173:米飯に堕ちた入間代官
【西門外・上小町】
西門から真っ直ぐ西へ、幅100mの空き地が延びている。将来は20車線の自動車道が設置される予定だが、今は広場として使われている。
「おお、白いご飯なんて何年ぶりだろうか。」
白米を見て感動する入間代官、吉田西市佑。
「残念ながら、まだ味噌汁と大根の漬物ではなく、汁物と菜っ葉の浅漬けしかありませんが。」
枝豆ならともかく大豆はまだ収穫できないため、味噌も納豆も無い。夏は沢庵作りに向かないため沢庵も無い。もっともこの世界では「沢庵」とは言わないが。海苔に至っては海が無いので入手の目処すら立っていない。
「図書頭どの、他の料理は季節を待てば良い。白いご飯を食べられるなら、出来ることなら何でもするぞ。……春にも言ったな。」
「ええ。引き続き種芋などと、あと食料の供給をお願いします。甘藷や馬鈴薯はダンジョンでは召喚出来ませんから、この秋の収穫を種芋に多めに廻しても次の作付けには足りなくなってくるでしょう。」
種芋が付録に付くムック本など見当たらない。なお、江戸時代相当の世界のためかジャガイモやサツマイモは存在するが、呼び方は異なる。
「種芋か。」
「小さい芋は植える分以外、全部廻してください。病気の検査をしますから全部が使える訳ではありませんから。」
「農業は専門外だが、全部は種芋には出来ないのか。」
「ジャガイモに病気が蔓延すると大飢饉を引き起こす危険があります。異世界ではアイルランドという国で主食のジャガイモが病気になり、人口が半減した例があります。」
「不作が起きるのは仕方ないが、それで無策に飢饉を起こし人口半減だなんて、その『あいらんど』の為政者は馬鹿だ。腹を切るべきだろう。」
「根本原因は、産児制限を怠り土地生産力を越えて野放図に人口を増やしたアイルランド人の責任です。この地域でも、人口が増えすぎたら、いくら百万町歩の水田があろうとも、たちまち食糧難に陥るでしょう。」
マルサスによると、小麦より安価なジャガイモの供給が結婚を増やしアイルランドの人口爆発をもたらした。というもの。なお、マルサス自身はジャガイモ飢饉以前に亡くなっている。
「図書頭どの、そんなにすぐに増えるものか。」
「現在、この付近、板東の人口は500万か600万程度。いろいろ説明は飛ばしますが、100万町歩で養うことが出来るのは1,400万人。『人口論』にもありますが、制約が無いと人口は25年で倍増しますから、わずか50年で上限の2,000万人に達します。もちろん修羅や畜生は人間ほど殖えませんから、もう少し余裕はあるでしょうが。そして、貧困の根本原因は人口過剰ですから、人口が上限を超えると、分配の問題を解決しても飢餓が蔓延します。」
100万町歩のうち水田が7割なら反収2石で1,400万石、麦畑が5割なら反収1.5石で750万石。穀物需要が酒とフードロス込みで1人1.5石として1400万人分となる。なお、年貢は100万町歩に対し公称反収1石の四公六民なので400万石。
「……50年、わずか50年なのか。」
「解決策は3つ。まず結婚を減らし子供の数自体を抑えること。セン馬氏を見習って惣領以外の一族郎党は去勢するのも手ですが、これは『進化党』ではなく『真社会党』の主張になってしまいます。」
異世界でも埼玉特有の名字だが、仙波である。もちろんセン馬では無いし去勢もしない。なお、真社会主義は人間社会を蜂や蟻のような真社会性に変えようという思想で社会主義とは全く異なる。
「はぁ。よく分からぬ。」
「2つ目は、余分な赤ん坊を間引きすること。」
「大抵の代官所では赤子間引きを禁止しているが、なかなか徹底できておらぬ。産婆が死産だと報告してきたら確認のしようがない。」
「3つ目は、意図的に戦乱を起こしたり、どこぞのダンジョンみたいに生贄狩りをする方法ですが……。最終手段以下の暴論でしょう。」
「まるで悪役だな。」
「ええ。わたしも食事の席でするような話ではないと思います。ただ、人口の抑制は必要だ。ということは頭の片隅において戴ければ。」
マルサス・ダーウィン主義とはマルサスの人口論に社会ダーウィニズムや優生学などを接ぎ木したもの。「進化党」は「人種改良を国策に」と主張し、産児制限による人口抑制と移民の導入、要は子供を減らして移民で置き換えることで「馬匹改良」のように「人種改良」をしようと主張。
入学試験で落ちるのも、就職活動で苦労するのも、給料が安いのも、電車が満員なのも、残業が多いのも、家が高いのも、全部人口過剰が悪い?
「馬匹改良」とは、大正~昭和中期に行われた農耕馬・乗馬・軍馬の改良。外国から種牡馬と繁殖牝馬を輸入し繁殖させると共に、国内馬との交配及び去勢を進めることで馬を改良するというもの。これを人間に応用するのが「人種改良」。
自動車やトラクターなどの農業機械が普及し馬の需要が減ったため中止された。




