6.夏休暇とひととき
あれから私がシェルクラーク王立高等学院に入学して1年が経った。
学院生活は至って順調で、とても有意義な時間を過ごせていると思う。周囲の人たちは初等部からこの学院に通っている学生も多く、初めは馴染めるかどうか不安だった。なんせ大自然の中で生きてきた私にとって王都の絢爛豪華さは圧倒されることも多く、一方で学生たちはそれが当たり前のようだったから。でも話してみると割と良い人ばかりで、私がほとんど知らない社交界や王族の話などもしてくれるためかとても楽しい。そして実は私は割と立場的に上の方みたいで、恐れられることもたびたびあった。領主の家って、そんなに偉かったっけ・・・?
クラスも初めはAクラスに在籍していたものの、定期試験で毎回クラス2位を取っていたためか、Aクラスの1位の人と一緒にSクラスへ移されてしまった。個人の成績でもそこまで左右されるものとは聞いていなかったので驚いた。変更を聞かされた際クレアには泣きつかれてしまったし、正直慣れたAクラスのままの方が良かったと自分でも思う。
ちなみにSクラスには当然のようにアルバートとドエトルがいた。そして、前世のゲームで悪役令嬢として名高かったエレメンティーナ・ロード嬢もいた。確かロード家は王都の公爵家だったように思う。ちなみに誰がどの爵位だとか、どの領出身だとかは学院に来てから知った。なぜなら、正確に言うとこれまで全く興味がなかったので。クレアにしても王都に続いて国内第2位の力を持つウィスタリア領の侯爵家だと後から知った。
「父様はこういう繋がりを持てと言いたいのかしら」
それにしても、貴族というものはどれくらいいるのだろう。各クラスに20人ほど所属するこの学院には王国中の貴族や準貴族、商家の子息子女が通っているけれど、それだけでもすべての家から来ているとは限らない。全員と面識を持つのは大変だろうけど、最低限がどのあたりかわからない。
Sクラスに移籍してから勉強は確かに少し難しくなった。それでも別に、このクラスで一番を目指すわけではないし、そう思えば特に苦はない。なにせこのクラスではアルバートが一番でなければ何事も平穏には終わらない、と勝手に思っている節がある。剣の腕以外は。ゲームでの彼の輝かしい功績は、ひょっとすると空気を読んだ周囲によるところがあったのかもしれない。
あれからクレアとは寮でも仲良くしているし、彼女のおかげでクラスメイトとはときどきお茶に誘われたり勉強を教えたりと良好な関係を保てている。また、私が勉学に燃えていたせいかわからないが、あのブラッドといつの間にか話すようになり、さらに成績で競うようになり、今では友人と呼べるほどになっていた。彼も初めの印象とは違って優しいところがある。ただ無表情なだけで意外にもよく口を開く彼は、人に誤解されやすいのかもしれない。
ちなみに、そのブラッドはゲームと同様に成績優秀で頭が良く、Sクラスへ変更されたもうひとりだ。知り合いがいて少しほっとしている。
ところで、前世の記憶によると確かブラッドは攻略対象のキャラクターとして登場していたけど、今のところ友人で大丈夫よね?まぁ、攻略されてしまったら、その時はその時で面白そうなのでいいかしら。
ちなみにドエトルは相変わらず気さくに話しかけてくれるけど、あんまり馴れ馴れしくしたらエレメンティーナ嬢、通称エレーナ嬢の視線が痛いので一応敬語で壁を作っている。アルバートは相変わらず田舎者扱いしてくるので論外だ。前世の私なら違っただろうが、今世の私はもとより彼に興味はない。
故郷からの手紙は季節ごとに一度ずつあった。父様からはいつもひと言だけで、反対に母様からの手紙はいつも長く綴られていた。弟のエディからの手紙もたまにあった。領民たちも家畜たちも、皆元気でやっているらしい。
夏の長期休暇のときには帰ることもできたけれど、私は学院に残ることにしていた。だってまだまだ勉強し足りないもの。普段の講義で足りないと思うことを長期休暇の間に勉強したい。
とまあ、ここまでは私の1年間を軽くまとめてみた。なにせ学ぶことが多岐に渡って多くありすぎて、怒涛のように時間が過ぎていったのだ。
夏の休暇のある日のこと。
私はいつも通り図書館に行って、勉強をするつもりだった。今日は昨日の続きで、このクローヴィア王国の歴史を深掘りしていきたいと思っていたところだった。
寮を出て、学院と寮との間にある大きな図書館へ向かう。海沿いのこの王都は夏になると偏西風のおかげで潮風がいっそう気持ちよく王都中に吹き渡る。それでもエルラントよりも標高は低いのに、緯度が低いためか些か暑い。
図書館へ辿り着いて一息ついた時、丁度後ろからブラッドも館内へ入ってきた。
「ごきげんよう、ブラッド」
こんな挨拶エルラントでは教えてもらいはしたけど言ったことなんて当然ない。ここに来てから言うようになった言葉のひとつである。
「やあ。今日も暑いね、フィオナ」
そう言うブラッドだけれど、そんなに暑そうには見えない。涼しい顔で私の横に並ぶ。
「今日も勉強かい?相変わらずすごい熱量だね」
「もちろんよ。何の為に私がここに来たとお思いで?」
だが、ブラッドも休暇中であるというのに帰省もせず、同じように図書館へと足を運んでいる。人のことなど言えないではないか。
「僕は勉強しに来たわけじゃないよ」
だったらわざわざ図書館へ何をしに来たのかこの人は。相変わらず表情筋が働かないらしい彼は、無表情のままさらりと言い放つ。
「あ、そうだ、フィオナ。今日はなんの日か知ってるかい?」
突然違う話を振られ、はぐらかされた気持ちになりつつ私は考える。なんの日だったっけ?
この国では一年を春夏秋冬の4つの季節に分けて、それぞれの季節の何日目かで日付を表す。ちなみに今日は夏の66日。丁度夏休暇の折り返し地点だ。王国の祝祭日ではなかったはずだし、特に思い当たる行事もない。
館内を歩きながらさらに考える。夏休暇で帰省している学生が多いため、館内には人が少ない。それが奥に進むごとにより少なくなっていって、本棚が途切れた先にあるテーブルは私たちで貸し切りとなった。
「ごめんなさい、わからないわ」
「だろうね。それなのに真剣に考えるんだから、君って面白いな」
そういう割に顔は全く笑っていない。唯一言えるのは目が少しだけ笑っているくらいだろうか。
私は持ってきた鞄を空いている椅子に置いて、借りていた本を取り出した。こんなにもスペースに余裕があるんだし、少しくらい広げたって許されるだろう。
何も持っていなかったブラッドは、すぐ近くにある本棚から適当に数冊の本を選んで持ってきた。もしかしてその中にヒントでもあるのだろうかとタイトルをまじまじと見てみたけど、どれも天文学の本ばかりで違うような気がする。そして、当たり前のように私のすぐ隣の椅子を引くと、音もなく座った。その様のなんと滑らかなことか、私はついブラッドの動きを見ていた。さすが頭脳派バージェス領の伯爵家のご子息といえる。
ブラッドは普段からずっと無表情で、怒ったりしても楽しいと言っていてもほとんど表情が変わらない。でも鋭いグレーの瞳から負けず嫌いな性格が時々垣間見えるので面白い人物だと思う。それに無表情なだけで口数は多い。今の彼から出るオーラは、鞘に収められて戦いを待ち望んでいる剣のよう。
「で、正解だけど。今日は僕の誕生日なんだ」
なんでもないような顔でブラッドは言った。すっと足を組んで、持ってきた本を手に取って開いた。
「そうなの?知らなかった!お誕生日おめでとう、ブラッド!」
今日がブラッドの誕生日だったなんて、初めて聞いた。もっと前から知っていたらちゃんとなにかお祝いでもしたのに。
「でもそれなら、ご実家に帰ったほうが良かったんじゃない?」
ブラッドと私しかいないと思うと、くだけて話ができる。正直貴族令嬢特有の話し方はあんまり得意じゃない。
ブラッドはちらりと私を見ると、また本に視線を戻して言った。
「別に、家に帰っても兄さんたちがうるさいだけだよ。それに、君に直接祝ってもらいたかったし」
「ふふっ、それならご家族の分も私が祝わないといけないわね」
相変わらずブラッドは表情を変えない。言い出しっぺのくせに嬉しくないのかな、誕生日くらい笑わないのかしらと思って見ていたら、なんだかとても違和感を覚えた。なんだろう、なにかおかしい。
ふと、ブラッドが持っている本を見た。表紙のタイトルが逆さになっている。中身も盗み見してみたら、やっぱり逆だった。
「ブラッド、それ読めてるの?」
「っ・・・!」
ブラッドは弾かれたように急いで本の上下を持ち替えた。しかもよく見ると、たった今適当に取ってきたばかりなのにもう真ん中辺りのページを開いている。
「今日は、そんな気分なんだよ」
「どういう気分なの、それ」
さすがのブラッドも、少し慌てた表情になって目を泳がせた。こんなブラッドは初めて見たかもしれない。とても面白い。
私がおかしくて笑っていると、ブラッドは頭を掻いて、はあーっと息を吐いた。そして本をそっとテーブルに置くと、私をじっと見て言った。
「じゃあ、祝ってくれる?」
「・・・え?」
グレーの瞳がいつもは見ないくらいにきらきらと輝いている。
「兄さんたちの分も祝ってくれるんでしょ?」
これは、確信犯に違いない。ひょっとしたら私の後を着いて図書館に来たのかもしれない、なんとなくそんな気がした。
「いいよ。ちゃんと祝ってあげるわ」
「やった。フィオナありがとう」
そう言って、ブラッドは滅多に見せない笑顔を見せた。どこか安心したような笑顔は弟のエディと少し似ている気がする。
その後はブラッドの要望もあって、街へと出かけた。特に欲しいものはないと言ってるし、家が家だから手に入らないものは少ないのだろう。活気溢れる街をあてもなくふらふらと散策して、彼はとても満足そうだった。
夏休暇は驚くほどに穏やかに過ぎて行った。50日もある休暇中ほとんどの学生が帰省しているからだろう、学院内は静かに時間を刻んでいく。クレアも休暇の大半を帰省に当てていて、10日置きくらいで彼女から手紙が来た。彼女、課題はちゃんとやっているのだろうか。
そして、2年目の秋。新学期が来た。私はこの季節のことをすっかり忘れていた。
そう、あのゲームのストーリーはここから始まるのだということを。