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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第21話 灰狼の誇り


獣族の村に、突如として人間に攫われていた者たちが押し寄せた。

女や子供、戦士の仲間たちが、鎖の痕を残したまま次々と村に現れる。


「な、なんだ!?」

「お前たち……!? どうやって……!?」


混乱と歓喜が一度に爆発し、村の空気は震えた。

だが、突然の同胞の帰還に戦士たちは歓声の裏で警戒を強めていた。


「人間どもが攻めてきたのか!?」

「いや、これは……何かの罠か!?」


慌てて戦支度を整え、広場に戦士たちが次々と集まる。

歓喜と疑念、安堵と緊張が入り交じり、村はざわめきに呑まれていった。


――その時、船が上空に姿を現した。

焦げ跡を纏いながらも、ゆるやかに降下していく飛空船イルクアスター。


「……っ!」


その姿を目にした瞬間、村の歓声は凍りついた。

助けてくれたのは確かにあの人間だ。

だが同時に、影に包まれた怪物の記憶が胸をよぎる。

今このタイミングで姿を表したのは、果たして何のためか……。


すでに村には、獣族の一部がコールの船を襲おうとしたことが知れ渡っていた。

その事実が暗雲のように影を落とし、皆の表情を硬くする。


やがて船は広場に着地し、軋む音を立てながら橋が降ろされ、

次々と残りの獣族たちが解放されて一斉に甲板から降りていく。


涙と歓声が溢れる一方で、戦士たちの目はなお険しい。


その奥から、リュカに肩を貸され、消耗しきったコールが姿を現した。

血と煤にまみれ、自力で立っていられないほどに弱っている。

リュカが支える声は、必死に助けを求めるようだった。


「誰か! 手を貸して!」


その瞬間、広場は二つに割れた。


「いまなら仕留められる!」

「人間に情けは無用だ!」


刃を抜こうとする声と、反対の声だ。


「違う! この男が仲間を救ったんだ!」

「助けてやれ!」


救いを叫ぶ声がぶつかり合い、村は激しいざわめきに包まれていった。

助けろ・殺せで割れ、怒号が渦を巻く。


そのざわめきに引かれるように船の奥から「影」たちが姿を現す。

黒い靄のように溢れ出し、弱りきったコールの周囲に集まり、守るように立ちふさがった。


「……っ!」

誰かが息を呑む。


影の輪郭は揺らぎ、普段の禍々しさは薄れている。

剣を構えていた戦士たちの喉がごくりと鳴り、数人は「今しかない」とつぶやき、それに連れられ構える者たち。


怒号が飛び交い、影の輪郭が広場に揺れる。

恐怖に剣を握る戦士たちの中から、重い足音が響いた。


「退け! 今ここでその人間を殺す!!」


姿を現したのは、猫族と熊族の族長だった。

二人は声を張り上げ、群衆のざわめきを煽る。


「今この人間を野放しにすれば、必ず禍根を残す!」

「人間どもはあの日も我らを脅かした! こいつを殺すのは今しかない!! 仕留めろ!」


村の戦士たちがどよめき、刃が一斉に上がる。

影はなおも弱々しくコールを守ろうと広がっているが、その姿は不安定で心許ない。


「っ……!」


リュカが歯を食いしばり、コールを庇おうと踏み出す。

その瞬間。


「やめろ!!」


シガが割って入った。

地を蹴る音と共に、獣化した姿のまま、弱々しい影達を背に獣族の前に立ちはだかる。

その姿で立ちはだかるということは、すなわち自らの命をかけ相手の命を奪う意思の現れ。


「……シガ!? 貴様、正気か!」

「黙れ!!!」


シガの声が広場を切り裂く。


「この人間は命を張って俺たちを救った…それを忘れて牙を向けるのなら!! 獣族の誇りなど地に落ちたも同じだ!!!」


怒声に押され、一瞬空気が揺らいだ。

その横に、さらに一人が歩み出る。


「……弟の言う通りだ」


シラヴァ。

無言でシガの隣に立ち、灰狼の戦士として立ちはだかる。


「兄者……!」

「それでも……まだ“敵”だと言うのか?」


緊張が頂点に達した、その時。


「両者待て」


シルヴァクがゆっくりと歩み出した瞬間、空気がぎゅっと締まる。

老獣人の背中には歳月の刻印があるが、その瞳には若き日の獰猛さがまだ燃えている。

噂に違わず、若いころは獣族随一の剛勇――まとめ役として畏敬を集めた男だということが、ひと目で分かる威圧があった。


「まったく、まだまだ目が離せんわい…」


声は低く、だが刃のように切れた。

猫族と熊族の若い族長が咆哮をあげようとした刹那、シルヴァクの一歩が広場の緊張を粉々に打ち砕いた。

老体と嘲笑う者もいるだろうが、その一歩に伴う重みと気合で、彼らの顔色はみるみる変わる。若者たちは無言で視線を落とした。


「わしは、今回の件で船を奪えと指示した者のひとりだ。責は我にあり」


言葉の端に、諦観と覚悟が混じる。続けざまに、シルヴァグは淡々と告げる。


「救われた命の恩をここで切り捨てるというのなら……わしが最初にその報いを受けよう」


その一言で、広場のざわめきは一瞬にして静まる。

シルヴァクが顔を上げると、齢の割にまだ残る覇気が、族長たちの挑発を押し潰した。

彼の存在だけで、向かい合う刃がぐっと下がる。


「わしは長の座を降り。責任はこの老体に取らせてもらう。……それでも、

もしこれ以上この人間を害そうという者がいるなら、まずはわしを討つがよい」


言葉は客観的な決断と受け取られ、怒号は次第に力を失う。

シガの咆哮とシラヴァの静かな支持も後押しとなり、ついに多くは武器を下ろした。

だが村全体の心が完全に収まるにはまだ時間が要ると誰もが知っていた。


シルヴァクは短く頷き、コールの前で背をかがめた。

責任を一身に引き受ける決意が、そこにある。

人々の目は揺れ、賛否は残ったままだが当面の流血は免れた。


その夜、村の空気は一変する。

議論は続き、やはりコールは危険で、船の力は必要だから奪えという意見と、

すでにコールは自らの命をかけてまで自分たちを救ったという事実、その信念は信ずるに値するという意見。


村を、獣族を守るためなら汚名も厭わない意思。

自らの血と誇り、一族を汚さぬ意思。

二つの守る決意は両者折れることはなかった。


「答えが出ぬならば、掟に従うしかあるまい」


灰狼の長シルヴァクの低い声が広場に響いた。


「決闘で決めろ。勝った方の言葉を“真”とする。それが我ら獣族のやり方だ」


どよめく群衆。

名乗りを上げたのは熊族の長。血気盛んに吠える。


「人間を庇うなど愚か! 俺が証明してやる! 戦に情など無用だ!!!」


対する灰狼の戦士――シガが飛び出そうとした。


「…俺がやる! あいつを止める!!」


だが兄シラヴァが腕を伸ばして制した。


「下がれ、シガ。……この場は俺が出る」


低く続ける声は、観衆の胸を打った。


「俺は一度、族長たちの集会で船を奪うことに賛同した。仲間の声に従ったからじゃない。

 ……あの時の俺は、一族を救えぬ自分の力の足りなさから目を背けた。

 誇りを忘れ、安易な答えにすがろうとした……」


シガが振り返り、兄を見つめる。だがその瞳に迷いはなかった。


「だからこそ、今度は退かぬ。誇りを示すのは俺だ! 灰狼の戦士として、

 ここで立つのは俺の務めだ!!」


そう言い放ち、シラヴァは前へ歩み出た。炎に照らされた背は、敗北を知り、それでも立ち上がる戦士のそれだった。


ーーーーー


広場が円形に開かれ、松明が揺れる。

剛熊族の長は獣化し、巨岩のような体躯を揺らしながら前に進む。


ドン、ドン――。


一歩ごとに大地が呻き、砂が跳ね上がる。

その圧に観衆の胸は押し潰されそうになり、ざわめきすら飲み込まれた。


「これが剛熊の力よ! 人間を庇う愚か者は潰すだけだッ!!」


咆哮は夜空を震わせ、耳をつんざく。

その拳が振り下ろされると、まるで山が崩れるような轟音が広場を揺るがした。

シラヴァは拳を避け、背後の石柱が粉砕される。


「やはり、力は本物だな……だが!!」


かすめただけでシラヴァの腕は痺れている。

だがシラヴァは一歩も退かず、鋭い視線を逸らさない。


観衆の端から猫族の長が叫ぶ。


「熊の長よ、潰せ! 灰狼の誇りなど幻にすぎん! 誇りだけで我らすべての一族を救えるものか!!」


その声に呼応し、剛熊族の戦士たちが賛の声をあげる。

灰狼にとっては、群れ全体を敵に回すような圧力だった。


だがシラヴァは退かない。

胸の奥で、弟シガの声がこだまする。


「兄者……我らの誇りを守るのはお前だ」


剛熊の長が再び突進し、両腕を交差させて圧し潰す。

シラヴァは低く潜り込み、爪を閃かせた。

巨体が呻き、赤い血が飛沫を描く。


剛熊の長が咆哮し、巨岩のような拳を振り下ろす。

大地が裂け、砂煙が巻き上がった。


「グォオオオオオ!!」


力の奔流。観衆は思わず後ずさる。


「(やはり、浅いか…)」


シラヴァは低く身を沈め、拳をすり抜けながら唸るように息を吐いた。


……弟シガとの模擬戦の記憶。

……あの人間、コールが放った“あの一撃”。


「……借りるぞ」


巨腕の下へ潜り込み、剛熊の脇を駆け抜ける瞬間。

シラヴァは地を蹴り、灰狼族らしからぬ鋭い回転を伴った足払いを叩き込んだ。


「なッ――!?」


巨体がわずかに揺らぐ。

観衆が息を呑む。

直後、狼の爪が閃き、熊の肩口を深く抉った。


「グォオオッ!!」


怒り狂った熊の長は、両腕を広げて地響きを伴う突進を繰り出す。

まるで城壁そのものが迫るかのような圧。


「潰れろォ!!」


シラヴァは後ろへ逃げない。

正面から一歩踏み込み、低く、鋭く。


巨体の膝へ渾身の蹴りを叩き込み、一瞬で相手の下を抜け背後に回る。

そして上へ跳躍。


「灰狼の誇り……俺が証明する!!!」


宙を裂くように回転しながら、体躯の背中を斬りつけ、血しぶきが撒き散らされる。


剛熊の長が仰け反り、荒い息を吐いたまま膝を落とす。


「おのれぇッ」


「……誇りを失った戦士に、力を持つ資格などありはしない!!!」


観衆のざわめきは、やがて轟きへと変わる。

「灰狼!」「シラヴァ!!」

狼たちの咆哮が夜を揺らした。

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