第164話:草原の再会と、生存証明
朝の風が静かだった。
甲板に立つと、焚き火の匂いがほんの少しだけ残っている。
後ろでリュカたちの声が聞こえた。
「シガたち、相変わらず強かったなぁ。あたし、腕まだ痛ぇし」
「何も考えずに突っ込むからよ……」
シアが呆れ気味に返す。
リネアは船縁に指を置きながら、小声で続けた。
「……でも、あの村……好き。焚き火の音、まだ耳に残ってる」
ネラは淡々としているが、リネアの言葉を聞いて嬉しそうな顔をした。
そうして告げる言葉には少し柔らかさがあった。
「獣族は荒々しいが、裏が無い。そういう気質は……悪くない」
皆がそれぞれの形で“帰ってきた場所”を振り返っていた。
リュカが振り返って俺を見る。
「コール、お前さ……。村の中でもほんとに家族みたいだったな」
「……あいつらの方が勝手に決めてるだけだ」
そう答えると、リュカは笑った。
「そーいうとこだぞ?」
会話はそこで自然に切れた。
甲板に落ちる影と風の音が、しばらく静かに流れる。
――やがて、遠くに大地が見えた。
整った防壁。
大小の建物が沿って中央に伸びる。
川と森が国を抱くように囲んでいる。
「……オルデアが見えました」
シアの声が低く響く。
俺は舵をわずかに傾け、港を避けるように針路を変えた。
「港は使わねぇ。森に下ろす」
「だよな、さすがに船で突っ込んだら騒ぎになんだろ」
リュカが頷く。
リネアが不安そうに近寄る。
「……姿、変える?」
「ああ。ナイルだった頃の話が残ってる国だ。余計な目は避けてぇからな」
森の縁が見えてきた。
イルクアスターの影が緑に落ちる。
音を立てないよう降下し、枝を揺らさない程度にゆっくり船を着地させた。
「じゃあ、行ってくる」
俺がそう言うと、四人とも小さく頷いた。
「コール様、お気おつけて」
「問題起きたら呼べよ?」
「……不用意に魔力を使うな」
「…いってらっしゃい」
言葉を背に受けて、冒険者装備の俺は船を降りた。
森は湿り気のある空気で満ちていた。
葉の影、踏む土、鳥の鳴き声。
ナイルとして歩いていた頃とは違う――
だが、ほんのわずかに懐かしさが混じっている。
フードを深く被り直し、オルデアに向かう。
(……これでいい)
森を抜けるまで足音を殺して歩く。
陽が差す方向が強くなると――視界が一気に開けた。
草原。
風が大きく揺れて広がっていく。
遠くに、オルデアの城壁が見えた。
(……さて。行くか)
冒険者の姿で草原に歩き出して――三歩目。
地面が、震えた。
ドドドド……と腹の底に響く振動。
振り返るまでもなく分かる。馬脚の軍勢だ。
(……早えな。相変わらず見張りは優秀だな)
遠くに白い土煙の帯。
その中から、槍の穂が太陽を反射していた。
ケントール騎兵――キリサの隊だ。
完全に“迎え撃つ布陣”を組んでこちらへ向かってくる。
俺は足を止め、両手を軽く上げてやった。
先頭の白銀の馬体が速度を落とし、
俺の目の前でピタリと停止する。
槍を持つ上半身は凛として、
蹄だけが抑えきれないように地面を鳴らしていた。
キリサだった。
「……そこの冒険者」
わざと冷たく、形式張った声。
「武器から手を離し、その場に立て。
――名を名乗れ。外の者よ」
(はい出た、“外の者”扱い)
よっぽど嬉しいんだろうが、絶対に表に出さねぇタイプだ。
俺はゆっくりフードを下ろした。
風で髪が揺れた瞬間――
後方の騎兵たちが一斉にざわめいた。
「っ……隊長!?」
「まさか……え、嘘だろ……!?」
「ナイル隊長……!?」
「静まれ!」
キリサが一言だけ言うと、
全員がピン、と背筋を伸ばして黙った。
キリサは俺を真っ直ぐ見た。
「……名を」
「コールだ。
――まあ、この国じゃ“ナイル”って呼び名の方が早いかもな」
ケントールたちが息を呑む。
「やっぱり……!」
「だって墓が……」
「生きて……?」
キリサは槍の石突をトン、と軽く地面に落とし、
表情だけは変えない。
「墓には“ナイル”という名が刻まれ、
国はその死を悼んだ。埋葬も、追悼式も行われた」
声は淡々。
だが馬体の尻尾だけ、僅かに揺れてる。
これ、完全に感情を抑えてる動きだ。
「――にもかかわらず」
槍の穂先が、俺の胸元の高さまで上がる。
「名を名乗れば本人であると、
簡単に信じるほど我らは甘くはないぞ?」
はいはい。
これは“本気で疑ってる”んじゃなくて、
“帰ってきたお前が本物だと、儀礼上ちゃんと確認しないと気が済まない”
って顔してる。
「じゃあ聞けよ」
俺は槍先を気にせず言った。
「――土の味はもう覚えた。
二度と墓から這い出たくはねぇからな」
後ろの隊員たちは口を押さえて震えてる。
「墓……!?」
「本当に……!?」
「幽霊じゃないよな……?」
キリサの唇が、ほんの一瞬だけ震えた。
笑いかけて……必死で堪えたように。
「……証明にはならん」
「はいはい。なら答えるよ」
俺は槍先を指で押し返しながら、軽く顎をしゃくった。
「――何だあれ!防壁の上。見ろよ!ヤバいぞ!」
キリサの耳がピクリと動き、
後方のケントール騎兵たちも反射で視線をそっちへ向ける。
「どこですか隊長!?」
「なんだ!?」
「鳥か!?」
「魔物か!?」
その一瞬の隙。
俺は軽く助走し――
ひょいっ
と、キリサの馬体に乗った。
蹄の音が止まる。
草原の風も止まる。
騎兵全員が止まる。
世界が止まった。
そして――
「いや〜、懐かしいな」
「………………ッ!?」
キリサの顔が、真っ赤になった。
部下たちが悲鳴を上げる。
「き、き、キリサ隊長に……乗ったぁぁぁぁ!!?」
「うそでしょ!?あれってつまり――!?」
「つがい儀礼の……直接行為ここでか……!?」
「え、え!?昼間に!?草原で!?プロポーズ?!」
皆一斉にどよめき、
女性陣のケントールは口元を手で覆い、震えている。
人間で言う「公衆の面前で押し倒されてキスされた」
くらいの大事件だった。
キリサの馬体はガタガタ震え、尻尾が爆発したみたいに逆立った。
「……ナ、ナ、ナ、ナイル……!!」
俺は悪びれず、昔話を始めた。
「ほら?あの時もこうやって一緒に戦っ――」
言い終わる前に、
「――――貴様ァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
空気が爆ぜた。
キリサが完全に“羞恥暴走モード”に突入する。
「なんで!!
なんでぇ!!
よりにもよって!!
こんな草原のど真ん中でぇぇぇ!!」
蹄が地面を砕き、砂塵が舞う。
「やめて隊長ーーー!!ナイル隊長降りなさいーーー!!」
「ナイルーー!!降りろーー!!死ぬ気かーー!!」
部下の絶叫が飛ぶ。
俺は軽く身を後ろに引き、キリサの背からひょいっと飛び降りた。
「おいおい、暴れすぎだろ!」
「暴れさせたのは貴様だぁぁぁぁ!!」
キリサが真っ赤な顔で槍を構え、地響きを立てて突進してくる。
完全に“理性崩壊”。
(あー……こりゃまずい)
ニヤッとして、俺は横に跳ぶ。
キリサが爆速で通り抜け、草原に長い溝を作った。
「逃げるなぁぁぁぁナイルぅぅぅ!!!
恥を!!恥を返せぇぇぇぇぇ!!」
後ろで部下たちは慌てて追いすがる。
「隊長やめて!評議に報告できない方になっちゃいますよ!!」
「このままじゃ“隊長が草原でつがい”の事件に!!」
「本当にシャレになりません!!」
「誤解すんな!ただの証明だ!」
俺が叫んでも、
「名乗っただけで十分なんですよぉ!!!」
「いや名乗ったわ!」
部下の言葉に返答するも、時すでに遅し。
キリサが爆走する。
「ナァイィルゥゥゥゥゥ!!」
「はいはい。悪かったって〜」
「悪くない顔して言うなぁぁぁ!!」
草原に怒号が響き渡り、鳥が全員逃げた。
そして――
追いかけっこをしばらく続けた頃、キリサの顔が羞恥のあまり限界に達したのか、
「きーーーっさまはぁぁぁぁ!!
評議に引きずってでも連行する!!
覚悟しておけぇぇぇ!!!」
そんなことを叫びながら、再び突撃してきた。
俺は遠くの城壁を見て、肩をすくめる。
(……まあ、オルデアの連中に生存証明するにはちょうどいいか)
そしてまた走る。
キリサも走る。
隊員たちも走る。
草原のど真ん中で、
騎兵隊vs復活した男の追撃戦が始まった。
―――――
草原をひたすら逃げ回り――
ようやく、キリサの追撃が止まった。
いや、止まったんじゃねぇ。
部下が両側から全力で押さえてるだけだ。
「隊長、止まってください!!」
「落ち着いてください!! 恥の暴走です!!」
「離せぇぇぇ!! あやつに!! あやつに恥を返さねばぁぁ!!」
俺は草の上に倒れ込み、息を切らして空を仰いだ。
(……死ぬほど走った……)
追いつかれたら刺されると思ったから死に物狂いだったが、
正直、足はもう笑ってる。
キリサは押さえつけられたままガタガタ震えていた。
「ナイルのやつめ……っ!覚えておけ……!」
「隊長、あれは……その……
“証明”のためだったのでは?」
「証明で乗る奴があるか!!」
まあ、たしかに。
俺もあれは軽率だったと思う。
けど、いい感じに“本物”だって示せたのは事実だ。
……たぶん。
息を整えて起き上がりかけたところで、
草原の向こうから重い足音が近づいてきた。
ドスッ……ドスッ……ドスッ……
あの足音は――熊獣人。
「おーい、キリサぁ!」
野太い声が響き、
一団を率いた熊の獣人が姿を現した。
バルグだ。
相変わらず肩幅が家一軒分ありそうな図体で、
後ろに衛兵隊がずらりと並んでいた。
バルグは状況を見るなり顔をしかめる。
「……なんだこの騒ぎは」
キリサが部下に押さえられたまま怒鳴る。
「バルグ! 貴様遅いぞ!!
ナイルが! ナイルがとんでもないことを――!」
「はいはい、暴れるな隊長。見苦しいぞ」
バルグはぶっきらぼうに言い捨て、
俺の方へドスドス歩いてきた。
影が落ち、俺は草の上で見上げる形になった。
「…………」
バルグは何も言わず、しばらく俺を見下ろしていた。
その顔は――怒ってるようにも、安堵してるようにも見える。
そして、低い声で一言。
「ッハ!……まじ生きてんのか坊主!」
「おう、見てのとおりな」
バルグは鼻を鳴らした。
「……墓まで作ったんだぞ。国中で騒いだんだぞ。
お前のせいで、俺は三日寝てねぇんだ」
「悪かったって」
「悪いと思ってねぇ顔だな」
そう言いながらも、
バルグはさりげなく俺の腕をつかんで起こしてくれた。
乱暴だが、力はちゃんと加減してある。
(……ほんと、コイツも変わらねぇ)
後ろで衛兵たちがざわめく。
「間違いなく……ナイル隊長だ……」
「生きてたのか……」
「ほんとに……?」
バルグは衛兵たちに振り返り、短く叫ぶ。
「全員聞け!
こいつは――ナイルだ。
ただし“死んだはずの兵士”だ。扱いは俺が預かる!」
「「「「はっ!」」」」
一斉に姿勢が整う。
バルグはまた俺の方へ向き直り、
ぶっきらぼうに腕を組んだ。
「……で。生き返った理由はどうでもいい。
問題は――お前がまた厄介事を持ち込んでねぇかどうかだ」
「いや、持ってきてねぇよ。今回は仕事だ」
「仕事?なんだそりゃ?」
バルグは鼻で笑った。
「お前の“仕事”はいつも、
国をひっくり返すか死人を増やすかの二択だろ」
「それは……否定できねぇ」
「できねぇだろうな、ハッハッハッハ!」
そう言って、笑った。
「……戻ってきたなら、まずは報告だ。」
バルグは草原の方向を顎で示し、怒鳴った。
「全員撤収! キリサ隊は暴走した分、二倍で帰還走だ!」
「なっ!? なぜ我々だけ――!」
「暴走したやつから罰されるのは常識だろうが!!
あとな、草原をえぐった溝は後で埋めろ! お前らの尻で!」
「そ、そんなぁぁぁ!!」
キリサが押さえられながら絶望の声を上げ、
騎兵たちは泣きそうな顔になっていた。
バルグはそれを完全に無視し、俺の肩を押した。
「立て。歩けるか」
「まあな」
「じゃあ行くぞ。
お前の“復活”を評議に説明する……面倒な仕事の始まりだ」
バルグはため息をつきながら歩き出した。
その背中を見ながら、俺は苦笑する。
(……帰ってきたって実感は、意外とこういう時に湧くもんだな)
草原の風が、静かに吹き抜けた。
――――
俺は早速、バルグ達に連れられて、中心にある議事堂にいた。
そこで手短に空島の存在を説明し、静かなざわめきが収まったあと。
評議長がゆっくり立ち上がった。
「……空を行く島。その維持に“魔石”が不可欠、ということで間違いないのだな?」
「ああ。魔力が尽きりゃ島ごと落ちる。
使い切った魔石は“空の魔石”になって残るだけだ」
広間の空気が一度固まる。
それは恐れではなく、“理解の重さ”だった。
ドワーフの代表が、腕を組んだまま唸る。
「空の魔石か……見せてもらったがコイツは加工しやすいし、これだけ綺麗に抜き取られてりゃむしろ価値がある。
だが、空島はそれを“礼”として我らに渡す気でいる、というわけか?」
「そのつもりだ。あんたらには命を助けられた。
空島は地上で信用できる国を選ばなきゃならねぇ。
俺は…オルデアなら裏切らねぇと分かってる」
その言葉に、獅子獣人の議員が鼻で笑った。
「ほう……我らをそこまで見ているか。」
「見てるさ。
お前らは弱い者を利用しねぇ国だ。力の差で縛る国でもねぇ。
空島とやり合える地上の国は、正直オルデアしかねぇよ。」
場が静かに熱を帯びた。
すると、鹿族の評議長が軽く手を挙げた。
「ではこちらからも提案しよう。」
視線が一斉に彼女へ向く。
「“空の魔石”を我らに売るのは構わない。
だが――それだけでは取引が一方的になりすぎる。」
「……?」
評議長は穏やかに笑った。
「オルデアは対等を旨とする国だ。
空島に必要なのは魔石。
であれば――我々からも“通常の魔石”を報酬として渡したい。」
広間がざわめく。
キリサやバルグも僅かに目を見開いた。
評議長は続ける。
「空島が地上に頼らねばならぬ以上、
こちらだけが利益を得る形にはしたくない。
“困った時は互いに支え合う”――それがこの国の流儀だ。」
獅子の議員が補足する。
「政治的にも意味はある。
だがそれ以上に“平等の原則を崩さない”という我らの意志表示だ。」
翼族の代表が頷く。
「空島は遠く離れた隣人。
対等であるからこそ長く続く。」
評議長が改めてコールを見る。
「ナイル…いや、コール。
これは、空島に対する我らオルデアからの“友好の証”だ。
受け取ってもらえるか?」
その言葉に最期の肩の荷が降りた。
短く息を吐き、微かに笑った。
「……そう来ると思ったぜ」
俺は手で銃の形を作っていたずらっぽく撃つ。
評議長の眉が上がる。
「空島の連中も、今は自分たちの力…自分の足で立ち上がってる最中だ。
だからこそ“誰かに一方的に助けられる”ってのを嫌う。
対等じゃねぇと、逆に構える。
――あんたらならそう言うと思ってたぜ」
そして姿勢を直し、胸に手を当てて頭を下げた。
「受け取る。
空島にとっても、その方が筋が通る」
評議会が静かにざわめき――
やがて、正式な宣言が降りた。
「では、オルデアと空島は“対等の取引国”として結ぶ。
空の魔石は我らが買い取り、
その対価として地上の魔石を提供する。」
「この協定の存在は国家機密とし、外部には伏せる。」
「空島は地上の隣人。
我らはその友であり続けよう。」
会場に、柔らかな重みが落ちた。
(――これだ。だから俺はオルデアを選んだんだよ)
空島を利用しようとせず、
隷属させようともせず、
ただ“関係を対等に保とうとする”。
その姿勢が、この国のすべてを物語っていた。




