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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第218話:後始末


草原の空気が、ようやく落ち着き始めた頃だった。


 影はすべて消え、

 風の音と、誰かの荒い息だけが残っている。


 ――その時。


「だ、旦那ぁぁーっ!!」


 遠くから、甲高い声。


 次の瞬間、

 草原の端から一人、転がるように駆け込んでくる影があった。


 ファッロだ。

 ハッリの弟。


 息は切れ、顔は真っ青。

 足元もおぼつかない。


「た、大変だ! 来てくれ! 今すぐ!!」


 全員の視線が、一斉にそっちを向く。


 俺は、短く息を吐いて立ち上がった。


「……何があった」


 ファッロは膝に手をつき、

 それでも必死に顔を上げる。


「町で……! 地上の奴らと、揉めてる……!」


 言葉を探す余裕もない。


「みんなと、あの新顔で!」


 草原の空気が、変わった。


 俺は一度だけ、後ろを見る。

 誰も、止めようとはしなかった。


「……分かった」


 それだけ言って、歩き出す。



ーーーーー


 広場に近づいた時点で、分かった。


 音が、違う。


 いつもの呼び声でも、挨拶の声でもない。

 低く、ざらついた声が、重なっている。


 俺が足を止めた時には、

 すでに人だかりができていた。


 円だ。

 綺麗な円。


 囲む形で、

 住人たちが、互いに顔を突き合わせている。


「……なんだ」


 嫌な予感しかしない。


 俺は人の肩越しに、輪の内側を覗いた。


 見えたのは――アスハだった。


 腕を広げ、前に出ている。

 顔は紅潮して、声は鋭い。


「だから、騙されてるって言ってんのよ!!」


 その声に、周囲がざわめく。


「なんてこと言うんだ!」

「あの人は島の恩人だぞ!」


 住人の一人が、噛みつくように返す。


「恩人?」


 アスハが、鼻で笑った。


「はぁ!? 頭腐ってんじゃないの!?」


 一瞬、空気が凍った。


「あの人が、そんなことするわけないでしょ!」


「全部、あんたたちが見てないだけよ!」


 俺は、息を吐いた。


(……これか)


 シンの声が聞こえる。


「ア、アスハ……やめなって。ここで言い合っても……」


「うっさい!」


 即答だった。


「だっておかしいでしょ! 島を救った? 英雄?……

 あいつのせいで私達の故郷は!!」


 住人たちの目が、険しくなる。


「侮辱だぞ!」

「船長さんが来てから、島は救われた!」


「だから何!? その人のせいで、壊れた場所もあるでしょ!」


 ――ああ。


 完全に、噛み合っていない。

 でもどちらも、間違っていないからだ。


 輪は、どんどん狭くなる。

 声は、上書きされていく。


 誰かが言った。


「船長さんが悪い人なわけない!」


 別の誰かが続ける。


「島を、ノッタを救ってくれた人だぞ!」


 その言葉が、刃になる。


 俺はすこし、ただ見ていた。


 アスハの怒りも、

 住人たちの信仰も。


 その全部が、

 俺の名前でぶつかっているのを。


 そして、思う。


(……これが、俺の後始末か)


 誰かが救われてる一方、

 誰かを俺が壊した。


 その両方を、

 俺は、否定できない。


 輪の中心で、

 アスハが叫ぶ。


「そんなにいい人なら――なんで、全部を救わなかったのよ!!」


 その言葉が、

 胸に、深く刺さった。


 ――もう、黙ってはいられない。


 俺は、輪の中へ歩み出た。


 ざわついていた声が、

 足音ひとつで、目に見えて揺れた。


「……あ」


 最初に気づいたのは、ナイだった。

 顔が強ばり、言葉を失う。


 その視線の先で、

 シンが、はっと息を呑んだ。


「……コールさん……」


 声は低く、焦りが滲む。

 状況を見ただけで、理解した顔だ。


 少し後ろで、

 ハッリが歯を噛みしめている。

 ファッロは、青い顔のまま、

 自分が連れてきたことを後悔しているようだった。


 輪の中心。


 アスハは、俺を睨み返していた。

 怒りだけじゃない。

 恐怖と、焦りと、

 後戻りできないところまで来た自覚。


 住人たちの視線が、

 一斉に、俺へ向く。


 期待。

 拒絶。

 信仰。


 その全部が、

 俺の名前で、渦を巻いている。


 俺は、息を吐いて――言った。


「やめろ、おまえら」


 一瞬で、音が消えた。


 誰かの喉が鳴り、

 誰かが、言い返そうとして――飲み込む。


 俺は、アスハから目を離さず、続ける。


「どっちも本当だ。俺は、一人を助けるために

 コイツらの故郷を犠牲にした」


 住人の一人が、

 思わず声を漏らす。


「……そんな……」


 否定したい声だ。

 でも、否定できない。


 俺は、言葉を重ねる。


「お前らにとっては、俺がノッタを助けるために

 この島全部を滅ぼしたのと同じだ」


 ナイが、ぎゅっと拳を握る。

 視線が揺れ、足が半歩引いた。


 シンは、唇を噛んだまま、

 何も言えない。


 俺は、はっきり言う。


「だからこの子は間違ってねぇ……」


 アスハの肩が、わずかに震えた。

 声を張り上げていた喉が、

 言葉を失う。


 住人の中から、

 反論が出かけて――止まる。


 俺が、続けたからだ。


「両方事実だ。……だがそれで、

 お前らは俺を悪人だと思うか?」


 答えは、出ない。


 誰もが、

 「はい」とも

 「いいえ」とも言えない。


 その沈黙を、

 俺は、正面から受け取る。


「ならそれでいい」


 開き直りじゃない。

 投げ出しでもない。


 ただの、引き受けだ。


「だからこの子は攻めるな。俺がやったことだ……」


 言葉が落ちたあと。


 誰も、声を荒げなかった。


 怒りは残っている。

 納得もしていない。


 だが、

 “誰を吊るすか”という空気だけが、

 確かに、壊れていた。


 俺は、ゆっくりと視線を動かした。


 アスハ。

 シン。

 ナイ。


 三人を、順に見る。


 誰も、すぐには目を逸らさなかった。


「……行くぞ」


 それだけ言って、

 俺は踵を返す。


 広場から少し離れた。


 喧騒は背後に残り、

 足音と、風の音だけがついてくる。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 最初に、シンが立ち止まる。

 一歩下がり、深く頭を下げた。


「……ありがとうございました、コールさん」


 さっきより、静かな声。


 その瞬間。


「はぁ!?」


 アスハが、噛みつくように声を上げた。


「何でお礼なんて言ってんのよ!!」


 振り返り、シンを睨む。


「こいつがやったって自分で言ったじゃない!

 私たちの故郷を壊した張本人よ!?」


 シンは、反論しない。

 ただ、真っ直ぐ答えた。


「……それでも、だよ」


 短く。


「少なくとも、あそこから助けてくれた」


 アスハは言葉に詰まり、

 悔しそうに歯を噛みしめる。


「ッチ……綺麗事」


 吐き捨てるように言って、

 俺のほうを見る。


 その視線は、刺すようで、

 でも、逃げ場を探している目だった。


 そして――ナイ。


 黙って歩いていたナイが、

 不意に足を止めた。


「……コール……さん」


 声は小さい。

 でも、逃げない。


「どうして……ですか?」


 俺は、歩みを止める。


 ナイは、続けた。


「どうして……見捨てたんですか」


 言葉が、少し震える。


「厄災を……放って行ったんですか」


 責めてはいない。

 理解しようとしている。


 だからこそ、

 重い問いだった。


 俺は、少しだけ空を見てから、

 ナイを見る。


「見捨てたんじゃない」


 即答だった。


「選んだ」


 アスハが、息を呑む。


 俺は、淡々と続けた。


「全部を救えると思ってたら、ルミナを攫ってなんかいないさ」


 ナイの目が、揺れる。


「厄災は……止められなかった」


 俺は、首を振る。


「いや……止めなかった」


 沈黙。


「止めれば、

 あの瞬間、別の誰かが死ぬと分かってた」


 アスハが、声を荒げる。


「じゃあ何!? それで正解だって言うの!?」


「そうだ」


 俺は、即座に返した。


 迷いはない。

 考える間も、いらない。


「なら逆に聞く」


 俺は、アスハを見る。


「シンとナイ。それか、見ず知らずの国」


 淡々と、並べる。


「どっちか一つしか取れないなら、

 お前はどっちを選ぶ?」


 アスハは、言葉を失った。


 口を開きかけて、

 でも、何も出てこない。


 ナイが、息を呑む。

 シンは、目を伏せた。


 俺は、続ける。


「俺は、迷わない」


 声は低い。

 言い訳の色は、ない。


「俺が助けると決めた世界は、全力で守る。

 だがな、それ以外を、同時に抱えるつもりはない」


 アスハが、かすれた声で言う。


「……それが、正しいって言うの?」


「言わない」


 即答。


「正しいかどうかは知らん。

 だが、後悔はしてない」


 空気が、張りつめる。


「ルミナの国は、

 ルミナが死ぬのを“当たり前”としてた」


 ナイの肩が、わずかに揺れた。


「気持ち悪かった。……死んで当然だって顔で、あいつを見てた」


 俺は、視線を逸らさない。


「そんな場所のために、

 仲間を危険に晒す気はない。だから……見捨てた」


 アスハが、歯を噛みしめる。


「……最低」


「そう思うなら、それでいい」


 俺は、静かに言った。


「でも俺は、

 自分が選んだ命を切り捨てる気はない」


 沈黙。


 ナイが、ゆっくりと息を吐いた。


「私には……分かりません。

 でも……聞けて、よかったです」


 理解ではない。

 拒絶でもない。


 ただの、受け止め。


 シンは、何も言わず、

 それでも一歩、俺の後ろに立った。


 アスハは、拳を握りしめたまま、

 俯いている。


 俺は、歩き出す。


「行くぞ」


 答えは、強制しない。

 ついてくるかどうかも、選ばせる。


 それでも俺は、

 選んだ道を、歩き続けるだけだ。

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