23_戦勝祭の当日、市街の行進(ユウナレア)
戦勝祭はユウナレアの草案からほとんど修正なく企画され、かなり詰めた日程であったにも拘わらず、予定通りに始まった。
ほっとした、というのが最も大きな感慨だ。
幌のない派手な馬車を三台、それを囲うようにラインバック領軍の制服に身を包んだ第三大隊と、先導のための領軍騎士。
先頭馬車には英雄ゲイルと、その妻ユウナレア。後部座席にイニアエスが控えている。魔力感知に長けているので優秀な護衛であるとのこと。
ちなみにイニアエスは刺繍や飾り布の多いローブを身に纏っており、両目を覆う眼帯も黒地に金の刺繍という洒落たもので、誰が見ても魔法士と判る格好だ。
続く馬車には領主であるモゥレヴ伯爵と、三男のカート。後部座席には双子のジェニーとダニーが乗せられており、出発してすぐにカートが双子へ楽しげに話しかけているのが見えた。モゥレヴも笑っている様子。
三台目には次期領主たるガーノートと、その妻サーシェス。後部座席には、直近の部下として第三大隊から取り立てられたホレンスという男が座してる。
ラインバック邸の裏にある軍事施設を出発し、領都を一周してから領都中心にある大広間へ移動して、そこからはお祭りが始まる、といった段取りになっているが、もちろんユウナレアがなにもかも考えたわけではない。
参考にしたのは過去に行われた戦勝祭、終戦祭、停戦記念の式典などだ。辺境だけあって百年前からこの地ではナルバ王国との小競り合いがあり、その度に国土を増やしたり、増やした分を返したり、その逆があったりと、そういうことを繰り返してきた歴史がある。学院でも学んだリウエ王国の歴史だ。
けれども――戦いが終わるたびに、この辺境の民が祝い事を執り行っていたのは、初めて知ったことだ。
ユウナレアは過去の『凱旋記念』を参考に、可能な限り短時間かつ低予算で実行できそうな戦勝祭の案を練ったに過ぎない。
「領民がこんなにいたのだな」
軍部から市街へ行進が進んだ頃合いに、ぽつりとゲイルが洩らした。なんの感慨もなさそうな、感情を含まない呟き。
「市井の民と関わることは、なかったのですか?」
ふと気になって聞いてみる。
それは戦争中の四年間は関わりようがないだろうが、四年より以前は、ゲイルだって普通の伯爵家次男だったはずだ。
「街へ出て遊んでみようという子供じゃなかったのは確かだな。たまに叔父上が市井を知れと街に連れて行ってくれたが、ほとんどは訓練と勉強の毎日だった」
勉強は苦手だったが、と付け加えるのを忘れない。
ならば『ラインバック領軍』の行進に喝采を叫ぶ領民に対し、ゲイルはどのように思っているのだろうか。
「誰しもに、各々の人生がある。それだけのことだろう」
熱くも冷たくもない、乾いても湿ってもない言い方をゲイルはした。それから、なにか感謝を叫ぶ街の子供たちへ雑に手を振り、ゲイルは続けた。
「それを言うならおまえもそうだろう。ラインバック領民を愛しているのか? 実家の財政を任されていたとき、アーカッシュ領民を愛していたのか? ならば愛さなくなったら仕事の手を抜くか?」
「義務です」
端的に、それだけ答えるユウナレアに、ゲイルはニヤリと笑みを見せる。
ぞくり――と。
猛獣の爪がそっと肌を撫でるような、そんな感覚を覚えた。
「同じことだ。愛だの正義だの、そんなあやふやなもので戦い続けられるものか。そんな脆いものは、あっという間に崩れて色褪せる」
「『高貴な者の義務』――ですか」
「高貴かどうかは知らんが、おまえの言う通り、執政者は富を再分配する。そのために集積した富で、飢えることなく暮らしていけるわけだ。綺麗なおべべも買えるし、夜会で踊ることもする。カートのやつを中央の学院に入学させるのもいいかも知れないな。あいつは、剣よりペンが向いている。だが、集めて使った分は、民に返してやる義務がある。税と同じだ。誰も好き好んで支払うわけじゃない」
珍しく饒舌だな、と思った。
いや、もしかすると本当はこのくらい喋る人なのかも知れない。ユウナレアが、ゲイルにとって話をするに足る相手でなかっただけで……ならば、今は? 今のユウナレアは、ゲイルにとって話す価値があるとでも?
もちろん判らない。
「それでも……私は、この地を好ましく思っています。全てを知っているわけではありませんし、なにもかもを好きとは言いませんが、ユウナレア・ラインバックを名乗ることに、嬉しさを感じるくらいには」
「どうせ出て行くだろう」
「人はいずれ死にますが、では今すぐに死にますか?」
突き放すようなゲイルの言葉に、ユウナレアはにっこりと微笑して反駁した。もしかすると怒るかなと思ったが、ゲイルは怒気を見せるどころか初めて見るくらい上機嫌に笑って、膝の上に乗せていたユウナレアの手を取った。
「そうだな。おまえの言うとおりだ」
言って、ゲイルはユウナレアの白い手袋に唇を触れさせる。人食いの獣に頬を舐められたような恐ろしさを感じたけれども……不思議と、嫌じゃなかった。
彼のすることや言うことは、嫌じゃない。
私自身が嫌になることが多いというだけで。
妻の手の甲に口付けをした英雄を目撃した領民たちが歓声を上げ、ユウナレアは思わず手を引っ込めてしまった。ゲイルは上機嫌な笑みを見せ、騒ぎ出す領民たちへ手を振ってみせる。
まったく、意外性の塊みたいな人だ。
無意識にくすくすと笑ってしまい、ユウナレアも控えめながら領民へ手を振ってみせた。わぁっ、と歓声が上がったのを見るに、喜んでくれているようだ。
そうして、不意に胸の奥で声が響く。
――姉さまばかり、ずるいわ。
不思議とユウナレアは、このときはいつものような不快感を覚えなかった。奥歯を噛み締めたくなる苛立ち、頭の奥でがんがんと鐘を鳴らされるような頭痛、そういうものを、ひとつとして感じることなく――そうだね、とだけ思った。
だって、隣には恋物語の英雄騎士がいて、私は彼の妻で、領民たちが英雄の凱旋を祝ってくれて……そんな中にいることを、許されている。
ずるいわよね。
だって、嘘なのに。
けれども――ねえ、ソーラリア。私は貴女の姉なの。結局はそうだった。貴女に騙されてしまう父の娘で、貴女に絆されてしまう兄の妹なのよ。
ゲイル・ラインバックは、そんなユウナレアを許している。
こればかりは貴女がなにを言っても、きっと変わらない。
だって、この人は――私のことなんてどうでもいいのだから。
◇◇◇
盛況のままに行進は続き、行進について来る領民たちも増えてきた。
それもまた過去の事例から計算はしていたので、行進はいよいよ領都の大通りへ入ることとなった。まずは外周を回り、次に道幅の大きい内周を巡り、あとは大広間に辿り着けば、見世物としての行進は終わりだ。
予想以上に領民の受けがいいのは、ゲイルの見た目がいいせいだろうか。普段は顔の傷や雰囲気が物騒すぎて近寄りがたいのだけれど、格式高い騎士服を着ている彼は、まさに英雄だ。ちょっと口を開けばいつもの彼だと思ってしまうが。
「なにがそこまで嬉しいのだかな」
思いついたように領民へ手を振り、そのついでみたいにゲイルは呟いた。
確かに――言ってはなんだが、四年続いた国境紛争は、経済や軍組織に少なからず打撃を与えたが、ほとんどの領民には無関係な出来事だった。
もちろん軍人を家族に持つ者もいただろう。夫が帰らぬ人となった妻、父を失くした子供もいたはずだ。そういう意味では無関係などとは口が裂けても言えないのだが、彼らの生活、それ自体を脅かす脅威ではなかったのだ。
それはゲイルが最前線の位置を頑なに維持し続けた成果でもあり、ユウナレアが途中から財政を取り仕切って黒字化させた成果でもある。むしろ戦争が始まる前より、わずかに領民の生活は豊かになっているだろう。
が、そういうことを領民が理解しているとも思えない。
であれば――、
「ラインバックの土地柄なのでは? ここはずっと以前から辺境で、リウエ王国の国境を守り続けた土地です。国境で戦った者たちの帰還を喜ぶのが、この地の気風なのではないでしょうか」
「気風、か。なるほどな。うちの連中の頭が筋肉で出来ているのと、まあ似たようなものか。大将軍と謳われた叔父上も、まあひどいものだったからな」
「……カートは違いますわ」
「だな。あいつはラインバックの男としては、珍しいかも知れん」
悪くない、とばかりにゲイルは笑う。
今日は本当に上機嫌だ。いや、領民たちへ見せる顔を意識して、柄にもなく笑んでいるのだろうか? いや、それも違うか。この男は笑いたくないのに笑うような人間ではない。なんとなくだが、確信だ。
ちょっとずつ、ゲイルのことを理解してきたような――。
きっと自惚れだ。なにしろ彼が戦い続けた四年間のことを、なにも知らないに等しい。それなのに、ゲイル・ラインバックを知ることが、嬉しいと思ってしまう。
いずれ離婚する書類上の夫を、もっと知りたい。
知るべきだ。知らねばならない。そうでなければ非道が過ぎる。
ラインバックを出立するときが来たら、きちんと傷付いて出ていくべきだ。癒えない傷を刻んで別れるべきだ。
泣きたくなるほど痛いだろうけど、その痛みを、甘受したい。
今なら、まだそこまで痛くないだろう。だからもっと深くまでラインバックを身の内に食い込ませたい。ゲイルのことを、もっと知りたい。
私が勝手に傷付いても、きっと旦那様は許してくれる。
それこそ非道で下衆な考えかも知れなかったが、ユウナレアはその考えを変える気になれなかった。
嬉しさや喜びに似た、暖かな甘さが胸の中に充満して、じゅくじゅくと罪悪感を刺激する。まるで被虐趣味だ。でも違う。きっと違う。
「――ゲイル様。前方十時と一時、屋根上に射兵。一名ずつ」
と。後部座席のイニアエスが言った。
一瞬前まで、いつもみたいにほわほわと微笑んでいた人と同じとは思えないほど、硬く、冷たい、人の死に慣れきった戦士の声音。
「え?」
意味が判らずイニアエスへ振り向いた次の瞬間、ぐるんっ、と視界が反転した。馬車の上で立ち上がったゲイルがユウナレアを両手で抱き上げ、即座に左腕一本でユウナレアを持ち直しながら、その場で踊るみたいに回転したのだ。
右手には剣。
その剣が――矢を弾いていた。
次の瞬間には、ぽいっ、と荷袋みたいにユウナレアが放り投げられていて、後部座席のイニアエスが身じろぎひとつせずにユウナレアを受け取った。女性にお姫様抱っこされる形になったが、そのことになにか感慨を覚えるほど、余裕がない。
なにが――起きている――?
今の一瞬で、なにが起きた――?
そして――これから、なにが――?
「射線は読めた。妻を任せる。必ず守りきれ」
言って、英雄が馬車の上から跳んで往く。
「お任せください、ゲイル隊長」
あっという間に見えなくなるその背中に、眼帯の魔法士が呟いた。
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