第1話 放課後、噂は息をひそめる
教室の窓から差し込む斜めの光が、机の上に微かな埃の影を落としていた。
「……なんで、また私がこんなことを」
九重紬は、手元のノートに無言で赤ペンを走らせる。文字の隙間に、昨夜ネット掲示板で見た噂を書き写していた。「学園の人気者・桐谷悠里が転校してくるらしい」と――。
「九重、また変なことやってるの?」
背後から声がした。相田蒼、新聞部の副部長で、軽薄に笑うのが得意な男子だ。
「変なことじゃない。噂の出所を探って、広がり方を分析してるの」
「へぇ、また噂解剖学科らしい仕事か」蒼は机の上に肘をつき、じっと紬を観察した。
紬は眉をひそめる。彼女の学科――噂解剖学科は、普通の高校では考えられない特殊な場所だ。ここでは噂がどのように人の行動や感情を動かすかを、科学的に「解剖」する。学園の中で噂の調査・分析は、日常の一部でもあった。
その日の昼、掲示板には新たな書き込みが現れた。
「悠里ちゃん、実は昨日転校先の駅で事故に遭ったらしい……?」
紬は目を見開いた。まだ真偽は不明だ。だが、噂が文字から文字へと飛び交い、現実世界に微妙な影響を与え始める――それを紬は肌で感じることができる。
「蒼、これ、確認に行かない?」
「ん? お、ついに調査任務か。面白そうだな」
蒼はニヤリと笑った。その笑顔に紬は少し苛立ちを覚えながらも、仕方なく笑みを返す。
放課後の校舎は静かだ。廊下の角を曲がると、掲示板の前に学生たちが集まっていた。誰もかれも、スマホを手にし、ささやき合うように情報を交換している。
紬は静かに一歩踏み出す。
「噂は、人を殺さない。ただ、人を変える――」
その瞬間、廊下の向こうで小さな叫び声が響いた。
「悠里ちゃん、倒れてる――!」
駆けつけると、桐谷悠里は小さく震えて座り込んでいた。転校初日、校舎の階段で足を滑らせたのだ。幸い命に別状はない。しかし、噂はすでに人々の間で「事故の原因は不注意ではなく、怨霊の祟りだ」と広がり始めていた。
紬はノートを開き、慎重にメモを取る。
「さあ、蒼。解剖の時間だ」
蒼は肩をすくめ、軽い笑いをもらす。
「任せろ、噂解剖部の名コンビよ」
窓の外、夕陽が校舎の壁にオレンジの影を落とす。その影の中で、少女と少年は今日も“噂の真実”を追う。
#学園掲示板
「悠里ちゃん、階段で滑ったらしいけど、怨霊のせいかも?」
「いやいや、ただの不注意だろ」
「でもあの子、昨日からずっと何か言いたそうにしてたんだよね」