第27話 北倉庫脱出
「逃げるぞ!」
俺の声に、シェアラが倒れたエルフを抱き上げる。
あまりの軽さに、彼女は一瞬よろめいた。
背後から押し寄せる兵士たち。俺は魔導銃を構え、引き金を引く。
轟音と閃光が通路を焼き、敵兵が血飛沫と共に崩れ落ちていく。
「な、何それ……ずるい!?」
シェアラが驚きの声を上げた。だが俺は答えず、引き金を引き続ける。
火花が散り、薬室が熱で悲鳴を上げる。腕は痺れ、視界が滲む。撃つたび、自分の魔力が削れていくのが分かった。
止まれば終わりだ。止まれば全員が……ここで死ぬ。
倒れた兵士の屍を踏み越えながら出口へ走る。リュカとシアが息を切らし、背後でシェアラの靴音が響く。出口の光はもうすぐそこにある。
だが数は減らない。槍を構えた兵士が波のように押し寄せ、出口を塞いでいた。俺の銃声が響くたび前列は崩れるが、後列がすぐに穴を埋める。
「クソッ……!」
唇を噛み、再び引き金を絞る。銃口が跳ね、指に力が入りにくくなている。魔導銃も限界が近い。
……それでも撃ちつづけなければ、ここで終わる。
――その瞬間だった。
……轟音。
通路の奥から、狂ったような車輪の音が響いた。振り返る兵士たちを、巨大な影が薙ぎ払う。
木の塊――馬車の荷台が突進してきた。兵士の列を、鎧ごとまとめて粉砕する。鉄と骨が同時に砕ける音が響き、血と土埃が舞った。
一瞬前まで壁のようだった敵が、紙の人形みたいに吹き飛んでいく。
先頭にはウィスキーそしてハイポール。二人が床を踏み割り、
その大きさからは考えられない力で馬車をおもちゃのように動かしている。もはや“走る”とういか“突撃”だ。
「……っおぉ! いいタイミングじゃねえか!」
思わず笑いが漏れる。荷台に飛び乗りながら叫んだ。
「よく来た! お前ら!、逃げるぞ!」
全員が馬車に飛び乗ると、ウィスキーとハイポールは人外の力で通路にはまった馬車を引き抜く。
壁に車体をこすり、破壊しながら走るその勢いに、シェアラが目を見開いた。
「ちょっ、こいつら本当になんなの!?」
「今さらだろ!」
怒鳴り返しつつ、俺は荷台の縁に足を掛け、背後へ銃を向ける。追手が湧き上がるように現れ、怒号と矢が飛び交う。
矢が木板に突き刺さり、金属音が耳を裂いた。
「リュカ! シア! 下がれ!」
「もう下がってる!」
リュカとシアは互いの肩を押さえながら荷の隙間に潜り込み、シェアラは抱えたエルフを庇いながら、飛び乗る兵士を蹴り落とした。
「ウィスキー! 出口だ! 行け!」
「ドドドド!」「(ワチャワチャ)」
前方からの返答は轟音のみ。だが、そいつらなりの“任せろ”だ。
石畳を砕き、倉庫区を抜けて広い街路に飛び出す。夜気が流れ、月光が馬車を照らした。だが、安堵は一瞬だった。
道という道が封鎖されている。十字路ごとに障害物、そして兵の列。
俺は舌打ちしながら銃を構え、木柵を撃ち抜く。
火花が散り、壊れた柵に構わずハイポールが突っ込む。
瓦礫が飛び、車輪が跳ねる。
だが、もう俺の…限界が近い。
俺は最期に弾丸を撃った反動で、そのまま荷台に倒れた。
「コール様!?」「コール!? おい、大丈夫か!?」
銃を撃ちすぎた。魔力が空っぽで、立ち眩みが襲う。
リュカとシアが俺の体を支えた。視界が霞んで、声だけが遠くで響く。
「あぁ……そろそろ弾切れだな……」
もうこれ以上撃てねぇ。撃てば、自分ごと燃え尽きる。ここで倒れるわけにはいかねぇ…。
馬車は瓦礫を跳ね飛ばし、転がる樽を踏み潰しながら突き進む。だが速度は落ち、ハイポールの肩が軋む…。
力を分けているウィスキーも少しぼやついている。影の力も限界に近い。
「このままじゃ追い詰められる……!」
リュカの声が焦りに染まった――その瞬間。
馬車の前方。細い路地の影から、ひとりの子供が飛び出してきた。ハイポールが咄嗟にブレーキをかけ、馬車が悲鳴を上げる。
月明かりに照らされたその顔を見た瞬間、俺は目を細めた。
(……このガキ、確か……)
初めてこの街に来た日に、俺の財布を掠め取ったガキ。まだ生きてやがったか。
俺はにやりと笑い、懐から財布を取り出して投げた。
「ガキ! 全部やる! 仕事だ!」
「えっ!?」
「外に出る道をよこせ!」
少年は一瞬だけ目を見開き――次の瞬間、にやりと笑って駆け出した。悪ガキの笑みだ。
「こっち!」
ウィスキーとハイポールが再び全力で駆ける。
夜風が裂け、瓦礫を蹴散らす音が響く。光と影が交差する街を、俺たちは駆け抜け、夜の果てをめざす。
道案内のガキが走りながら叫ぶ。
「この先まっすぐ! 下に抜ける通路があるんだ!」
俺たちはその後を追い、馬車を軋ませながら駆け抜けた。……だが道の先で、車輪が急停止する。
「チッ」
行き止まりだった。
崩れた瓦礫が鉄格子で山のように積まれている。今はその半分以上が潰れていて、人ひとりがやっと潜れる程度の穴しかない。
「ちょっと! これじゃ通れないじゃん!」
リュカが息を荒げて呟く。人だけならなんとかなりそうな穴だが、そうなるとこのエルフを連れてくのは無理だ……。
ウィスキーとハイポールはその隙間をじっと見つめていた。
ハイポールが一歩前に出る。無言のまま、分厚い拳を鳴らした。
そしてもう片方の掌に拳を押し当て、ゆっくりとほぐす。
まるで喧嘩を始める前の腕自慢のようだ。
「……おい、まさか」
俺が言い終えるより早く、ウィスキーがハイポールの背中に飛び乗った。
「「「ん?」」」
バコン!
ハイポールの兜が吹っ飛んだ。中から、体に不釣り合いなほど細い灯台みたいな頭が現れる。
ウィスキーは無表情のまま、その“頭”を両手で掴んだ。
剣の柄のように握り、腰を落とす。
(……え、まさか)
ウィスキーは軽く数回、肩を回す。次の瞬間、ハイポールの体が……回り始めた。
ブン! ブン! ブン!
まるでハンマー投げだ。鎧がうなり、風圧で近くの小石が舞う。
「おい待て! やめろバカッ――!!」
俺の叫びと同時に、ウィスキーが投げ放つ。
ドガァァァァァァァァン!!
投げ放たれたハイポールは土煙に消えた…。
瓦礫と鉄が一緒に砕け、夜の空気が一気に流れ込む。砂煙の向こうに、月明かりが差し込む。
ハイポールの体は奥の壁に半分めり込み、ウィスキーが腕を掴んでずるずる引き抜く。
「ったく、雑すぎんだろ……まぁ結果良ければか?」
俺は頭を押さえながら息を吐いた。
なにはどうあれ道は開いた。
「よし、行くぞ!」
俺の叫びに、ウィスキーとハイポールは同時に頷くように肩を震わせた。馬車が再び唸りを上げ、砕けた壁の向こうへと突き抜ける。
馬車の荷台の先頭でガキが振り返って笑う。
「この先だ!もうすぐ出るよ!」
暗い通路を一気に駆け抜け月明かりに照らされた貴族街に出てきた。
「あそこ!」
ガキの指し示す先に、城壁へと続く階段が見えた。
この位置…道は確かに外へ、だが方向は獣族の森とは逆。
(……だがもう、選んでる余裕はねぇ)
「構うな、行くぞ!」
ハイポールが唸り声を上げ、ウィスキーが前へと押し出す。
馬車の車輪が段差を叩き、ガタン、ガタンと激しく跳ねた。
揺れに耐えきれず、リュカが荷の上で体を支える。
「こ、コール様平気なんですかこれ!?」「うわっ、これ登んの!?」「落ちる落ちるーっ!」「乗り心地悪い〜!」
「黙って掴まってろ!」
背後では兵士たちが魔法を放ち、火弾が壁や階段に爆ぜる。
衝撃で石片が降り注ぎ、馬車が大きく傾いたがなんとか持ちこたえる。
「ったく貴族街だからか?兵の質が違うな、狙いもさっきより良いと来やがるッ」
なんとか馬車は城壁の上までやってこれた。
そしてそのまま外まで一直線に伸びる道をただひたすらに走り続ける。
「ほら!もうすぐだ!」
ガキはそう言って振り返って笑う。
俺は短く息を吐き、手を伸ばす。
「……よし」
「「「「え?」」」」
「おりゃあああ!」
次の瞬間、ガキの襟を掴み上げて横の暗幕めがけて放り投げた。
ガキは声を上げ、布を突き破り、下の屋根に転がり落ちていく。
軒幕が衝撃を吸い、無事だ。
「うわぁああああああ!?、グへッ」
「よし!」
再び同じ言葉を口にし、手綱を引く。
「よし!、じゃない!!」
リュカが怒鳴る。
「乱暴すぎるだろ!」
「……コール様……」
シアも引き気味に声を漏らし、シェアラが苦笑した。
「いや、まぁ……生きてるならいっか」
「そうそう、生きてりゃ上等!連れてくわけにもいかねぇだろ!」
俺はそう吐き捨て、前を向いた。
城壁の上を走り続け、次第に街の外が見えてくる。
眼前には夜風と広大な草原が広がってくる、だが背後ではまだ、追撃の魔法が空を裂いていた。
夜風が吹き抜け、城壁の上を馬車が走る。
下には街の灯り、遠くに月が見えた。
外の草の空気が感じられるころに、リュカが叫ぶ。
「コール! 前!前ぇぇぇ!!」
「え?」
前方――そこに道はなかった。
城壁の端、外へ向かう道はそこで途切れている。
振り返る余裕もなく、外周を回るだけじゃ意味がない。
しかも背後では兵士の矢と魔法が飛び交い、もう止まれば確実に蜂の巣だ。
「……行くぞ!!」
俺は迷わず叫び、手綱を叩いた。
「えっ、ちょ、待っ!?」
リュカの悲鳴、シアの絶叫、シェアラの呆れ声。
それらすべてを置き去りにして、馬車はそのまま壁の端から飛び出した。
――落下。
重力が一瞬消え、景色が裏返る。
風圧が頬を叩き、荷台が浮いた。
その瞬間、影のようにウィスキーとハイポールが身を翻す。
二人はほぼ同時に馬車の下へ潜り込み、全身で支えるようにして衝撃を受け止めた。
ドガァァァァンッ!!
地面が割れ、土煙が爆ぜた。
ウィスキーとハイポールが衝撃を殺し押さえ込む。
車輪が軋み、馬車は大きく跳ねて――止まる。
「……っぶねぇ〜……」
息を吐いた瞬間、視界が下にすこし下がり…ぐしゃりと嫌な音が響いた。
「……今の音は?」
シアの声が震える。
俺が覗き込むと――馬車の下、地面と馬車の間にハイポールが挟まっていた。
上半身は完全に潰れ、鎧が平べったく変形している。
見た目はもう、巨大な鉄せんべいだ。
「…………」
無言のまま、ハイポールの腕がぴくりと動く。
指が地面を掴み、ぐぐぐっと馬車を持ち上げ始めた。
「うそだろ……」
シェアラが目を見開き、リュカが口を半開きにする。
ウィスキーはと言えば、何事もなかったように横から腕を差し込み、
潰れた相棒をずるずると引きずり出した。
鎧は完全に変形しているのに、ハイポールは立ち上がる。
そのまま、ぐきっと首を傾け、詰まっていた金属をぽろりと落とすと頭が生えてきた。
「……ははは、今更驚かねぇけどよ…」
思わずそう呟く俺。
リュカとシアはまだ唖然としていた。
ウィスキーはハイポールの背を軽く叩き、二人は何事もなかったかのようにまた荷台の前へ歩く。
――城壁の外。
夜の風が吹き抜け、視界いっぱいに草原が広がる。
だが後方からは、まだ追撃の蹄音が響いていた。
兵たちが馬に乗り、弓と魔法で遠距離から撃ち込んでくる。
火球が地面をえぐり、爆風が馬車を揺らす。
「クソッ、あいつらまだ追ってくんのかよ!」
リュカが振り返りながら怒鳴る。
シェアラは歯を食いしばり、短剣を抜いて身を乗り出した。
「もうすぐ森だ!」
地平の先、黒々とした木々が近づいてくる。……だが、そこからも光が瞬いた。
ヒュッ――!
矢が夜の空気を裂き、甲高い音を上げながら馬車のすぐ脇をかすめた。一本、二本、三本。
…どれも致命ではなく、明らかに威嚇の軌道。
「おいおい……まさか」
額に手をやりながら隣のシェアラを見ると、彼女は顔をしかめ、叫んだ。
「あいつら!? この状況でも入れる気ないっての!?」
次の瞬間、矢の雨が本気に変わった…音が違う。
鋭く、速く、狙いが正確すぎる。
「ちぃっ、今度は殺る気か!」
馬車の側面に矢が突き刺さり、板が弾ける。
リュカが頭を抱え、シアが身を伏せた。
ピュン。
一本の矢が、荷台の端に倒れていたエルフの少女の手をかすめた。俺は一瞬だけ息を呑み、次の瞬間、その腕を掴んだ。
「……こいつ見せりゃ止まるだろ!」
叫びながら、俺はエルフを抱き上げ、馬車の上に立ち、まるで何かの王の儀式みたいに高く掲げ上げた。
「シ◯バァアアアアアア!!!」
風が鳴り、矢が一斉に止まる。シェアラが目を見張り、リュカとシアも息を呑む。
森の縁で、弓を構えていた影たちがざわめいた。その中の一人が笛を吹き、矢が引かれる音が消える。
「……通す気になったか?」
俺はエルフを抱えたまま座り直し、手綱を振った。
「ウィスキー、ハイポール――突っ込め!」
二人は無言で頷き、馬車が最後の衝撃を残して森へと突入した。
――枝が裂け、月明かりが消える。森の中は冷たく、静かだった。




