第28話 森の奥/エルフの議場
枝葉を裂き、馬車が森の奥へと飛び込む。
木々が音を立てて倒れ、後ろからの蹄音と怒号が次第に遠ざかっていった。
やがて、追ってくる気配が――完全に途絶えた。
静寂。風の音と、俺たちの荒い息だけが残る。
「……止まれ」
俺の指示に、ウィンスキーとハイポールが馬車を止める。木の根を踏みつぶす感触が伝わり、車輪がぴたりと止まった。
次の瞬間――背筋に冷たいものが走った。
(……囲まれた)
森の奥で、気配が幾重にも重なる。音はない。木々の間から弓の刃先がゆらりと覗き、淡い光を宿した瞳が影の中から浮かび上がる。エルフだ。
全員が矢をつがえ、俺たちを狙っている。森の空気ごと張り詰めた。
「……最悪。森の主が“狩る側”でお出まし、ってわけね」
シェアラが低く呟く。リュカが息を呑み、シアが身をすくめる。
俺は前に出て、ゆっくりと両手を挙げた。
そして――エルフたちが驚くよりも早く。彼らの言葉で口を開いた。
「〈おいおい、ずいぶん手荒な歓迎だな?〉」
一瞬、周囲が揺れた。前に立つ弓兵の肩がわずかに跳ねる。
リュカとシアが同時に叫ぶ。
「えっ!? コール様、今の……!」
「なんではなせるの!?」
俺は肩をすくめてみせた。女神の恩恵なんて言えるか。
「昔、少しな」
エルフたちは視線を交わし、短く何かをやり取りする。
〈……ハ=ンティア・ル=エルド? 人の舌で……?〉
〈沈黙を保て。弓を下ろすな〉
年長の戦士が一歩前に出た。矢は下ろしたが、警戒は解かない。
「〈なぜ、この森へ人間が来た〉」
俺は答えず、荷台のエルフの少女を示す。
包帯の下で、かすかな息づかいがある。
「〈こいつを連れてきただけだ。お前たちの一族だろ?〉」
エルフたちの視線がいっせいに少女へ集中する。
空気がわずかに揺れた。年長の男が目を細めて呟き、すぐに数人が前に出て少女を抱き上げた。
その背後で、別のエルフがリュカとシア、そしてシェアラを睨む。
「〈蛮族め……獣の血が〉」
「っは…その言葉だけはあたしも知ってるよ」
シェアラの眉が動き、エルフを睨む。
冷たい言葉で答える、シェアラを俺が手で制した。
「やめろ、今は黙っとけ」
短いやり取りののち、エルフたちは結論を出したように弓を構え直し、俺たちの前に立ち塞がった。
「〈お前たちを連れて行く……これで目を隠せ〉」
布が差し出される。俺たちは無言で顔を覆った。
リュカが小声で囁く。
「コール……いいのか?」
「今はな。矢の数、見ただろ?」
肩を押され、馬車が動き出す。木の軋み、葉擦れ、遠い虫の声。暗闇の中をゆっくり進んだ。
エルフの村――
人間でも獣族でもない、“第三の世界”が、そこに待っている。
目隠しが外される。視界を満たすのは、光苔の淡い緑と静寂。
円形の広間に十数名のエルフが座し、俺は中央に立たされていた。
他の連中は別の場所らしい
両手は蔦で縛られ、衛士の視線は凍るほど冷たい。天井から滴る水音だけが響く。
最も年長と思しき長老が、細い声で問う。
「……貴様は人間だな? そしてあの空を鳥のように舞う船の首領…」
俺は頷いた。
「ならば、なぜ獣族と行動している?」
「この森に、何の用だ?」
感情の起伏は見せないが、存在を値踏みする目だ。
「答えろ、人の子。お前たちの争いが森にまで届くのは、これで幾度目だ? いかなる理由があろうと、森を踏み荒らすことは許されぬ。」
衛士の弓がわずかに上がる。
「……踏み荒らすつもりはない」
「では、何のために?」
短い応酬。だが、問いの形は最初から“落としどころ”が決まっている響きだ。
別の長老が口を開く。声はさっきより若いが、冷徹さは同じだ。
「獣どもは、森の外縁で幾度も争いを起こしている。人の血を引く者が、奴らと共にあるなど本来ありえぬ。」
「……共に、か」
吐き捨てるように言うと、長老たちの目が細くなる。
「否定するのか?」
「肯定するのか?」
二つの声が重なり、空気が硬くなった。どちらに答えても“罪”になる構図だ。
「黙るな。」
「お前の沈黙は、虚偽と同義だ。」
(なるほど。罪を張る前提で訊いてるわけだ。企みをでっち上げたいか、勝手に何か疑ってるか)
「誰が答えるか…お前らの質問が“答え”じゃなく“罪”を探してるだけだからな?」
ざわめきが走る。衛士の手が柄にかかったが、長老が制した。
最も年老いた男が目を細め、低く問う。
「……ならば言え。お前は何のためにここへ来た。」
「女を助けた。ただそれだけだ」
短く返す。空気が揺れた。
長老の一人が眉を寄せる。
「“助けた”だと? 人間の貴様が。」
「そうだ」
「それが、我らの民だったとしてもか?。」
「……はぁ」
俺はじわじわ苛立ってきた。わざと大きくため息を吐き、雁首を揃えた一団を射抜く。
「お前らは森で赤ん坊が獣に襲われてたら見捨てるのか?、
まだ幼く力のない獣の子がひとりで傷を負って泣いていても、見捨てるのか?
俺は救う。救いたいから救う!。人間だの獣だの、関係ねぇ、俺が救いたいから救うだけだ!」
声が広間を切り裂く。長老たちは表情を崩さないが、冷たさに驚きが混ざるのがわかった。
「種族だ? 血だ? そんなもんどうでもいい!。
いま言ったことは、生きてるなら当たり前じゃねぇのか? ……違うのか? お前らは」
沈黙。次いで、杖が床を打つ重い音。
「……だから人は、いつもそうだ。
“救う”と口にして踏み入っては、森を壊す。お前たちの“当たり前”が、幾千の枝を折り、幾百の命を奪ってきた。
その罪の上でなお、“当たり前”などと笑えるのか?。」
長老の声は重い。
「森は我らの家だ。祖霊の骸が眠る場所だ。それを踏みにじっておいて“救い”とは…侮辱に等しい!。」
衛士の矢先がさらに上がる。そこへ、列の奥から若い戦士の声が割り込んだ。震えはあるが、真っ直ぐだ。
「…長老様。それなら、俺たちは何のために生きてるんですか…」
一瞬、広間が息を止める。若者は顔を上げた。
「確かに森は家であり、先祖の墓でもある。けど…墓を守るために、生きてる者が死んだように息を潜めてていいんですか?
“救う”って言葉を恐れて、心まで閉じるのが、俺たちの森なんですか?」
ざわめき。叱責が飛ぶ前に、俺は口を開いた。
「……悪かった。確かに俺の考えはが浅かった。お前たちの“森”が、家であり、先祖の遺体が眠る場所だってことを軽んじてしまった。
確かに…どこの誰ともわからねぇ奴が家の中を土足で踏めば、誰だって怒る。
……それは人間の俺でも同じだ。すまない」
長老の眉がわずかに緩む気配。ここで引く気はない。声を低く落とし、覚悟を置く。
「でも、もうひとつだけ言わせてほしい。もしその家を、家族を、人間どもが壊そうとするなら…、
俺が戦って、お前たちを守る。必要なら、あの町を潰す」
広間の温度が下がった気がした。俺の力を遠巻きに見てきた彼らには、誓いにも脅しにも聞こえる。長老同士が目を合わせ、誰も軽口を叩かない。
「これが俺の腹ん中さ、それともまだ疑うかい?」
俺はいつもの態度に戻し、あっけらかんと族長たちを見た。
最古参の長老が、ゆっくりと口を開く。声には理屈を越えた痛みが混じっていた。
「我らは長命だ。子は少ない。ひとつの戦で、世代が途切れる危険がある。
ゆえに我らは戦を恐れ、閉ざした。…それが、お前の言う“死んだように生きる”かもしれぬ。」
長老は俺だけではなく、傍に控えている若者に対してもその言葉を向けた。
若者の拳が鳴った音がした。守ることと、心を失うことの狭間。答えはすぐには出ない。
俺は頷く。
「……それでも」
言葉が消え、光苔がわずかに揺れる。床に落ちた一枚の葉を、誰も拾わない。
それならば俺が拾うしかない…。
「それでも、生きてる限り守るものはあるはずだ。俺はこういうやり方しか知らねぇ。
自分のやり方でしかできねえ。……だから守るものを俺は守る」
言い切ると、広間は再び重く沈んだ。だが、今度は長老たちの一人がゆっくりと立ち上がった。
杖を突く音が床に響く。俺はその声を、身を潜めるようにして聞いた。
「貴様の言葉は、感情の叫びとして…理解できぬではない。だが我らには我らの秩序がある。」
最古参が静かに言う。続いて、別の長老が前に出て、より現実的な口調で事の次第を語り始めた。
「近年、人の国の形は変わった。昔のような王たちの論理ではない。
金を重んじる者たちが台頭し、『数』を恃んで勢力を伸ばしている。
奴隷の商いは彼らにとって国富の一端となり、国としての利潤を生む経済の柱になった。」
俺は思わず体の中で反応する。奴隷の国の話は聞いていたが、ここで冷静に整理されるのは初めてだ。
「それゆえに我らは、単純に剣を取って対抗できぬ理由がある。外での小競り合いが、我らの森へ跳ね返って来る。
奴らは傭兵を金で集め…数の暴力は、森の縁に住む者を焼き払い、無差別な破壊をもたらす。
我らは長寿だが、他の種族と比べて新たな循環を宿すのに時間がかかる。
ひとつの戦が、世代を途絶えさせる距離を持つ…すなわち破滅。したがって慎重を期するのだ。」
さらに別の長老が、声を震わせるでもなく、淡々と付け加えた。
「我らの間には、口にされぬ合意がある。あえて条の名を掲げぬが、かつての争乱の記憶から、
我らは外に出て無秩序な報復を為すべきではないと学んだ。表向きには“干渉せぬ”という掟があり、それを破ることは森林の安全を損なう恐れがある。
その選択は冷徹に見えるかもしれぬ。だが、それが我らを…後の子らを残す道であったのだ。」
長老たちの言葉は冷たくも、どこか痛みに満ちていた。俺は胸の奥で何かを飲み下す。
「そのうえで言う。外の者がやっていることが正しいとは我らも思わぬ。
だが、正義を振りかざして火を返した時、森は誰が守るというのだ。
お前は奴らの街を潰すと言った。果たしてその代償を、我らは背負えるか。」
部屋の隅で誰かが小さく喉を鳴らす。鉛みたいな沈黙が床に沈んだ。俺は一度息を整える。
一呼吸置いて、俺は黙ってから言葉を選んで返した。
「俺はさ……種族だのなんだの、そういうのが嫌いだ。だが人間に生まれちまった。
だから同じ人間のことならあんたらよりわかる。確かにあんた達は守る選択をした。
……だが人間の業はそんな生やさしくはねえぜ?」
長老の目がわずかに細くなる。俺は視線をそらさず、言葉を続ける。
「森に火が付けばそう簡単には消えねえ。すべてを焼き尽くすまで止まらねえ。
すでに捕まえたエルフを一度手にした……ましてそこに欲があるなら余計にな。
……もう矢は眼の前に来てるぜ?、何もしなければその切っ先はここぞとばかりにあんたらを射抜く。…お前らはどうする?」
広間の空気が冷える。矢羽の擦れるような気配が耳の奥で鳴った。
「だが――獣人に頭を下げるのは、我らの矜持とは相反する。あれらは誇りに生きるが、誇りに死ぬ。故に我らとは相容れぬのだ」
古い石みたいな言葉だ。動かない。俺は舌の先で乾いた唇を押さえ、間を切る。
「そう言ってられる時間はねぇと思うがな……獣族から使者が来てたろ? あれの内容は聞いたのか?」
ざわつき。列の奥で衣擦れが重なる。俺は肩の力を抜き、声だけを硬くした。
「使者、だと?」
古参の眉がわずかに寄る。俺は鼻で笑って、少しだけ顎を上げる。
「ああ、――どうせ聞きもせず、同席もせず、追い返したってとこか。」
衛士の背筋が同時に強張る。俺は畳みかけず、事実だけを置いた。
「猫族の旗を掲げた使いだった。『人間どもの増援がすでに動き出してる』ってな。
誇り高いあいつらが、他種族に助けを求めるなんて尋常じゃねぇ。
だが今は、そうせざるを得ない。
人間の増援がこっちに達する。だからあいつらは、今のうちに決着をつけなきゃならねぇんだ」
若い戦士が椅子を鳴らして立ちかけ、長老の手が静かに制す。揺れは波紋みたいに広がって止んだ。
「……自らの戦に誇りを掲げる獣達が?、助力を求めたと? 貴様の口からそのような戯言を聞くとはな。」
声は冷たいが、芯にひびが入っている。俺は肩をすくめ、淡々と返す。
「戯言だと思うなら好きにすりゃいい。
だが今ここで動かなきゃ、“誇りに死ぬ”どころか、“誇りごと森全部が焼かれる”ことになるぜ。
奴らの矜持も、お前らの森も、人間の“数”の前じゃ一緒に潰される」
長老の一人が口をつぐむ。光苔の明滅が半拍だけ早まった気がした。
最古参が目を細めたまま、俺をじっと見据える。問いは刃だ、逃げ場はない。
「……では問う。お前の言葉が真なら、我らにどうしろというのだ。森を開き、人との争いに加われと?。」
俺は首を横に振る。呼吸を落として、言葉を真っ直ぐに通す。
「…事実を見ろ。
エルフの奴隷を手にした人間、それをなお“知らぬ”姿勢でいるのならば、
それこそ人間共はもう何も気にしやしねえ。
何が“正しい”か決めるのは、掟や条約じゃねぇ。今、生きてる奴らだ」
静寂。耳の奥で自分の心拍が数えるみたいに鳴る。俺は沈黙を破らず、相手の出方を待った。
最古参が低く呟く。
「……誇りに生きる者と、理で生きる我ら。
どちらの選択が正しいかなど、誰にも決められぬ。」
口の端だけで笑う。ここで勝負を引き延ばす理由はない。
「じゃあ、選ばなきゃならねぇ時が来てるってこったな」
広間の空気が硬く固まる。誰かが無意識に弓の弦を撫で、微かな音が消えた。
「俺らは獣族の森に帰る。文句はねえな?……何か伝えることがあるなら、今だぜ?」
光苔の淡い光が揺れ、長老たちの影が壁に伸びた。
誰もすぐには答えなかった。
だが、ひとつの決断が、静かにこの森の奥で芽吹こうとしていた。




