第60話 黒猫
獣じみた巨大な目を温州蜜柑で思いっ切り殴りつけると、弾力のある物に触れた手応えとともに、その姿が消え失せた。風も止み、室内が静寂に包まれる。クローゼット、リビング、また寝室で、黒髪に取り込まれていた者たちも目を覚ました。吹き飛ばされた家具や、壁に残る弾痕がなければ、先ほどまでの出来事が嘘のようである。
ぐったりした様子の温州蜜柑を握りしめたまま、五郎は名坂警部補に肩を貸してリビングへ。他も銘々戻り、みな憔悴した様子ながら特段のことはなく、ひとまず安心といったところ。
しかし、別室から再び風が吹き始め、その中心には獣じみた巨大な目が浮かび上がってきていた。五郎は、今一度、ぎゅっと温州蜜柑を握りしめたが、ぐったりしていた蜜柑が身を起こして曰く。
「また、わてで殴るつもりか! ええ加減にせぇよ。わては神尾家の式霊様やぞ。少しは敬わんかい。だいたい、おかしいんや。あれは実体とちゃう。どんだけ殴っても無駄や」
「じゃあ、どうすりゃいいんだ?」
「知らん! わては知らん! どうせ、わては無責任一代男やさかい」
ふてくされたようにいう蜜柑の顔には、いまだ無責任と書かれた紙が貼りつけられていた。へそを曲げた蜜柑を取りなすように美琴が声をかける。
「み、蜜柑ちゃん。あなただけが頼りなの。ど、どうすればいい?」
「ん、五郎のあほはともかく美琴はんもおるし、ちゃんとせなな。おそらく部屋の中に依り代があるはずや。それさえわかれば……」
「やっぱり黒猫かな? ジジのこと?」
「いや、ジジやない。もっと他の……」
言う間にも逆巻く風は強さを増し、七の方の姿が色濃くなっていく。室内の灯りが揺れ、ちらちらと明滅するなか、葛音が声を上げた。
「やっぱり黒猫だ。鏡を見ろ!」
言われてリビングの姿見に視線を向けてみると、きらりと光るものがあった。棚に置かれた黒猫のぬいぐるみだ。鏡の中で、その目が妖しく光っていた。




