杯目のジョッキを抱えている。

「うへへ……俺、今ならドラゴンでも斬れそうだぁ……」

「はいはい、寝言は金貨を稼いでから言いなさい」


シアも頬を赤らめ、果実酒の瓶を手にしたまま笑っている。

「ふふ……意外と美味しいですね、これ……ヒック」

「おいシア、お前も飲みすぎ……」

「……飲んでません……ヒック」


俺はその二人から少し離れた壁際に立っていた。

杯を手にしてはいるが、ほとんど減っていない。


(まぁ……悪くねぇ)


――視線を感じた。

カウンターの奥から、じっとこちらを見ている影がある。

目が合った瞬間、軽くグラスを掲げてきた。


昼間の支部長だった。

あの時と同じ目。

人を測るようで、けして見下ろさない。


俺は軽く会釈して視線を外した。

だが、次の瞬間――


「……騒がしい夜だな」


低い声が、すぐ隣からした。

振り向くと、いつの間にか支部長が横に立っていた。

手に持ったグラスを軽く掲げながら、俺をじっと見ている。


「飲まねぇのか?」

「……見てる方が落ち着くんでね」


支部長はにやりと笑い、隣の壁にもたれかかった。

「……なるほど。宴の輪に入らねぇ奴は二通りだ。

 “酒が嫌いな奴”と、“戦場が抜けねぇ奴”」


「ずいぶんな言い方だな」

「ちがうか?」


軽く杯を揺らして、支部長は視線をこちらに戻した。

その目は、ただの酔っぱらいのものじゃなかった。

職業病ってやつだな。俺の中を覗き込むような、静かな眼だ。


「俺は元冒険者だ。

 だからある程度は、ひと目見りゃわかるんだ」

「何が」

「力量と“匂い”だよ」


支部長は酒を一口あおり、続けた。


「お前、腕は立つ。反応も速い。

 だが“英雄”って感じじゃねぇ。

 殺気が違う。

 なのに、あの判断……あの間合い……妙に場慣れしてる。

 どこで何をしてた?」


「……旅をしてただけだ」

「旅人、ねぇ」


笑いながらも、支部長の目は鋭さを失わない。


「……俺の勘だがな、あんた、元は振るうようなやつだが、“誰かを守る側”だったろ。

 剣の握りがそう言ってる。

 殺すのにためらいがねえが、庇う方が手に染みてる」


しばらく、沈黙。

俺は杯の中の液体を見つめたまま、息を吐いた。


「……かもな」

「ふん。まあ、詮索はしねぇ。

 ただ――“旅人(仮)”にしちゃ、渋い背中してるぜ」


支部長が背を向ける。

去り際に、ふと一言だけ残した。


「この街じゃ、“過去”を持ってる奴は珍しくねぇ。

 だが、“消したい過去”を持つ奴は、よく沈む。

 気をつけな」


カウンターの明かりが、彼の背を照らす。

そのまま人混みに紛れ、姿が消えた。


残ったのは、騒ぎ声と、冷めかけた杯のぬるい酒。

俺は壁に寄りかかり、目を閉じた。


(……見透かされたな)


支部長の言葉に、今は遠い記憶がかすかに目に浮かぶ。


「……まずい酒だ。借し一つだな」


遠くで、リュカがシアの肩を枕にして寝落ちしている。

まるで、遊園地に遊び疲れて眠った子供のようだった。


夜更け、ギルドを出た。

街の外門はすでに閉じられ、静まり返っていた。

遠くの塔の明かりだけが、風に揺れている。


「……今夜はもう宿を取るしかねぇな」


リュカとシアは、酒の勢いでそのまま先に寝落ちしている。

俺は二人を宿の部屋まで運び、ベッドに投げた。


部屋には小さな終わりかけのろうそくのランプが一つ。

その光が、壁にゆらりと影を描いている。


……支部長の言葉が、ろうそくの影みたいに頭にちらついた。


“誰かを守る側だったろ”

“消したい過去を持つ奴は、よく沈む”


思い返すたび、胸の奥がざらつく。

まるで古傷の縫い目を針でなぞられているようだった。


(守る、か……)


窓を少し開けると、夜風が頬を撫でた。

街の灯は小さく、どこか懐かしい。


「……まぁ、二人のおかげで少しは気が晴れた」


リュカの寝言が聞こえてくる。

「肉〜……」

「コール様……」


その無防備な声に、思わず口元が緩む。


「……たしかに、エレナは綺麗だったけどな」


ぽつりと呟いた声が、夜気に溶けて消えた。

「でも――もう」


あんな思いをするくらいなら。

誰かを守って失うくらいなら。


……あの時の痛みを、二度と味わいたくない。


目を閉じると、記憶の底に、微かな笑顔が浮かぶ。

風に揺れる髪。

差し出した手。

もう届かない声。


「……沈む、か」


短く呟いて、ランプの灯を消す。

闇が部屋を包み、月明かりだけが静かに差し込んだ。


嫌な記憶、感情、思い。

全部、いろんなことの裏返しなのも分かってる。

どれだけ時間が経っても、整理のつかないものはある――でも。


「……生憎と、俺は沈む気はねぇな。消す必要もねぇ」


夜空を見上げて、ふっと笑う。

見たこともないほど大きな月。

俺の知らなかった世界。

ここでなら――きっと、笑っていられる。


「……ありがとうな」


誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。

ただ、風が優しくそれを運んでいった。

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