第20話 炎の街 、影の帰還
コールが飛び降りてから下を覗いていると、街に火が走った。
夜空を裂くように炎が広がり、赤い光が船の甲板まで届く。
「……はじまった」
胸の奥が熱くなる。あれはコールの合図だ。
私は振り返り、舵を握るウィンスキーとハイポールに叫んだ。
「行くよ!」
船体がきしみ、街へと急降下していく。
燃え上がる街を横目に、私は甲板から影たちへ声を張った。
「合図したら一気に扉を壊して!」
……コールの声が頭の中で蘇る。
『突っ込んで一気にさらえ、迷うな』
その乱暴な指示を、今は信じられる。
無茶でも、あいつのやり方はいつも正しかった……。
船が建物にこすれ、轟音とともに瓦屋根を砕きながら突撃し続ける。
火の粉が舞い上がり、甲板全体が赤く染まる。
ハイポールは無言で舵を握りしめ、呆然と前だけを見ている。
その隣でウィンスキーも、ただ一点、目標の倉庫をじっと睨んでいた。
二人とも迷いがない。コールに言われた通り、突っ込むことしか頭にない。
「ちょっ……ちょっと!? ほんとに突っ込むの!? ぶつかる! ぶつかるってば! そくど! そくどぉお!!?」
影たちはコールの命令に絶対だ。
その徹底ぶりに、思わず私の背筋が冷たくなる。
彼らは表情ひとつ動かさず、ただ命令通りに進むための“力”そのもの。
「うぁあああ!?(本気で突っ込む気だ!?)」
瓦礫が次々と甲板をかすめ、火の粉が髪に降りかかる。
もうこうなったらやけだ。私は必死に声を張り上げた。
「あぁもう!! 突っ込めぇえええ!!」
悲鳴は雄叫びに変わり、船はそのまま倉庫に突っ込み、門と壁を突き破る。
分厚い扉が木っ端みじんに砕け、鎖の音と獣の咆哮が夜空に響いた。
兵の怒号。
獣族の雄叫び。
街は一瞬で混沌に包まれた。
心臓は爆発しそうなのに、不思議と迷いは消えていた。
「……よし。よし!!!」
――――――――――――――――――――――――
市場の広場では、焼けた瓦礫の破片が雨のように降り注ぎ、地面が震えていた。
兵士の怒号、奴隷の鎖が弾ける音、獣の咆哮……すべてが渦を巻いて広場を呑み込む。
その中心に、俺はいた。
影が俺の四肢に絡みつき、肉と骨に染み込み始める。
血の匂いが肺を焼き、胸の奥から笑い声が勝手に溢れた。
「イィヒャッヒャッヒャッ!!!」
剣を構えた兵が数人、恐怖に足を止める。――遅い。
一歩踏み出した瞬間、一筋の残像が走り、鎧ごと肉を貫いた。
鈍い破裂音。返り血が顔に降りかかり、熱を帯びた視界がさらに赤く染まる。
「うぉぉぉおおおおお!!!」
残りの兵が突っ込んできた。
炎と煙を背負った群れが、蟻のように押し寄せてくる。
だが、影の一振りで十人は空を舞った。
壁に叩きつけられ、骨が粉々に砕け、血が石畳を濡らす。
止まらない。
抑えも効かない。
ただ潰す。
ただ蹂躙する。
頭の中で響いているのは、影と俺の狂った鼓動だけ――。
炎の揺らめきが影を巨大に歪ませ、石畳に獣のような姿を描き出す。
兵たちは剣を振り上げることすら忘れ、恐怖に目を見開いた。
「ひっ……ひぃぃいい!!」
「で、でたぞ……影の怪物だ!!!」
背を向け逃げ出した兵士の背骨を、伸びた影が貫く。
骨が裂ける音と共に血飛沫が噴き上がり、周囲に赤い霧が広がった。
俺はその熱を浴びながら、喉の奥で笑いを噛み殺す。
止まらない。
もっとだ。もっともっともっともっともっともっともっともっと――
もっと壊せ!!!!!!!
影の腕を振り抜く。
市場に積まれていた荷台が粉砕され、鉄檻がねじ切れた。
中から飛び出した獣族の瞳が、自由の光を取り戻していく。
「おおおおおお!!!」
「いまだ! 走れぇええ!!」
奴隷の叫びが次々と響く。
その声が炎にかき消される前に、俺はさらに影を叩きつけた。
石造りの詰所がまとめて崩れ落ちる。
悲鳴と共に押し潰された兵士たちの姿は瓦礫の中に消えた。
血の匂いが濃くなり、喉が焼けるほどに甘く感じる。
「ヒャハハハハハ!!!!」
もう理性は薄皮一枚あるのかどうかもわからない。
燃え盛る街の真ん中で、俺と影はただ、破壊を積み重ねていった。
――――――――――――――――――――――――
何度か森を往復し、船は再び街へ降りていく。
炎の海の中をすり抜け、いくつかの倉庫をすでに回ってきた。
女や子ども、戦士崩れたちも次々と飛び乗り、甲板はすでに足の踏み場もないほど。
だが、これが最後…。
「……まだだ! コールが残ってる!」
私は前を睨みつけ、舵を切るハイポールに叫ぶ。
船体が炎を照り返し、赤く染まる。
その先に――いた。
広場。
炎と瓦礫の渦の中心で、コールが立っていた。
全身を黒い影に覆われ、兵士たちを次々と切り裂き、叩き潰していく。
振り抜かれる影の腕に、盾も槍も紙のように砕け、肉と骨が飛散する。
「っ……!」
思わず喉が詰まった。
あれは……人間じゃない。
けど、私は知っている。あの影の奥にいるのは、コールだ。
兵士たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、他の奴隷たちも鎖を断ち切り、広場から駆け出していく。
その姿を見て、胸の奥に熱いものが込み上げた。
助け出せている――でも、このままじゃ、コール自身が燃え尽きる。
「コール!!」
私は甲板の手すりに身を乗り出し、炎の渦の中へ声を張った。
影の動きが一瞬だけ止まった。
赤黒い光に染まった目が、こちらを振り返る。
その口元には、まだ笑みが残っている。
「もう十分だ! 戻れ!!」
兵たちが悲鳴を上げながら逃げ散る中、コールは瓦礫を跳ね飛ばして駆けた。
足場が砕け、炎の粉塵が舞い上がる。
次の瞬間、人の形をしたものが船へ飛び乗った。
足音が甲板を震わせ、影の気配がまだ周囲を漂っている。
獣族たちは歓声を上げかけて……声を飲み込んだ。
助けられたはずの彼らの瞳に浮かんでいるのは、感謝ではなく怯えだった。
鎖を断ち切られたばかりの獣人の子どもでさえ、母の腕にしがみつき、コールから目を逸らしている。
まるで血の溜まった樽にでも浸かったように、体から絶え間なくぽたぽたと血が滴り落ちる。
影に覆われたその姿は、恐怖そのものだった。
私は無意識に後ずさった。
だがその前に、ウィンスキーとハイポールが立ちはだかった。
いつもの間抜けな仕草もない。
ただ無言で、私とコールの間に壁のように立ち、全身で守るような形をとっていた。
……彼らも感じているのだ。
いま目の前にいるのは船長コールではなく、影に呑まれた“怪物”だということを。
……それでも。
「コール、あんたのやり方はいつも無茶だけど……正しかった。だから…」
コールは何も答えない。
「…帰ってきてくれよ!!」
ただ赤く爛れた瞳を伏せ、口元に薄く笑みを残したまま、影は静かに収まっていく。
影が霧のようにほどけ、中からコールが現れた。
その体は血とすすにまみれ、膝と手を甲板につく。
荒い息が喉を焼き、まだ影の残り火が肌を這っているように見えた。
その瞬間まで無言で棒立ちだったウィンスキーとハイポールも、嫌な気配が消えた途端、まるで何かの糸が切れたように駆け寄った。
大げさに肩を差し出し、左右からコールを支える。
よろめいた拍子に三人まとめて転びそうになり、思わず私は息を呑んだ。
――戻ってきた。
コールは荒い息を吐きながらも、私を見て小さく言葉を落とした。
「……助かったぜ」
コールは二人の肩にすがるまま、舵へと続く階段に背を預けて座り込んだ。
荒い呼吸の合間に、一言だけ吐き出す。
「……引き上げだ」
その声は掠れていたが、命令として十分だった。
ウィンスキーとハイポールが無言で頷き、操舵へ駆け上がる。
船体が軋み、炎に包まれた街からゆっくりと離れていく。
甲板には救い出された獣族たちの息づかいと、まだ冷めやらぬ恐怖のざわめきが満ちていた。
私はその中で、舵下に座り込むコールを見下ろした。
燃え尽きてなお、最後まで船を動かす号令を出した姿に、胸が締め付けられる気がした。
気づけば…声が漏れていた。
「……お帰り」
自分でも意外だった。
ただ、そう言わずにはいられなかった。
まるで長い戦から帰ってきた誰かを迎えるみたいに。
コールが一瞬だけ目を開き、こちらを見た。
その瞳に驚きが宿る。
荒い息の合間に、ほんの一瞬だけ。
「……あぁ」
掠れた声で答えると、そのまま背を預けて目を閉じ……
その口元には、かすかな笑みが浮かんでいたのが見えた。




