始まりの夢⑩
照明の淡い光が差し込む中、王は静かに部屋へと歩み入った。
突然の入室にソルシャは驚き、二人は立ち上がると、急いで王の前へと歩み寄り跪いた。
「良い。 招いたのはわしの方であるのだから、同等の立場で対話を試みたい」
王は静かに、そしてしっかりとした口調で、ソルシャに語りかけてきた。
「あたし――いえ、私が陛下と同等の立場など、とんでもないことでございます」
「そういうな。 ソルシャ殿には、感謝してもしきれぬほどの恩があるのだ」
「私は何も特別な事は……」
「まずは、座って話をしようではないか」
「はい」
二人は立ち上がると、席に戻って椅子の脇に立ち、王の着席を待った。
王は主席へと移動すると、二人の少年を後ろに従え、自分は椅子へ腰を下ろす。
それを見た二人は、合わせるように着席した。
「紹介しよう。 我が息子であり、王太子であるミッシェルだ」
「お初にお目にかかります。 ミッシェルと申します」
その言葉にソルシャは立ち上がり頭を下げる。
「そちらに控えております、ゼルの保護者でソルシャと申します。
この度は、大変なご苦労をお掛けしましたこと、どうぞお許しください」
「その様な事はございません。 これから先、ゼル君には良き理解者として、末永くお付き合いいただければと願っております」
ミッシェルの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
それは、形式的な挨拶ではなく、心からの願いが滲んだものだった。
ソルシャはその笑みに、ほんの少しだけ救われた気がした。
しかし、話の意図が掴めないソルシャに、手を前に出し着席を進める王。
「アーチェスよ。 ソルシャ殿には、どのくらい話をしたのだ?」
「はっ! 私の知る限りの情報は、全てつつがなくお話しいたしました」
アーチェスは王の質問にスッと立って答え、話し終わると頭を下げて着席した。
「ふむ。 では、本題に入らせて頂こう。
ソルシャ殿は、ゼル君を医師にと希望しているのだな?」
「はい」
「残念だが、どんなに成績が良くとも、貴族や医師の関係者でなければ合格はかなわぬ」
「!!」
「医師ともなれば、上級貴族を相手に治療をしなければならず、相応の家柄が必要となる。
平民では貴族に信頼の得られず、将来の事を考え最後の面接で落とされてしまう。
それが、医師試験の合格者が限られている理由の一つなのだ」
「そんな……」
「それに加えて、ゼル君は孤児であったために、家系を追いかける事が出来ない。
もし、誰かに恨みを持っていた場合、医師として治療をさせるのは危険と判断されるのだ」
「………」
「だが、その心配がない事は、ソルシャ殿の人柄や、三か月にわたって調査していたミッシェルが、全て問題なしと自信をもって報告している。
わしはそれを信じ、一つの提案をする事にした。
それは、ゼルに家名を授け、医師の家の子として振る舞わせるのだ」
「!?」
ソルシャは言葉を失った。
王の口から発せられた『家名を与える』という提案は、あまりに現実離れしていて、すぐには理解できなかった。 心の奥で何かが軋む。
ゼルの未来が開かれる喜びと、偽りを背負わせることへのためらいが、胸の中でせめぎ合っていた。
「装う……のですか?」
「そうだ。 ゼルの住んでいた村は生活が困窮していてな、このままでは大変な事態になってしまう。
今までも支援はしていたのだが、今後改善できる見込みがない。
なにより、かの地では万年雪からくる冷気により野菜は育たず、農業さえ難しい土地なのだ」
王の声には、どこか寂しげな響きがあった。
ソルシャは、遠征して行った時の状況から、そうなるのではないかという予想はしていた。
「それならばと、近くの町の一角に生活環境を整えさせ、そこに移住してから、出直してもらおうという結論になった。
そのまま町で仕事を見つけてもよし、外の土地へ旅立つもよし、自分達で決めてもらう事となったのだ。
それをうまく利用し、その村にいた薬医師の息子として医師資格試験を受けさせる。
寂れた村に有った医師の家など、村が無くなった後に確認することは不可能だ。
だが、一つ問題が有る。 今日の一件もあり、もう学院に通う事は出来ない。
精霊使いではないかという噂が、その場にいた者たちの間でささやかれてしまった。
ミッシェルに対しても、騎士団が出向いたことで、学院外にまで王太子が居ることが広まってしまった。
よって、ミッシェルには従来通り、王宮内で学問を学んでもらうことになる」
「はい。 父上」
「うむ。 そしてゼルだが、十五歳の成人の義まで王宮で預かり、ミッシェルと一緒に学問と医師の教育をしたいと思う。
三年近くあるのだから、精霊使いの噂も消えてしまうだろう」
「それは……」
「離れるのは心配だと思う。 だが、学問は元より、その間に『精霊使い』としての正しい力の使い方を、ミッシェルと二人で研究させたいのだ。
更に、家名を与えるためにも、医師に合格した後に、引っ越してきたとして開院させた方が都合がよい。
辛いだろうが、どうか聞き入れて欲しい」
ソルシャは少し考え込んでいたが、静かに席を立つと、真っ直ぐに王に向かい頭を下げた。
「もったいないお言葉です。
離れるのは寂しくもありますが、陛下のご提案は私の希望そのものです。
どうか、宜しくお願いいたします」
「感謝する」
王はソルシャが席に座ると同時に、机にある呼び鈴を鳴らした。
直ぐに扉が開かれ、先ほどとは違う侍女が、王に頭を下げ入って来た。
「話はついた。 ゼルを部屋に案内し、世話係としてついてやってくれ」
「かしこまりました。 では、ゼル様、ご案内いたします」
「僕も一緒にお手伝いします!」
「頼んだぞ」
「はい。 父上!」
まるで親しい友人を自宅に迎えるように、ミッシェルはゼルの肩を押しながら部屋を後にした。
そして、その二人を追う様に、アーチェスも王に頭を下げ、部屋を退出した。
部屋の中には王とソルシャが残され、さすがのソルシャもどうしていいのか分からず、そわそわしてしまう。
そんなソルシャの気持ちを知ってか、王は立ち上がり王冠を外した。
そして右手を胸に当てると、深くソルシャに頭を下げた。
「!?」
王が自分に頭を下げるなどあってはならないこと。 ソルシャは慌てて立ち上がった。
「ど、どうされたのですか!?」
「ソルシャ殿。 ミッシェルにゼルを会わせてくれたこと、心の底から感謝します」
王は今までの威厳に満ちた話し方ではなく、一人の親としてソルシャに頭を下げ礼を言った。
アーチェスが部屋から出て行ったのも、王の気持ちを悟ってのことだったのだろう。
「頭をお上げてください、陛下! 先程も申しました通り、私は何もしておりません。
ただ偶然あの村でゼルと出会い、偶然治癒の術を見て、ゼルを立派な医師にしたいと思って連れてきただけなのです。
ですから、ゼルと殿下が出会ったのも、女神が与えてくれた奇跡だったのだと、私は思います」
「そうかもしれない。 だが、ソルシャ殿が導いてくれたことは紛れもない事実。
どんなに感謝してもしきれん。
そして何より、……これで妻もゆっくり眠れる」
「陛下……」
王が顔を上げようとしない事に動揺するソルシャだったが、床に落ちる雫が全てを物語り、それ以上の言葉を言うことは出来なかった。
――あたしは決心した。 辛い思いをしている精霊使いを探そうと。
それが、残りの人生をかけたあたしの……夢――
「あれからもう三十年以上になるね。
あたしは二人の精霊使いを見つける事が出来た。
表立って聞いて回れる訳じゃなかったけど、不思議な力を噂され、孤立している子供を探し続けたのさ」
昔話を聞き入って、どれ程の時間がたったのだろうか。
お婆さんの部屋に入って来た時は、暗く日の当たらない部屋だったが、いつの間にか窓からは明るい日差しが差し込み、お婆さんの話がとても長かった事を物語っていた。
「ああ、病人がとんだ長話をしてしまったよ。
ミルシャーーすまないが、お前さんの淹れた美味しいハーブティを貰えるかねえ」
「うん。 わかった!」
「ハーブはいつもの所にあるよ」
「まかせて!」
すっかり顔色が良くなって、長話ができるようになったお婆さんを喜び、ミルシャは台所へと向かおうとする。
「ミルシャ」
「ん? なに?」
「今話した通り、精霊使いは魔性の者じゃないんだ。
何が有っても前を見て、信じる道を歩きなさい。
ミルシャはきっと、辛い人の心に寄り添い、希望へと導く光になるよ」
「うん! がんばる! じゃ、ちょっとまっててね!」
「ああ、頼んだよ……」
お婆さんは微笑んでミルシャを見送ると、枕元に居るゼルと、その後ろのホルフを交互に見つめた。
「ゼル」
「なんだい、ソルシャ母さん」
「ミルシャは、あたしに不思議な力を使ったよ。
精霊術じゃないと思うけど、あれは何だい?」
「………」
ゼルは一瞬床に視線を落とすが、直ぐにお婆さんを真っ直ぐ見た。
その目は、ゼルが若かりし時の情熱のある目をしている。
「どうやら心当たりがあるようだね。 なら安心して行けるよ。
今度はゼルが、ミルシャをしっかり守っておやり」
「わかっているよ。 ソルシャ母さん」
「ホルフ。 あたしに付き合って、ハンターにさせてしまってすまなかったね」
「何言ってんだ。 謝られるような思いをしたことは一度もないよ。
毎日最高に充実しているさ!」
「フフフ、願わくば良い人を見つけて、楽しい余生を送れる事を祈って……いるよ」
「らしくないな、何言ってるんだよ……母さん?」
ゼルは再び脈を見ようとお婆さんの手を取るが、その手は数時間前に亡くなった人の様に冷たかった。
ゼルは急いで首元の脈を確認しようと触れるが、首元も冷たく、この状態で言葉を発することは不可能と確信した。
今までミルシャの不思議な力で、わずかな間魂を繋ぎ話をしていたのだと気付いた。
しかし、それはホルフには話さず、ただ首を横に振り旅立ったことを伝えた。
「そ……そんな」
今まで生き生きと話していたお婆さんは、眠るように目を閉じ、優しい微笑みを残して最期の時を迎えた。
そうと知らないミルシャは、ハーブティーを準備して笑顔で戻ってくる。
「今、少し蒸らしてるから、もう少し待ってね!
ああ、でもお婆ちゃんには、熱いのはだめだから少し冷まして……お婆ちゃん?」
俯く父と、膝をついて泣くホルフを見て、ミルシャは慌ててルゥを見る。
「つい先ほど……息を引き取られました」
「何言って……え?……だって、今まであんなに……え?」
信じられないという気持ちでゼルを見る。
ゼルはソルシャの手を握り、肩を小刻みに震わせていた。
(お父さん……泣いてる……)
悲しい気持ちに包まれるミルシャ。
けれど声は出ず、留まる事の無い涙だけが、頬を伝って流れ続けた。
温かい日差しは、まるでソルシャの旅路を祝福するように、静かに部屋を満たしていた。




