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1-1.終活屋の目覚め

 その日は夕方の西日がひどく眩しくて、病院がオレンジ色に染まっていた。

 宙に舞うホコリひとつひとつが綺麗に浮いていて、微かに開けた目ではうまくピントを合わせることが難しかった。


(なんだこれ)


 夕岬遥人(ゆうさきはると)にとってこの光景には少し見覚えがあった。


 幻想的な背景とは裏腹にその場の状況は忙しない。心電図モニターのアラーム音。医者が看護師に指示する声。指示を受けて走る看護師の足音。

 似つかわしくないそれらの音は混沌と彼の耳に響いて煩わしかった。


(うるさい。俺は眠いんだ)


 医者が彼の胸に両手を置いて心臓マッサージを始め、一定のリズムでベッドが軋む音がする。

 仰向けになった彼からは、その医者がどんな思いで自分を助けようとしているかはわからなかったが、体重をかけて胸を押すたびに出る息の乱れが、顔を見るまでもなく必死なんだとわかった。


 しかしながら、遥人はその振動を感じることはなく、無情にもオレンジ色の天井を見つめ、この状況が早く終わることを願うだけだった。


(俺は頑張ったんだ。もう寝かしてくれ)


 遥人がそう願った瞬間、心電図モニターの音が変わり高く大きく病室内に響いた。


(ああ、やっと寝れる)


 目の前はどんどんと薄暗くぼやけていき、さっきまでうるさかった音も遠くなっていく。少しずつ体が水の中に沈んでいくような感覚が心地よかった。


「今度はー」


 声が聞こえた。


 看護師の声も、医者の声すらも、はっきりとは聞こえなかったのに、その声と言葉は彼の耳に残った。

 聞き覚えのあるこの声。暖かくて優しい声。


(母さん?)


 途切れそうな意識の中、彼はそう答えを出した。


「長く生きられますように」


 その言葉を最期に聞いた後、遥人の意識は途絶えた。



 △ △ △



「ー先生」


 また声が聞こえる。

 せっかくあんなうるさい中眠ることができたというのに、起こしてくるやつがいるのかと、遥人はその声の主に苛立ちを覚えた。


「先生!」


 さっきまでの声とは比べ物にならないくらいの、はっきりとした叫び声とともに、遥人の顔に水がかかる。


「ぶびゃあ!」


 水のせいで口がうまく開かず情けない声とともに遥人は飛び上がった。

 とっさに何が起こったのかと周りを見渡し、その声の主と思われる顔を見上げたが、窓から差し込む朝日の逆光と、まつ毛にかかった水滴の反射によってその顔はよく見えなかった。


「ー母さん?」

「誰がお母さんですか。まだ寝ぼけてます?」


 声の主が、自分の顔を覗き込むように、歪めた顔を突き出し、右手に何かを構えた時、それが誰なのかがわかった。

 本来まんまるとしたつぶらなキャラメル色の瞳を持つその人物が、目を細めて困り眉をしながら口をムスッとしている。


「なんだ(ヒカル)か、ってその消臭スプレーはやめろって言ってるだろ!」

「だってこうしなきゃ先生、起きないじゃないですか」


 輝は体勢をもとに戻し、呆れた顔をしながら、消臭スプレーの先についているストッパーを回しながらそう言った。

 毛先が軽く跳ねた猫っ毛の茶髪が、いつも以上にふわふわと空気を持って揺れている。

 しわの多いパジャマ姿の遥人と違い、輝は既にアイロンの効いた白シャツとステッチが施されたカーディガンに身を包んでいる。


「今日は忙しくなる予定なんですから、早く起きて準備してくださいね」


 ベッドから離れ、部屋の出口である扉のドアノブに手をかけ、嬉しそうに顔をニヤニヤさせながらそう言うと、輝は扉を開けてスタスタと階段を降りて行った。

 遥人はその軽快な動きを横目に、大きく背伸びをしながらあくびをすると、顔にかかったスプレーの跡をパジャマの袖で拭いながら、しぶしぶ足をベッドの外に出し立ち上がった。

 まだしっかりと開くことのできない紺青の瞳は、連発するあくびによって押し出された涙によって潤んでおり、遥人は寝ぐせのひどい黒褐色の髪の上から、ボリボリと頭を掻いた。

 鼻にかかる爽やかなミントの香りに対して、目覚めは最悪だった。


 自室の扉を開け、事務所につながる階段をゆっくりと一歩一歩降りていく。

 それなりに年季が入っている、この自宅兼事務所の木造の階段は、足を下すたびに悲鳴を上げる。入居した時はいつ床が抜けるか心配で、慎重に足を踏み出していたが、今では全体重をかけながらどっしりと降りている。

 途中まで下りたあたりで、香ばしいトーストの香りが鼻をくすぐる。階段を降りた先の扉を開けると、目の前のテーブルに美味しそうな光景が広がっていた。


「もう朝ごはんできてますよ」


 輝が牛乳をコップに注ぎながらそう言うと、席に座り、「いただきます」と合掌してリンゴジャムが塗られたトーストにかぶりついた。サクッとしたいい音が事務所内に響く。

 遅れて遥人も椅子に座り、トーストにバターを塗ってひと口かじる。


「先生いつもバターですよね」

「まあ、結局素材の味が引き立つものが一番だからなぁ」


 輝が「なんですかそれ」とぼやく。

 テーブルには、リンゴジャムとバターのほかにも、イチゴジャムやブルーベリージャムの瓶も並べられていた。

 輝は一枚目のトーストを平らげると、今度はイチゴジャムを塗って口に頬張った。朝からいい食べっぷりである。


「俺一枚でいい」


 遥人は二枚目のトーストを食べずに、空になった輝の皿にポイっと投げ入れた。

 輝は頬をパンパンにしながら、もごもごと声を出して何か訴えている。朝食べないと力でないですよ、とかなんとかだろう。


「食べ盛りなんだから、いっぱい食っとけ」


 そう言うと遥人は自室へと戻っていった。

 事務所は朝特有の冷たく澄んだ静寂に包まれる。


「600年以上生きてても、見た目はそんなに大差ないのに」


 輝はもらったトーストに、今度はバターを塗ってひと口かじる。


「美味しい」


 確かに小麦本来の甘さがバターによって引き立てられて美味しい。しかし、何か物足りない気がしてならなかった輝は、溶けたバターが染みるパンの上に、今度はブルーベリージャムを少しトッピングした。

 大きくかぶりついた口の中は、満足のいく風味が満ち溢れた。

 輝は残りの牛乳をグイっと流し込んで立ち上がると、二人分の食器をシンクに運び水に浸した。


「今日も頑張らないとね」


 壁に掛けられた古びた振り子時計の短針は九を指しており、テレビからは時刻を知らせる最近流行りの俳優が映っている。

 輝はせっせと営業開始に向けて、食器を洗いテーブルを拭き上げテレビを消し、三階建てのマンションの二階に位置する事務所の玄関を軽く箒で掃くと、closeの看板を裏返した。



 ここは魔術終活屋さん。

 人々が最期に叶えたいことを、魔術でお手伝いするお店である。

数ある作品の中、お読みいただきありがとうございます。

ブックマークや評価で応援していただけますととても励みになります!


二話は本日の18時頃投稿予定です。

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