第87話 涙と
私が殺した少女の名は、御門ひかり。
もう二十年、いや三十年近く前の話だ。まだ小学生の頃。六年生だったな。ひかりは、ひとつ下の五年生で、大人しい内気な少女だった。
人間というのは自分より弱いとみた相手には何処まででも残酷になれる生き物だ。所詮は鶏と同じ。弱いと見れば、突ついて突ついて突つき殺してしまう。確かめないではいられないし、自分の足下を固めなくては生きていけない。悲しく獰猛なものよな。
ひかりは、よく虐められていたよ。
田舎の子にしては顔立ちも綺麗で、おしとやかで艶のある黒髪が流れるような。一言でいうと、涙の似合う少女だった。悪餓鬼どもは、ひかりの泣き顔を見たくて虐めていたのかもしれん。
ひかりとは家が近くて、幼い頃はよく遊んでいたし、正直、虐められている様子を見るのは辛かった。しかし、虐めに加わらないでいると、ひかりのことが好きなのかと揶揄われ、それが嫌で。むしろ虐める側になっていた。
ひかりは、泣きながら幼馴染みの自分に助けを求めるような目をするんだ。その時ばかりは、きりきりと胸が痛んだ。
夏休みに入り、登校日のこと。
当時、狐狗狸さんが流行っていたのだが、うちの小学校では海辺でやることが多かった。単純に海が近いのと、昔、大勢の人が溺死した場所だったからだ。ひかりが大の怖がりであることを知った上で、無理やり狐狗狸さんに参加させた。案の定、泣きそうな顔をしていたよ。
その頃の私は、ちょっと大人ぶった、自分だけは賢いつもりの糞餓鬼だったから、こんなもの何も起こるわけがないと高を括っていた。真昼のことだったしな。
ところが、集団催眠だかヒステリーだか、説明がつこうがつくまいが、とにかくおかしなことになった。呼び出した、あるいは呼び出したと思っている霊か何かが、帰ってくれなくなったのだ。
四、五人で掴んでいた木の枝が意思を持つように動き、砂の上に文字を書いた。それは、
『順に手を離せ。最後の一人をもらう』
と言うのだ。誰もが最後の一人になりたくないとみえて、次々に手を離すと逃げ出して行った。
最後に残ったのは、ひかりと私だ。
こんなものは誰かの悪戯で何も起こりはしない、そう思おうとしていたが、どこか本能的なところで恐れを抱いてもいた。だから私は、木の枝をぐっと握りしめた。ひかりに、早く離せと何度も言ったよ。だが、ひかりは泣きべそをかきながら、嫌だ、嫌だ、離さないと言うのだ。あなたに何かあったら嫌だと。
虐めから助けようともせず、むしろ率先して虐めに回っていた、そんな私を心配してくれたのだ。なおさら、ひかりを最後にするわけには行かない。覚悟を決めて木の枝を奪い取った。
すると、奇妙な旋律の歌が耳に響き、不意に体の自由が効かなくなった。頭の中は、どこの言葉ともしれない歌で一杯だ。
一歩、また一歩と海へ向かって歩き始めた。後ろからひかりが抱きついて止めようとしてくれたが、それでも強烈な力が足を前に運び、海に入っていった。
ひかりが私の名を呼んでいる。
そうわかっていても、前に、前に、深みへ、深みへと。胸まで浸かった時、澄んだ真昼の海の底に、何本もの昏い手が見えた。身震いをして、ほんの少しだけ体の自由を取り戻した私は、ひかりに浜辺へ戻れと叫んだ。だが、ひかりは私の前へ回ると、両手で木の枝を握りしめ、ぐいと引き抜くように奪い取った。次の瞬間、つるりと足を滑らせたようにして。
……それっきりだ。
逃げ出した餓鬼どもが助けを呼んでくるまでの間、血眼になってひかりの姿を探したが、何処にも見つけることはできなかった。その後、死体も上がらず。
泣きべそをかきながら木の枝を握りしめた、あの表情は忘れられない。少し、ほんの少しだけ笑っていた。あれほど涙と微笑みの似合う者もなかろう。
助けに来た大人たちに自分がひかりを殺した、自分のせいで死なせたのだと何度も繰り返した。むろん、妖しの出来事は誰にも信じられることはなかったが、たしかに、私が、ひかりを、殺したのだ。




