始まりの夢⑨
どの位の時間が過ぎただろう。
ソルシャは椅子の背に力なく寄りかかり、さっきまで眩しくて仕方なかった女神の照明を、虚ろな目で眺めていた。
「いったい……何が起こっているんだ……」
力なく発せられた言葉は、誰に対してのものではなく、ただただ今の心境を声に出していた。
「殿下は、五歳の御誕生日を迎える前、大好きだったお母上様――王妃様がお亡くなりになりました。
それがどれ程の心の負担になったことか、大人の私達にも、察することは難しいものです。
そして、その悲しみが、殿下の精霊術を呼び起こしてしまったと、陛下は考えられておられます」
「ああ、そうか。 ゼルも孤児だしねえ、心の負担なんて考えてあげたことなかったよ」
天井を仰いでいたソルシャは、手を机の上に乗せ俯き、村でのことを思い出す。
「悲しみが精霊術を覚醒させるというのなら、ゼルは沢山の機会があったろうね。
それじゃ、王子様も治癒の術を使えるのかい?」
「いいえ、殿下の精霊術はもっと厄介なものでした。
その力がかえって、殿下を苦しめることになったのです」
アーチェスは一度話を中断すると、近くにあったベルに手をかけ鳴らした。
――チリーン!
優しい音が部屋の中に響き渡るが、この音が外まで聞こえるとは考えにくい。
だが、すぐに扉は開き、外から先程の侍女が入って来た。
「失礼いたします。 お呼びでございますか?」
「すまないが、ハーブティーが冷めてしまってね」
「かしこまりました。 少々お待ちください」
侍女は一礼してすぐに部屋を出ていく。
その一連のやり取りを見ていたソルシャは、不思議そうにベルをじっと見つめた。
「このベルが不思議ですか?」
「ああ、魔道具とはわかるが……」
「簡単な仕組みです。
このベルを触った者の魔力を糧に、ある音の波を発しているのです。
その波は魔力を帯びていて、壁程度の遮蔽物では防ぐことができません。
そしてその波を、侍女達が頭に付けている蝶の髪飾りが受けとり、小刻みに振動させる仕組みです」
「簡単な仕組みには思えないがね」
「ふふふ……」
魔道具師には簡単な技術も、一般人には理解が及ばない。
「お待たせいたしました」
まだ僅かな時間しか経っていなかったが、二人の侍女がティーセットをもって戻って来た。
冷めたカップを下げ、新しいカップを置くと、先程と同じように静かに注ぎ、退出していった。
実に無駄のない気品ある動きをしている。
お湯もすぐ出せる様に、常に準備しているのだろう。
「どうぞ」
「すまないね」
アーチェスはカップを持つと、ソルシャに勧めながら自分も口にした。
ソルシャの気を紛らわそうと、アーチェスが気を利かせ、さほど冷めていないハーブティーの交換を頼んでいた。
「さて、殿下の精霊術についてです。
術が発動したのは、お母上様が亡くなられて半年が経った頃のことです。
それまで殿下はずっと部屋に籠り、食事すらも、自室で召し上がるようになりました」
「無理もないよ」
「ええ、それほど辛かったのでしょう。
ですが、そのままではいけません。
少しでも外の空気を吸って頂こうと策を考え、城の空いている場所に、大きな庭園を作ったのです。
そして、お母上様のお好きだった花をたくさん咲かせて」
「それは……」
「はい。 逆効果でした。
それを見た殿下は気が狂ったように泣きながら暴れ始め、誰の声も届かぬほど取り乱されました」
「そうだろうよ……」
「浅はかでした。 暴れている殿下を鎮めようと侍従長が近づいた時、殿下の術が発動してしまったのです。
それは突然、侍従長の前に現れ、黒い霧を纏った大きな穴となり、吸い込むように、侍従長を飲み込んでしまったのです」
「何だい、そりゃ」
「黒い霧が渦を巻いた、先の見えない穴だったと、かすかに覚えています。
そして、侍従長が呑み込まれると同時に穴は消え、そして殿下は気を失われました。
……いえ、もしかすると逆だったのかもしれません」
「気を失ったから穴が消えた?」
「はい」
それは、ゼルの癒しの力とは正反対の、恐るべき力に思えた。
まさしく『精霊使い』と呼ばれ、恐れられる精霊術そのものだった。
「陛下は直ちに、口外禁止を伴う厳令を発し、目を覚まされた殿下には、何も無かったと説明したのです。
ですが、殿下は薄れゆく記憶の中で、自分の行いを覚えておられました」
「ちょっと待ちなよ! そんな事話していいのかい?
いや、聞きたくないんだけどね」
「もう話してしまいましたから、最後まで付き合って頂きます」
「………」
もはや『内密に』では済まされないほどの内容となっていた。
本来ならば、契約書を交わして口止めするほどの話になっていた。
「お母上様を失い、ずっと良くしてくれていた侍従長を、その手に掛けてしまった殿下は、目から生気が失われ、ご自分で食事をとることも出来なくなってしまいました」
「………」
「陛下は長く思い悩み、殿下を山間の別邸に、静養のため行かせる決断をなさいました。
もはや、王太子としての務めも果たせぬ状態となり、別邸で心静かに暮らされることを願われたのです」
「再婚は考えなかったのかい?
時間はかかるだろうが、少しは心安らいだろうに」
「それは陛下の、王妃様への深い想いが許さなかったようです」
「……そうか」
「ですが、ここで奇跡が起こります。
三か月前に穴に吸い込まれてしまった侍従長が、突然他国からの船で戻られたのです。
誰しもが目を疑い恐怖しました。 死人ではないかと……。
しかし、帰還した侍従長は謁見の間にて、陛下と殿下を前に、起きた事の全て語ったのです。
侍従長は、穴に吸い込まれた瞬間に、別の場所に放り出されたと言いました」
「!?」
「そう、転移です。 そして、侍従長が飛ばされた先は、生前のお母上様とよく出かけられていた、王妃様の故郷ウィルダリア王国だったのです」
「そんな! 大陸を横断してしまったというのかい!?」
「はい。 殿下が精霊術を使ったとき、庭園は強くお母上様の想いの残る場所となっていました。
それが精霊術と絡み合って、ウィルダリア王国へ転移させてしまったのだと、後に結論付けたのです」
「あまりに壮大すぎて、あたしには到底理解できないよ。
とにかく、簡単に言えば穴騒動は解決したってことだろう?」
「はい。 ですが、精霊使いとして覚醒してしまったことに変わりはありません。
殿下は心を閉ざしたまま全く微笑まず、王太子として学びを続けてこられたのです。
忌み嫌われる精霊使いが、次期国王であってよいのだろうか?
殿下はずっと悩み続けておられました。 あの願書を読むまでは――」
「精霊使いとは書いてなかったのに、何故王子様を監視につけるなんて、無茶な事したんだい」
「仕方なかったのですよ。
あの時の殿下の嬉しそうな顔は、今でも目に焼き付いて離れません。
自分が入学して、ゼル君が精霊使いかどうか確認したいと申されたのも、実は殿下なのです。
その笑顔を見た者で、否定する者など一人もいませんでした」
「………」
カップを眺めながら感慨深く話すアーチェス。
ソルシャは、いつの間にか暗くなってしまった外を見つめた。
「そして、今日――帰還された陛下の前で真っ先にこう言われたのです
――ゼルの精霊術は、人を助ける力です!
精霊使いは、人に恐怖を与える存在ではないのです!――
七年もかかってしまいました……。
殿下の満面の笑顔を、どれだけ待ち望んだことか……」
「もしや、王様が遠征を取りやめて帰還した理由というのは……」
「ええ、それは――」
――コンコン! ガチャ!
「失礼いたします」
アーチェスの話も終わりが見えてきたころ、ドアが開く軽い音と共に、二人の侍女が扉の前に立ち、ゆっくりと一礼して入ってきた。
そして侍女が左右に分かれ頭を下げると、二人の間から一人の男性と、その後ろに二人の少年が入って来た。
部屋の空気が静かに変わり、ソルシャは、扉の向こうに立つ三人の姿を見つめながら、胸の奥に小さな灯がともるのを感じていた。
最後まで読んでいただきまして有難うございます。
※挿絵はMicrosoft Copilot による生成画像です※




