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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第145話:星の下で


 夜になり、島は昼の喧騒が嘘みたいに静かだった。


 波のせせらぎと、風の音だけが響く……。


 甲板の先端――船の鼻先に近い、風がいちばん通る場所に寝転がると、

 満天の星がすぐそこに降りてくるように見えた。


「……やっぱ、綺麗だな」


 潮風がひやりと頬を撫でる。

 髪がふわりと揺れて、海の匂いが微かに混ざっていた。


 昼間はあれだけ騒がしかった。

 リュカも、シアも、リネアも、ネラも……

 はしゃぎに、笑いに、喧嘩に、逃走に、全力だった。


 その“余韻”がまだ胸の奥に残っている。


「……にしても、疲れた……」


 腕を頭の下に入れて空を見上げる。


 星はまるで海に浮かんでいるみたいで、

 静かで、遠くて……だけど、どこか暖かい。


 隣には樽のカップ。

 中身はウィンスキーが注いだフルーツ酒。


 風の音に同化するような、静かな時間。


(……こういう夜は、久しい)


 ふと、深く息を吐く。


 なんか……胸の奥に、うっすら影が残っている。


 楽しい一日だったはずなのに、

 どこかで引っかかっているものがある。


「…」

 

 ふと…頭に浮かび上がる、

 あの夜――シアの涙。


 放ってしまった言葉……。

 受け止めてやれなかったシアの気持ち。

 逃げるように去っていった背中。


(……笑えてたけどな。今日のシアは……どう思っていたんだろうな……)


 水着を恥ずかしがって、

 リュカに怒って、

 海でみんなの面倒を見て、

 笑って、怒って、照れて……


(でも……あれで、全部消えたわけじゃねぇよな)


 波の音と風だけが答えてくれる。


 俺はカップを手に取り、口を少しつけた。


「……はぁ……しみるぜ……」


 喉を通る甘さと熱さが、

 昼間の温かい記憶と

 夜の冷たい痛みを、同時に落ち着かせていく。


 星を見ながら、ひとりで静かに考えた。


(……シアは良い子だよ……だけどなぁ)


 夜空は高く、冷たく、どこか優しい。


 俺はゆっくり目を閉じた。


 そんな時だった――

 小さな足音が二つ。

 甲板の入口から、かすかな声が重なった。


「……コール様?」

「おーいコール、どこだー?」


 振り返る前に、匂いでわかった。


(……シアとリュカ……?)


 二人はほぼ同時に姿を現した。


 リュカは肩にタオルを引っかけ、

 髪がまだ少し湿っている。


 風呂上がりみたいだ。


 昼の疲れが残っているはずなのに、

 耳はぴんと立って、尻尾だけは妙に控えめに揺れていた。


 シアは白い薄手の上着を羽織り、

 海風に髪を揺らしながら、

 どこか落ち着かない面持ちで周囲を見渡していた。


「……あ、いた……」


 シアの表情が少しだけ緩む。


「ったく、部屋にいないから探したんだぞ」


 リュカが腕を組んで近づいてくる。


「なんだ? 今度は二人で夜這いか?」


「ば〜か、んなわけ……ちょっと心配しただけだし」


 尻尾がゆるく揺れている。

 声より尻尾のほうが正直だった。


 シアは少しだけ近づき、

 俺の横に静かに膝をついた。


「……コール様、寒くないですか……?」


「平気だよ。ほら、風も気持ちいいしな」


 そう言うと、シアは微かに胸を押さえた。

 その仕草は痛みではなく……

 “胸の奥がざわつく”ような、そんな繊細な動きだった。


(……まだ、残ってるよな……)


 体が大きくなる前のシアの顔が、

 空に移されるように目の奥に浮かんだ。


「はぁ……」


「「?」」


 リュカも、シアを一瞥してから俺を見る。


「なぁコール……昼間さ。

 あたしたちのこと……見てたろ?」


「見てたって……海で遊んでるのをか? いつもの事だろ?」


「ちがうって。……もっと、こう……」


 リュカが鼻をひくつかせる。

 獣族特有の、鋭すぎる嗅覚。


「……お前、昼……一瞬だけ“匂い”変わったろ?」


「……匂い?」


「……うん……わたしも……ほんの、少しだけ感じました……」


 シアも頬を赤くし、目をそらす。


「変わったって……なにがだよ」


「なにって……そりゃ……雄が興奮した時の匂いだよ?」


 リュカがさらっと言う。


「プッフォ!? 待てリュカ、シアまでそんな見るな!」


 俺は口に含んでいた酒を盛大に撒き散らした。


「ち、違……! リュカ!! コール様が誤解するでしょ!?」

「あん? ちがくねぇよ。だってそうだろ? シアも聞きたがってたじゃんか?」


 リュカは恥じらうわけでもなくいつもの調子で続け、

 シアは少し視線をそらしながらこっちを見ていた。


「その……わたしたちが大人になったの、ちゃんと感じたのかなって……」


 シアが慌てて手を振るが、

 顔は真っ赤で、耳まで染まっている。


「おま……お前ら、なぁ」(容赦ねぇ……)


 リュカがニヤッと笑った。


「ま、安心しろよ。

 あたしら別に“食う”気はねーから」

「言い方!!」


 シアが慌ててリュカの腕を引っ張る。


「リュカ! コール様が困ってます……!」

「えー? だってコールがちゃんと“大人”として見てくれてたなら……

 ちょっとは嬉しいじゃん?」


 その言葉に、シアは動きを止める。


 風が吹き、三人の距離が静かに縮まった。


「……嬉しい……?」


 シアの声は、泣きそうでもなく、笑っているわけでもない。

 ただ、誰よりも“確かめたい”色をしていた。


 リュカは少し優しい顔になる。


「だってさ……

 シア、あんだけ泣いたじゃん……。

 あれ、コールのこと大事だからだろ?」


「……っ……」


 シアの指先が胸元をぎゅっと握った。


 その横で、リュカはいつになく素直な顔で言う。


「コール。

 うちらが……大きくなって、強くなって……

 “女”として横に立てるかもしれないって思ったら……

 正直、ちょっと……嬉しくてさ」


 その言葉に、シアの肩がふるえる。


「……リュカ、シア……」


「だろ? シアはこういうのズバッと言えないから言っといてやったぜ?」

「もう……。でも……リュカの言うとおり……」


 軽く笑いながらも、

 リュカの瞳はどこか真剣だった。


 その空気の中で――

 シアが、そっと俺を見た。


「……コール様」


 昼間の笑顔でもなく、

 夜のあの涙でもなく。


 今日やっと、胸の奥から顔を出した“素の声”。


「……少し……だけでいいから……

 今日のわたしを……ちゃんと見てほしいです……」


 風の音すら静まり返ったように感じるほどの、

 まっすぐで、繊細な願いだった。


 ちょうど雲が裂けて、

 月の光が甲板に流れ込んだ。


 青白い光がシアとリュカの体を照らす。


 二人の髪がさらりと揺れ、

 肩の線、腰の影、

 昼間とは違う“輪郭”が浮かび上がる。


 俺は――

 目が勝手に見開いていた。


(……あれ……こんな……)


 言葉にならない感情が、

 胸の奥で小さく弾けた。


 シアの頬に落ちる光も、

 リュカの引き締まった腹筋の影も、

 全部、

 “俺が子ども扱いしていた二人”のものじゃなかった。


 さっきまでは胸を張って否定できたはずだ。


 ――妹みたいだ

 ――守る存在だ

 ――女としては見れない


 なのに。


(……なんだ、これ……?)


 喉が一度だけ鳴った。


 ほんの一瞬。

 ほんの“脆さ”の瞬間。


 自分でも認めたくない感情が、

 かすかにでも、確かに浮かんだ。


 俺は慌てて視線をそらし、

 手元のカップに目を落とす。


「……っ」


 しかし、その“瞬間”を――

 獣族の嗅覚は絶対に逃さない。


「――お?」


 リュカの耳がピクリと動いた。


 次の瞬間。


 ニィッ、と悪戯な笑みを浮かべる。


「……なぁシア」


「え?……リュカ?」


「今さ。

 コール、目ぇそらしたぞ?」


 リュカに言われて俺も気がついた。


 (しまった!?)


「っ……え……?」


 シアの肩が、びくりと揺れた。

 リュカはニヤニヤしながら俺の顔を覗き込む。


「おいコール。

 もしかして……」


 わざと間を空け、尻尾をゆらりと揺らす。


「――“ドキッ”とした?」


「は、はぁっ!? するか!!」


 即答した。

 即答したが――


 リュカは鼻をひくつき、

 シアは胸に手を当て、顔を赤くしたまま息をのむ。


「……したな?」

「……ちょっと、だけ……しましたか?」


「してねぇ!!」


 声がわずかに裏返った。


 その瞬間、

 リュカの尻尾が天を向き、確信の笑みに変わる。


「――図星じゃん」


「ちがっ……! お前なぁ!!」


 リュカは完全に勝ち誇っていた。


 シアは戸惑いと喜びがないまぜになった表情で、

 いや、泣きそうでも嬉しそうでもある顔で、

 そっと俺を見つめていた。


 月明かりの下、

 二人の瞳が揺れる。


 俺の胸も、

 さっきの“脆い瞬間”からまだ戻らない。


(……くそ……やべぇぞこれ)


 リュカが、挑発するように俺の鼻先ギリギリまで顔を寄せていた。


「なんだよ?」


 その声は低く、いたずらっ子のように、しかし“獣”の本能を隠さない響きだった。


 金の瞳が月光を反射し、俺の目を射抜く。


 ――ドクン。


(……やべ……)


 心臓が一つ、大きく跳ねた。


 その“音”を――

 シアの狼族の耳が拾わないわけがない。


「……っ……」


 シアの耳がピクリと震えた。

 胸に当てていた手が、ゆっくりと降りてくる。


 リュカがニヤリと笑う。


「ほらな。やっぱ音変わった」


「ち、違う! これは――」


 言い訳を探す俺の声が、夜風に溶ける。


 そのときだった。


 シアが、ゆっくりと――

 リュカと変わるようにして、俺へと顔を近づけてきた。


「……コール様……」


 さっきまで距離を取っていたはずのシアの瞳が、

 今はほとんど触れそうな距離で俺を映す。


 月明かりに照らされたその瞳は、

 怖がっているようで……

 でも、必死に“確かめたい”と訴える光が宿っていた。


「…………ッ」


 あまりの近さに、反射的に俺は顎を引いた。


 逃げるように目をそらそうとした、その瞬間。


 そっと……俺の手の甲に、温かい指が触れた。


 ……シアの手だった。


 震えているけど、確かに掴む――そんな触れ方。


「……逃げないでください……」


 小さく、震えた声。


 その声に、自然と視線を戻される。


 距離は……もう逃げられない。


 そして――


 ――ドクンッ!!


 心臓が、さっきよりずっと強く跳ねた。


 リュカの耳が立ち、口角がゆっくり上がる。


「ほらぁ〜……シア。

 今の聞こえたか?!、さっきよりデカいぞ?」


 シアは顔を赤くしたまま、しかし目を逸らさず言う。


「……わたしも……聞こえました……

 コール様……いま……また……」


 俺は言葉が出なかった。


 リュカの顔が、ニヤニヤしながらさらに寄ってくる。


「逃げようとした瞬間に跳ねたな?

 “見られるの”が怖かったのか……それとも……」


 その金色の瞳が、俺の瞳の奥を覗き込む。


「……二人に近づかれんのが……

 ちょっと“ドキッ”としたのか?」


「ち、ちがっ……!」


 否定はした。

 したのに――


 シアの指が、そっと俺の手を包み込む。


 その瞬間。


 ――ド、ドクン……ッ!!


 さっきよりも、もっと強く。


 シアは小さく息を飲んだ。


「……また……跳ねました……」


 リュカはついに確信したように笑った。


「なーんだ、コール。

 もう“子供扱い”できなくなってきてんじゃん?」


 俺の胸の奥で、

 何かが崩れかけていた。


 夜風が、星が、波が――

 すべての音が遠のく。


 二人の顔が近い。

 温度がある。

 匂いが混ざる。


 そして俺の胸は、

 まだ止まらないまま跳ね続けていた。


 二人の体温と、夜の潮風と、胸の鼓動。

 もう誤魔化しの余地なんてどこにもなかった。


 俺は――ゆっくりと、降参するように息を吐いた。


「……はぁ……もう……ダメだ」


 観念して、すとんと背中から甲板に倒れ込む。


 月を背にした二人が、俺の上に覗き込んでいた。

 金の瞳と、淡い青の瞳。

 どちらも期待と不安と……“俺への気持ち”で揺れている。


「……ったく……」


 俺は空を見たまま、独り言を言った。


「最初は……しばらく預かって……

 タイミングが来たら、お前らの住む場所とか……

 人生とか……そういうの全部ちゃんと考えて……

 “送り出してやる”つもりだったんだぞ」


 リュカが瞬きをし、シアが小さく息を吸った。


「なのに……」


 ゆっくりと手を上げる。

 その手には……耳飾り。


 ――青いガラスが月光を吸って、静かに光った。


 それは、俺が二人に送った印と同じ色。


 旅の始まりであり、帰る場所を作ると誓った証。


 指先で触れながら、俺は空に掲げた。


 リュカとシアの髪飾りの青が揺れ、そっと風になびく。


「……いつの間にかだぞ?」


 喉がひとつ震える。


「家族になってた……大事になってた…」


 シアが小さく目を潤ませ、

 リュカが言葉もなく口を結ぶ。


 俺はイヤリングを握りしめ、静かに言った。


「……もういい。観念した。

 お前らは……俺が送り出す側じゃない」


 倒れた体勢のまま、空に掲げた青いガラスが揺れる。


「もう……一生面倒見てやるよ」


 その瞬間だった。


 リュカの尻尾が“ビンッ”と立ち、

 シアの瞳がふっと優しくほどけた。


「……そんなこと……言われたら……」


 シアが、ぽろりと笑う。


「……もう、泣けないじゃないですか……」


 目尻にうっすら涙を浮かべながら、

 それでも今度は“うれし涙”みたいに見えた。


「ふ、ふん……!」


 リュカはというと、そっぽを向いて鼻を鳴らす。


「最初から面倒見てもらうつもりだったし?、

 今さら“観念した”とか言われてもな〜?」


 言葉は強がってるくせに、

 尻尾はぶんぶん揺れていて、口元もにやけている。


「……ありがとな、二人とも」


 思わずそう言うと、二人は一瞬きょとんとして――

 同時に、顔を真っ赤にした。


 とは言え……。


「……だからって今すぐどうこうは無理だからな?」


 俺は片手を挙げて釘を刺す。


「とりあえず、今は俺の負けだ。

 それで、いいか?」


 リュカが、にっと笑う。


「ん、十分。今日はそれで許しといてやる」


 シアは胸元をそっと押さえ、

 小さく、でもはっきりとうなずいた。


「……はい……十分です……

 それだけで……今は、じゅうぶん……」


 夜風が三人の間を通り抜ける。


 少しだけ、あの夜の痛みがほどけていくのを感じた。


 ――と、その直後。


 リュカが、シアの肩を肘でつついた。


「なぁ、シア」

「え?……な、なに……?」


 金の瞳が、いたずらっぽく細まる。


「コールってさ。

 意外と押しに弱いよな?」


「えっ……?」


 シアが一瞬固まる。


 リュカはさらに顔を寄せ、小声……のつもりで言った。

(コイツ基準の“小声”なので、俺には丸聞こえだ)


「今度さぁ……

 コールのベッド、二人で乗り込んでみるか?」


「っっ!?!?!?」


 シアの耳が、音を立てて真っ赤になった。


「り、リュカ!! な、なに言ってるんですかっ!!」


「いーじゃん別に〜?

 家族なんだろ? 一生面倒見てもらうんだろ?

 だったら、ちょっとくらい“攻めて”も――」


「攻めなくていい!!」


 思わず俺が起き上がりかけて叫んだ。


「冗談だよ……なぁ?」


「まぁ、半分は本気だけどな?」

「半分!!?」


 シアが限界みたいな声を上げてリュカの口をふさぐ。


「も、もうっ!!

 コール様の前でそういうこと言わないっ!!」


「いってぇってシア! 噛むな噛むな!……あーもう、冗談だって、冗談。

 ……三割くらいは」

「増えてる!!」


 甲板に、三人の声が転がった。


 俺は額を押さえながら、ため息をつく。


「……お前らなぁ……」


 けど、そのため息も、さっきまでみたいに重くはない。


 シアはまだ真っ赤なまま、ちらりと俺を見る。


「……でも……」


 その声は、ささやきみたいに小さくて。


「……いつか……

 本当に“大人”として並んで歩けるように……

 わたし、がんばりますから……」


 リュカも、腕を頭の後ろに組んで笑う。


「ま、覚悟しとけよコール。

 これから先もず〜っと一緒だからな。

 逃げ場なしだぞ?」


「お前が言うと、ろくな未来が見えねぇな……」


 そう返しながらも、悪くないと思ってしまう自分がいる。


 星空の下、

 青いガラスの飾りが三つ、同じ風に揺れていた。


 波の音が寄せては返し、

 遠くでイルクアスターの帆がかすかに鳴る。


「……よし」


 俺はもう一度、甲板にごろんと寝転がった。


「今日はもう考えんのやめ。

 星見て、だらだらして、寝る。以上」


「賛成ー!」


 リュカがどさっと俺の横に倒れ込み、

 シアも少し照れながら反対側にそっと横たわる。


 左に猫族、右に狼族。

 真ん中に俺。


 三人分の呼吸と鼓動が、ゆっくりと夜に溶けていった。

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