第103話 ケーキと珈琲を供にして
玄関の土間で温州蜜柑が泡を吹いて倒れていた。それを佳乃が抱き起こす。
「ちょっと、しっかりしなさいよ」
「わてはもうあかん。最期にクッキーが食べたかったと五郎はんに伝えてくれるか」
「あきれた食い意地ね。ちゃんと仏壇に供えてあげるから安心おし」
「わ、わては神様やでぇ。神棚にしてぇな」
がくっと首を落とした蜜柑を激しく揺さぶる。
「そんなこと、どうでもいいわよ。それより、なんなの? なにがあったのか言いなさいって。あなたの変な力で、大家の婆様の過去だか記憶の断片を覗いたのでしょう? いったい何を見たのよ」
「んぐぐ、こ、こら、揺さぶるんやない! ええか、婆さんに昔のことを聞いたりしたらあかんぞ。わてが言えるのはそれだけや」
再び、がくっと首を落としたところへ大家の婆さんが戻って来て、気付かずに蜜柑を踏みつけた。
けぺっ、と変な音を立てて潰れ、完全に沈黙した蜜柑をそのままに、婆さんが秘蔵のドリップ珈琲を持ち込んできた。昔のことを聞くなという蜜柑の遺言だが、聞くな見るなと言われれば、聞きたくなり、見たくもなるのが人の性。美琴の手作りケーキと珈琲を供にして昔語りへと至るのだった。




