24_戦勝祭の襲撃、祭りの終盤(ゲイル)
発射された矢を剣で払い、ゲイルは左右の建物の屋根上に陣取っている『射手』を視認する。左腕一本で抱き上げているユウナレアを後部座席のイニアエスへ放り投げてから、つい投げてしまったのをちょっと後悔した。
「射線は読めた。妻を任せる。必ず守りきれ」
放り投げたことに文句を言われる前にそれだけ告げ、ゲイルは馬車の上から跳び下りた。馬車の周りを囲んでいるのは、第三大隊だ。誰一人として混乱など見せていない。全員が領軍の正式装備を身に纏っているのが少しだけ懸念事項だが、その程度ならば問題ないだろうと判断。
大通りの道幅は広く、左右の建物の高さは概ね一律で、二階建てが多い。いつかの服飾店もそうだが、ひとつの建物がそこそこ大きいせいで、一般的な建築物なら三階分ほどの高さはあるだろうか。
「十時方向、屋根上。そちらは任せる。行け」
端的な命令を下し、自分は自分で道脇の建物へ駆け込んだ。行進を見守っていた領民たちが、剣を抜いたまま突進して来るゲイルに怯えて悲鳴を上げた。
が、ゲイルは一切気にしない。建物の出っ張りを足場に、とんっ、とんっ、と何度か跳び上がり、異様な速度で屋根の上へ。
間抜けなことに『射手』は、まだ離脱していなかった。
そいつは屋根の藍色に溶け込む同色のローブを身に纏っており、人相が窺い知れない。手に持っているのは通常の弓ではなく、狙撃用の十字弓だ。矢を番えておくための部品が長く、より強く弦を引けるものだ。
どうして逃げていないのかは、接近しながら気付いた。次矢を本体に番えて弦を引いていたからだ。
――発射。
しかし引き金を絞って撃つような弓など、ゲイルからすれば避けてくれと言っているのも同然だ。単に避けるだけだと群衆の元へ矢が飛んでいく可能性を考え、剣で矢を叩き落とす余裕すらある。
射手が驚愕を見せる。戦場で飽きるほど見た敵兵の反応だ。もちろん驚愕に付き合ってやる義理などない。そのまま接近し、忘我から立ち直っていない射手の膝を蹴り壊し、剣を握っていない左手で顎を掴み、骨を外す。
「あ――ふぁ――っ!?」
どうして斬られていないのか、と考えたのかどうかはゲイルには判らないが、やることは変わらない。雑な力加減で腹を殴って気絶させ、失神した射手を小脇に抱えるようにして、屋根上から飛び降りる。
だんっ! と音を立てて普通に落下してきたゲイルに、群衆はドン引きしているようだった。
まあいい、とゲイルは射手を小脇に抱えたまま、もう一方の状況を確認する。第三大隊の部下が二名、屋根上の射手に到達し――ゲイルと同様、殺さず捕らえたようだ。ちょっと遅いな、と思ったが、叱責するほどでもない。
「隊長!」
別の部下がゲイルの元へ駆けつけて来たので、抱えていた射手を放って渡す。人間を持った際はつい投げてしまうのだが、今後は気をつけた方がいいかも知れないな、と余計なことを考えた。
「屋根上に十字弓が落ちているから回収しておけ。それと、顎を外しておいたから自決用の毒を口の中に仕込んでいるか確認しろ。もう一人も回収できたようだから、後続の馬を借りて軍部へ向かい、情報を吐かせろ」
「了解しました」
ひとつの疑問も挟むことなく動き出す部下に「ふむ」と頷き、ゲイルは剣を鞘に収めてから、ゆっくりと馬車の上に戻る。イニアエスが首肯したのを確認し、静まり返った群衆をぐるりと眺め回してから――もう一度、今度はわざとらしく見世物のように、腰の剣を抜き払った。
「くだらん余興は終わった。何者も我らを傷付けることは叶わない。我々こそが、無敵の第三大隊だ。俺がゲイル・ラインバックだ」
心にもない科白を、声を張って吐き出せば――おおおぉ! と群衆が叫び出す。人の群れがこういう反応をするのを、ゲイルはよく知っていた。
「一体……なにが……起こったのですか?」
イニアエスに抱き抱えられ、どっこいしょ、とばかりに席へ戻されたユウナレアが、青い顔をして訊いてくる。
しかし、別にゲイルもなにかを理解しているわけではない。
「よく判らん。が、とにかく出発させるか」
馬車の横に控えている部下へ目配せをすれば、後ろの馬車へ連絡を取りに行ってくれる。やはり口下手上司に慣れた部下は貴重だ。ちょっとくらい反応が遅かろうが、文句を言うべきではない。及第点だ。
「他に反応はあったか?」
振り返ることなくイニアエスへ問う。
「魔力感知範囲には反応がありませんでした。射撃の直前まで感知できなかったのも、群衆の魔力に紛れていたせいです。訓練した騎士や軍人ではなく、射撃による暗殺に特化した狙撃手といったところでしょう」
「狙撃……暗殺――ならば、どちらを?」
目下混乱中だろうに、むしろ頭を回転させないことができないのか、ユウナレアが思考の過程を短縮した疑問符を浮かべる。
つまり、狙撃してきたというのなら、ゲイルを狙ったのか、ユウナレアを狙ったのか。暗殺を決行したのであれば、ゲイルが死んで得をするか、ユウナレアが死んで得をする者がいるはずだ。
「たぶん、俺だな。もしくは両方」
と、ゲイルは言った。群衆はもう、先程のことなど忘れてしまったかのように騒ぎ出している。よく見えなかった、なにが起きたのか判らなかった者が大半だったおかげだ。ゲイルが一連の短い騒動を「余興」と言い切ったのもあるだろう。
「それは、何故?」
自分をじっと見つめるユウナレアの怜悧な瞳を、ゲイルは少し不思議な気分で見返した。戦場の新兵はもう少し怯えている。この華奢で小さい女が戦場を経験してきたわけがない。なのに、彼女は考えることを止めていない。
むしろエスコートの練習時よりも、思考が冴えていると言わんばかり。
「使用してきたのが狙撃用の十字弓だった。射線から考えて、俺に当たるように撃っていたと思う。まあ、撃たれる寸前はそんなこと判らなかったから、おまえを守るように動いたが、黙っていれば俺に矢が刺さる狙撃だっただろう」
「では、旦那様を狙っていた、と?」
「判らん。絶対に俺を射抜く自信があったのでなければ、すぐ隣におまえがいる状況で狙撃などしない。よって、万が一ユウナレアを撃ってしまっても構わないと思っていた可能性もあるし、単に下手くそで、俺とおまえを同時に狙撃した線もあるが……俺が屋根上に登ってみれば、射手は次矢を俺に撃ち込んできた」
「つまり、旦那様は殺してしまってもよかった、という結論になりますね。私が死んでしまったもよかったかどうかは、判断ができない」
「そういうことだな。生かして捕らえたが、ああいう手合いから搾り取れる情報は、それほど多くない。死にものぐるいで自決されたら、なかなか防ぐのも難しいからな。あまり期待はできん」
「……情報が漏れたと考えるべきでしょうか」
冷えた白刃のような眼差し。まるで心の中心に思考があり、他の全てが余分とでもいうような、そういう視線だ。いつの間にか青褪めていた顔色は元に戻っているし、肩や指先の震えが止まっている。
妙な嬉しさが込み上げ、ゲイルは領民たちへ適当に手を振ってやり、頭の中の考えをぽつりぽつりと言語化していく。
「まず、第三大隊の部下に裏切り者がいる線は、ありえない。あんな狙撃で俺を殺せるわけがないからだ。隣に座っているおまえを殺すのも不可能だ」
イニアエスの魔力感知があったから余裕の対処になったが、射られたなら矢が放たれた瞬間に察知できる。遠距離からの狙撃でゲイルを葬るのは無理であると、ゲイルの部下なら知っていて当然だ。策が弱すぎる。
「ラインバック家の内部、という線も考え難いですね」
「それは何故だ?」
「わざわざ戦勝祭を待つ必要がありませんから。まして旦那様は、毎日何処かへお出かけしていたではありませんか。殺したいなら、そのとき闇討ちすればいい」
「まあそうだな。簡単に殺されてやるつもりはないが」
「おそらく『敵』は、ゲイル・ラインバックがそこまで強いのだと知らなかったのでしょう。知っていればああいう手法にはなっていない……そういえば、怪我はありませんの? 隊の長が単騎で敵を制圧すると思っていませんでしたけど」
「問題ない。無傷だ」
「なら、よかったです。そうなると……外部の者が、旦那様を狙ったと考えるのが自然でしょうか? その場合、どうしてあのように待ち構えて狙撃できたのか、というところが疑問になりますが……でも……だったら……いえ、違いますね……それなら……じゃあ、どうして……」
ゲイルから視線を外さぬまま、しかしゲイルを見ていないような顔をしてぶつぶつと呟くユウナレアだった。ゲイルは小さく笑い、この件についての思考を取り止めた。自分ではこれ以上、進めない。自分より深く鋭く考える者がいるのだから、任せておけばいいのだ。
◇◇◇
その後は滞りなく行進が進み、多くの領民たちと共に領都の中心、大広場へ到着した。既に祭りの準備は整えられており、主催者席とでもいうような場が用意されている。ゲイルは家族たちから向けられる「さっきのはなんだ?」という眼差しを無視して戦勝祭の進行を優先させた。
ラインバック家の面々が席に着き、第三大隊が整列し、領軍騎士たちが大広場のそれぞれの配置に付く。領民たちも振る舞われる酒杯や果実水を受け取り、ざわめきが少し小さくなった頃に、モゥレヴ・ラインバックによる演説が始まった。
――四年も戦争をしてたけどようやく停戦できてその最大の功労者はうちの次男でものすごく凄いので褒め称えるし今日はうちの奢りで酒でも呑んでくれ――
と、だいたいそのような話があり、ゲイルに挨拶が促された。
事前になにか考えていたわけでもないので、とりあえず立ち上がって民衆をぐるりと見渡し、なんとなく口端を持ち上げてから、ゲイルは言った。
「戦は終わった。よく耐えてくれた。感謝する。ラインバックの強さと、戦の終わりに――乾杯」
別になにも言っていないに等しいのだが、求められた人物が求められる言葉を口にするだけで場が締まるものだ。戦場でもそうだった。
やれやれと息を吐き、席に戻って酒杯を傾けてみれば、ようやく思考の海から戻ってきたらしいユウナレアが、そっと呟いた。
「旦那様。おそらくですが、王都からの刺客ではないでしょうか?」
まあそんなところだろうな、とゲイルは思った。
モゥレヴから言質をもらっておいたのも、よかったかも知れない。
――我慢しなくていい。
そういうことだ。
元よりそれほど我慢強い方ではない。
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