第61話◇ 3人の自己紹介
「そういえば……名前、まだ聞いてなかったな」
コウイチがそう言うと、女は1度ぱちりと目を瞬かせ、それから何でもないことのように笑った。
「うん!」
「……いや、そこで返事だけされても困るんだが」
隣でミアが小さく笑う。
女はようやく何を聞かれているのか分かったらしく、自分の胸に手を当てた。
「ロッテ!」
「ロッテか」
「うん。ロッテ!」
名前を聞かれていなかったこと自体、まったく気にしていなかったらしい。
「俺はコウイチ。こっちは――」
「ミア!」
「知ってるのか?」
「さっき旦那様が呼んでた!」
そう言って、ロッテはミアを見る。
「よろしく、ミア!」
「はい。よろしくお願いします、ロッテ」
ミアが少し戸惑いながら頭を下げると、ロッテも真似するように頭を下げた。もっとも、すぐに顔を上げると、今度はコウイチへ向き直った。
「よろしく、旦那様!」
「……やっぱりそれでいくのか」
「うん!」
先ほど、好きに呼べとは言った。
本人がそう決めたのなら、今さら訂正させるほどのことでもない。
コウイチはルークへ視線を向けた。
「じゃあ、連れていく」
「はい。今後ともガルディ奴隷商館をご贔屓に」
「しばらくは来ないぞ」
「おや、なぜでしょう?」
「金貨10枚も持っていかれたからだ」
ルークは涼しい顔のまま微笑んだ。
「奴隷商人ですので」
「……知ってるよ」
◇
商館を出ると、午後のラグナードの通りは変わらず人で賑わっていた。
コウイチの横を、ミアとロッテが歩いている。
今朝までは2人だった。
そこへ1人増えただけなのだが、歩いている時の感覚まで妙に違って感じる。
「旦那様、どこ行くの?」
「まずはお前の物を揃える。服もそれだけじゃ足りないだろ」
ロッテが自分の服を見下ろした。
奴隷商館で着せられていた簡素な服だ。汚れてはいないが、着替えも必要になる。
着替えだけでなく、日用品も揃えなければならない。冒険へ連れていくなら武器や装備がいるし、採掘を任せるなら道具も必要になるだろう。
そこまで考えて、コウイチは腰の財布へ手をやった。
軽い。
分かっていて払った金貨10枚だ。後悔はしていないし、《探求》の価値を考えれば、高い買い物だったとも思っていない。
それでも、財布の重さは正直だった。
「減りましたね」
隣を歩いていたミアが言った。
「……減ったな」
どうやら同じことを考えていたらしい。
ロッテが2人を交互に見る。
「旦那様、お金ないの?」
「……また貧乏に戻ったな」
「そうなの?」
少し心配そうな顔をされたので、コウイチは苦笑した。
「明日の飯にも困るって意味じゃない。余裕がなくなっただけだ」
「じゃあ大丈夫?」
「ああ。また稼げばいい」
ラグナードへ来たばかりの頃とは違う。
今は冒険者としてDランクになり、売れる商品もある。金を稼ぐ方法そのものがなくなったわけではない。
金貨10枚を失ったのではなく、ロッテに替えた。
そう考えればいい。
そのロッテは、もう金の話への興味を失ったらしく、通りに並ぶ露店をきょろきょろと眺めていた。
「旦那様、あれ何?」
「露店だ」
「何売ってるの?」
「見れば分かるだろ」
「いっぱいあるから分からない!」
「……そうか」
これから賑やかになりそうだ。
◇
服を選ぶのは、思っていたより早く終わりそうだった。
「これでいい!」
ロッテが迷うことなく1着を手に取ったからだ。
値段も安い。
丈夫そうではあるが、それ以上でもない。
「本当にそれでいいのか?」
「うん。着られるよ?」
「そういう問題じゃ……」
言いかけたところで、ミアがロッテの持っている服へ手を伸ばした。
「ロッテ。もう少しちゃんと選んだ方がいいですよ」
「なんで?」
「毎日着るものですから。これは少し生地が薄いです」
「でも着られるよ?」
「着られますけど……こっちの方が丈夫だと思います」
ミアは別の服を手に取り、縫い目を確かめてからロッテへ合わせる。
「腕を上げてもらえますか?」
「こう?」
「はい。次は少し横を向いてください」
言われるままにロッテが身体を動かしている。
その様子を眺めていたコウイチは、ふと以前のことを思い出した。
ミアの服を初めて買った時は、自分が店を回って選んでいた。
あの頃のミアは、何か欲しいものがあっても自分から口にすることがほとんどなく、こちらから聞いてようやく答えるような状態だった。
それが今では、自分より後から来た人間の服を選んでいる。
「コウイチ様?」
視線に気づいたのか、ミアがこちらを見た。
「いや。何でもない」
「?」
首を傾げるミアから目を逸らす。
わざわざ言うほどのことでもない。
ただ――変わったな、と思っただけだ。
結局、服選びはミアに任せた。
コウイチより、よほど適任だった。
ミアが選んだ丈夫な着替えを2着購入し、代金として銀貨1枚と銅貨20枚を支払った。
続いて立ち寄った雑貨店では、ロッテに必要な日用品を揃えた。こちらは銅貨40枚だった。
◇
服と最低限の日用品を揃えたあと、3人は武器や工具も扱う店へ入った。
その瞬間、ロッテが足を止めた。
さっきまで休む暇もなく喋っていたのに、急に静かになった。
視線の先には、壁に掛けられた槌や斧がある。棚にはヤスリやタガネが並び、その奥には採掘用のピッケルも置かれていた。
ロッテはゆっくり店内へ入ると、棚から1本の槌を手に取った。
握りを確かめて持ち上げ、柄を見る。今度は金属部分と柄の接合部へ顔を近づけ、じっと観察した。
「これ、柄は替えられる?」
店主が少し意外そうな顔をした。
「ああ。楔を抜けば交換できるぞ」
「こっちは?」
「そいつも同じだ」
「でも、形が違うよ?」
「作った職人が違うからな」
「なんでこっちは、ここが太いの?」
「それは――」
質問が続く。
ただ、奴隷商館で未知の鉱石を見せた時ほどではない。
店主の説明を聞きながら、ロッテは何度も槌を持ち替え、重さや握りを確かめていた。
やがて、壁際に掛けられていた1本の武器の前で足を止める。
「これ」
ロッテが手にしたのは、片手で扱う戦槌だった。
金属製の槌頭を持つ、打撃に特化した武器。コウイチの槍とも、ミアの短剣とも違う。
「それがいいのか?」
「うん!」
ロッテは戦槌を握り、軽く構えた。
小柄な身体には少し重そうに見えたが、腕はほとんど下がらない。それどころか、何度か持ち替えながら重心を確かめる余裕まである。
腕や肩が太いわけでもないのに、重さを苦にしている様子はなかった。人間とは身体の作りそのものが違うのかもしれない。
「戦槌を使ったことは?」
「これはないよ。でも、槌なら使ったことある!」
「武器として習ったことは?」
「ない!」
「……なら、実戦で使う前に練習だな」
「うん!」
「振れるか?」
「振っていい?」
「店の中ではやめろ」
「うん!」
聞く前に振らなかっただけ良しとしよう。
戦槌は銀貨2枚で購入することにした。
次は採掘道具だ。
ピッケルを見つけたロッテの目が、また変わる。
「これも欲しい!」
「だと思ったよ」
さらにタガネを手に取る。
「これも!」
その隣を見る。
「あと、これも!」
「ロッテ」
「なに?」
「今日は最低限だけだ」
「なんで?」
「金がないからだ」
「あ」
ロッテが口を開けたまま止まった。
「忘れてたのか?」
「うん!」
「胸を張って言うな」
結局、銀貨1枚と銅貨20枚の採掘用ピッケルと、銅貨60枚分の最低限の工具だけを買うことにした。
ピッケルは、コウイチが表向きに使っているマジックバッグへ入れておけば、持ち歩く邪魔にはならない。
必要な道具は、これから少しずつ揃えればいい。何が必要なのかも、実際にロッテが作業を始めれば見えてくるだろう。
◇
宿へ戻ると、コウイチは女将に人数が1人増えたことを伝えた。
明日以降についてはまだ決めていないと説明し、銅貨20枚の追加料金を払って、今夜だけ部屋へ簡易寝台を入れてもらうことになった。
部屋へ入ったコウイチは、荷物を置くとミアへ声をかけた。
「そうだ。先にお前のマジックポーチを作っておこう」
「いいんですか?」
「もちろん。あれはお前が使うために作ったものだったからな」
下取りに出したマジックポーチは、金貨2枚と銀貨50枚になった。おかげでロッテを迎えることができたが、ミアが不便になるのは本意ではない。
幸い、今日はまだ《生成》を使っていない。魔力にも十分な余裕があった。
コウイチは以前作ったマジックポーチの構造を思い浮かべる。
腰へ装着できる革製の小さな収納具。見た目より多くの荷物を収納でき、冒険中も邪魔にならない形状だ。
すでに1度作っているため、構造も把握している。
コウイチが《生成》を発動すると、目の前に見覚えのあるマジックポーチが形を成した。
仕上がりを《鑑定》で確認する。
【マジックポーチ】
【品質:B】
【容量拡張】
「よし。前のと同じ品質だ」
コウイチは完成したポーチをミアへ渡した。
「ほら。これでまた使えるぞ」
「ありがとうございます、コウイチ様」
ミアは嬉しそうに受け取ると、早速腰へ装着した。
「今度は大切に使います」
「前のも大切に使ってただろ。あれは必要だったから売ったんだ。気にすることないぞ」
「はい」
ミアが微笑む。
そのやり取りを見ていたロッテが、不思議そうに首を傾げた。
「旦那様、それ作ったの?」
「……まあな」
「どうやって?」
「それは、また今度説明するよ」
「えー! 気になる!」
「まずは荷物を片づけような」
「うん! でもあとで教えてね!」
コウイチは苦笑した。
どうやら、ロッテに《生成》のことを説明する日も、そう遠くなさそうだった。
買ってきた物を抱えて部屋へ入るなり、ロッテは荷物を広げ始める。
「ロッテ、それはそこに置くと邪魔になります」
「ここ?」
「そこなら大丈夫です」
「うん!」
ミアは自分の本を別の場所へ移しながら、ロッテの荷物を置く場所まで作っている。
コウイチも荷物を置こうとして――そこで改めて気づいた。
狭い。
2人なら十分だった部屋が、3人になり、簡易寝台まで入ったことで一気に狭くなっていた。増えたのは人間だけではなく、ロッテの服に戦槌、採掘道具や工具まである。ミアの本も以前より増えているし、自分の商品や素材も置かれていた。
そして何より、コウイチは机の上に置いた黒灰色の鉱石を見る。
ロッテがあれを調べ始めれば、さらに道具が必要になる。
削ったり叩いたり、場合によっては熱したりすることもあるだろう。
――宿では無理だな。
部屋の中で金属を叩き始めれば、追い出されても文句は言えない。それ以前に、商品を作る場所としても限界が近づいていた。
コウイチは椅子へ座ると、宿代を頭の中で計算し始めた。
自分とミアだけだった時とは違い、これからは3人分の宿代と食費がかかる。ロッテの装備もまだ最低限しか揃えておらず、調査を始めれば材料や道具にも金が必要になる。
そこへ作業場所まで別に借りるとなれば、負担はさらに増える。
しばらく数字を追っていたコウイチの手が止まった。
「……ちょっと待て」
本を開こうとしていたミアが顔を上げる。
「どうしました?」
「俺たち、1か月ここにいたら、宿代はいくらになる?」
「3人で、ですか?」
「ああ」
ミアも考え始める。
その間、ロッテは何をしているのかと目を向けると、いつの間にか机の上の鉱石へ顔を近づけていた。
そして手が伸びる。
「触るなよ」
ぴたりと止まった。
「……まだ触ってないよ?」
「今から触るところだっただろ」
「うん」
正直なのは助かる。
やがてミアが、おおよその金額を口にした。
コウイチはその数字を聞きながら、改めて部屋を見回した。
ベッドや荷物、本に武器、工具。これから増えるであろう素材まで考えれば、今の部屋を使い続けるのは難しい。
宿代だけなら払えない額ではない。
だが、ここでは仕事ができない。
別に作業場を借りるくらいなら――。
「……家を借りた方が安くないか?」
ミアが目を瞬かせた。
「家、ですか?」
「ああ。できれば作業場があるところだ」
その言葉を聞いた瞬間、それまで鉱石を見ていたロッテが勢いよく振り返った。
「作業場あるの!?」
「だから、そういう家がないか探すんだよ」
「炉もある?」
「まだ決まってない」
「作業台は?」
「それも分からない」
「広い?」
「今から探すって言ってるだろ」
「いつ?」
「明日」
「私も行く!」
「3人で住む家なんだから、当然だろ」
「うん!」
ロッテの耳には、都合のいい部分しか届いていないらしい。
コウイチは狭くなった部屋をもう1度見回した。
作業場があり、3人で暮らせて、今の自分たちにも払える家。
簡単には見つからないかもしれない。
それでも、ここへ居続けるよりは探す価値がある。
「明日は3人で、家探しだ」
「はい」
「うん!」




