第30話 音の魔術
とあるインディーズバンドの解散ライブ。
ベースボーカルの夏野千里、ギターの遠山将吾、そして、ドラムスの猫柳理奈。三角関係のもつれとか、理奈の家庭の事情とか、噂先行の憶測が流れるなか、惜しまれつつのラストライブだ。
始まりとともに響いたのはドラムの音。体を撃ち抜く大砲のような衝撃に吹き飛ばされそうになる。
スリーピースとしての構成もさることながら、このバンド、Black Catsのステージを初めて見る者は、その配置に驚かされる。ステージ中央にドラムス、少し手前の左右にギターとベースボーカル。ドラムス主体の配置になっているのだ。ラストライブでも中央のドラムスが異様な存在感を示している。
ライブハウス全体を打ち鳴らすような激しいドラムソロから始まり、一気に観客のボルテージがあがる。その様子を、バスドラムの真ん前に陣取った黒猫が、びりびりと毛を震わせながら静かに見つめていた。
稲田美琴も、その熱気と振動に心奪われていた。
耳の聞こえない美琴だが、音の振動が体を撃ち抜くその喜びを誰よりも感じていた。音に合わせて自然と体が動く。軽やかに揺れ動く美琴の慎ましい胸の膨らみに、その胸ポケットに納まる小さなくまのマスコットに、次々と音の波が打ち寄せ、寄せては砕け、砕けては寄せる。胸が痛み、不思議な思いの温州蜜柑が、ふと視線を下げると、だらりと垂らした美琴のしなやかな指が生き生きと動き出していた。
その動きは、熟練のピアニストのそれだ。ドラムの振動に合わせて踊り始めていることに美琴自身も気付いているのかどうか。
魔術的なステージを支えているのは理奈のドラムスだけではない。千里はベースボーカルをこなしながら、力強い歌声で聴衆に応え、踊るようなステップで魅了する。一方、ギター担当の将吾は理奈と千里を支えて動かない。黒子に徹して、二人のパフォーマンスを時に宥め、時に突き放す。
聴衆の魂を奪い去るようなライブは時の流れさえ歪めてしまうのか。その流れは早く、まだ夢から醒めずにいる人々をおいて最後の曲を終えた。
静まり返る場内。
次の瞬間には、拍手喝采、歓声と快哉を叫ぶ声が場内を覆った。自然と沸き起こるアンコールに応えて千里が片手をあげる。
本当のラスト曲にかかろうとした時、バスドラムの前に陣取って動かずにいた黒猫が毛を逆立て、唸り声をあげた。周囲に白い煙が湧き起こり、ごうごうと渦を巻き始める。




