42.久しぶりのエルラント
少しずつ春の気配を見せ始めた山の中を公爵家の馬車が走る。そしてその馬車で私とエディはエルラントに向かっていた。
理由は簡単である。そう、プロフォンド公国で行われる国交記念パーティーに出席するためだ。
ある程度学業に時間を優先した結果、今回かなりタイトなスケジュールで動くはめになった。まぁ、間に合えばいいという母様の助言でそうなったのだが、おかげでエルラント領に着いた翌日にはプロフォンドに向かわなければならない。
何はともあれ時間が惜しいので、私とエディは馬車の中で予定を確認していた。
「アクセサリーは母様が用意してくれているのよね。ドレスはまだだから、着いたらまずドレスの最終確認、と」
母様から届いた手紙に目を落としながら呟く。
「あのドレス職人の人だよね。カティアさんはいつもギリギリで間に合わせてくるなぁ」
行きつけの街のドレス職人の顔を思い出す。
カティアという快活な女性なのだが、彼女は切羽詰まってからが一番力が入るらしい。かなり日数が差し迫っているが、それはいつものことである。
きっと彼女なら完璧に仕上げてくれるだろう。
「というかむしろ、カティアさんのルーズなスケジュールのせいでしょ。絶対にエルラント以外の貴族相手に商売できないよね、あの人」
「ま、まあまあ」
確かにエルラントはおっとりして穏やかな貴族家ばかりだ。少々のマイペースも許されるくらいの。
「それにしてもさぁ」
「?」
勿体ぶって一度言葉を止めたエディに、私は首を傾げた。
「姉さんは久々の帰省だから皆楽しみにしてると思うけど、僕なんて出ていってすぐコレだよ。なんか出戻りみたい」
エディは冗談半分といった様子で両手を上げた。私は思わずふふっと笑ってしまった。
「そうかしら?皆、あなたが帰ってくるのを楽しみにしてるわよ、きっと」
「いーや、それがそんなことないんだなこれが!僕が出るとき、なんて言われたと思う?」
エディは芝居がかったように力強く言うと、再び途中で言葉を止める。
少しの間考えて、けれどやっぱりわからなかったので私は聞き返した。
「なんて言われたの?」
「進学したって良いんだぞ、だってさ!帰ってくるなってこと?」
「まぁ・・・それは、たくさん勉強しておいでっていう意味よ。帰ってくるななんて思っていらっしゃらないわ」
私がそう言うと、分かっていたのかエディは少しにまっと笑っていた。
エルラントに着いたのは、さらに次の日だった。
久しぶりに味わう故郷の空気に、馬車旅の疲れも吹っ飛んでしまいそうだ。王都にはない、広大な森林や山々、野生の生き物の息吹や人々の温かさに、帰ってきたのだと実感する。
本来なら、学院を卒業してからのはずだったこの感動を今味わっているのは少し拍子抜けしてしまう気もするが、まぁ致し方ない。
エルラント家の屋敷は領都の北はずれにあり、エルラント領唯一の市街地を抜けてさらに林を越えた先にある。
昔、なぜ中心地から少しだけずれたところにあるのか不思議に思い、父様に尋ねたことがあった。父様が言うには、自然が大好きで、人の多いところがあまり得意でない先々代の希望だったらしい。
私個人としても、屋敷の裏に畑や走り回れる山があって良かったとは思っている。公爵令嬢としては少し異例かもしれないけれど。
屋敷の前で馬車が止まり、私とエディは馬車から降りた。クレアやエレーナの家に比べるまでもないほどに小さいけれど、エルラント家の屋敷も趣があって私は好きである。
「フィオナ様、エディオッド様、おかえりなさいませ」
迎えに出てきてくれたのは、この家唯一の執事であるゴードンだ。確か今年で40歳だったと思う。妻子はいないらしいが、彼は父様の仕事の補佐もしているので、結婚してもうちを出ていかないでほしい。
「ただいま。忙しいでしょう、わざわざ迎えに出なくても良かったのに」
ゴードンはにこやかな笑みを口元に浮かべて言った。
「いえ、私も久しぶりのフィオナ様とエディオッド様のお顔を見とうございましたので。あぁ、当主様は執務室にいらっしゃいます」
「わかったわ。ありがとう」
私とエディは一旦自室に荷物を置いてから執務室に向かうことにした。そのことをゴードンに伝えると、彼は頷いて、忙しそうに奥へと戻っていった。
何か変わったことはないかと屋敷内をくまなく観察してみるが、むしろ何ひとつ変わっていなかった。自室だけでなく、廊下や食堂も、私が王都に出たときと同じ光景だった。
執務室の扉をノックして、ガチャリとノブを回した。重厚感のあるその音も変わらず、どこか安心する。
「父様、母様、ご無沙汰しております。ただいま戻りました」
執務室には父様だけでなく母様もいて、2人の前には大量の書類があった。そしてとても忙しそうである。それはそうだ、プロフォンドとの交流パーティーまで、もう少ししか時間はない。
「おかえりなさい、フィオナ、エディ。あら、フィオナってば、少し背が伸びたんじゃないかしら?」
「そうですね、少しだけ伸びましたね」
久しぶりに会う母は、忙しいにも関わらず、相変わらずのマイペースさを発揮してくれた。私とエディは2人で笑った。
「帰ってきたばかりで申し訳ないが、応接室に行ってくれ。服飾師が待っている」
簡単に挨拶をした後、父様は書類に印を押しながらそう言った。本当に忙しそうである。
「それと、申し訳ないが、カロット伯爵家とアマイン男爵にこれを届けてくれないか?」
そうして渡されたのは、封筒だった。白地の厚紙には花型があしらわれ、金の紐飾りで装飾されている。とても豪奢な印象の封筒だ。
「公国からまとめて受け取っていたのだがな、各家に渡すのを忘れていたんだ。その両家は近いから、ついでに顔を出しておきなさい」
なんと、あのしっかり者の父様にも抜けているところがあったのか。いつでも完璧にならないと、と勝手にプレッシャーを感じていた私は少し安堵した。
「わかりました。行きましょうか、エディ」
私がエディにそう言葉を掛けると、エディはこくりと頷いてから、得意気に言った。
「街にも一緒に行くよ。今日の僕は姉さんの護衛だから!」
私がいない間、どうやらエディは父様から護身術を習っていたようだった。最も、エルラントは子供が1人で走り回れるくらいには治安が良いけれど。
そして執務室から出ようとしたとき、ふいに父様から声がかかった。
「そうだ、今夜は必ず皆で食事を摂ろう。エディもフィオナも、久方ぶりだからな」
書類から顔を上げない父様の隣で、母様はにっこりと微笑んでいた。
「はい」
「わかりました。ちゃんと食べずに待っておきますね」
私とエディは父様に返す。
やはり、父様も母様も、エディが帰ってきたことに喜んでいるようだ。
「ね、言ったでしょう?」
執務室から出て応接室に向かう途中、私はエディに言った。
「ちゃんと分かってたもん」
エディはそう得意気に言うが、ひょっとすると心のどこかでは少し不安だったのかもしれない。
なんとなく緊張が解れたようなエディに、私はつい笑みがこぼれた。
応接室でドレスの確認をした後、エディと共に街へ赴いた。
久しぶりの街はやはり懐かしく、本当なら馬で忙しなく通るよりも徒歩でゆっくりと味わいたいところだ。
けれど今はそうもいかないのでその楽しみはまた今度にすることにして、伯爵家がある通りに向かおうとした。
そのときだった。エディが急に馬を止めた。
「何かあった?」
エディは手綱を握って馬を止めたまま、左の通りをじっと見ている。その表情は、驚きの顔から訝しげな顔に、そして呆れの顔へと一瞬で移っていく。
私も気になって左を見た。そこには女性たちが数人で誰かを囲っている。やたらと背の高いその誰かは、とても見知った顔だった。
「まさかの?姉さんじゃなくてダン兄さんかよ、護衛が要るのは」
やれやれ、と呆れたようにエディは言った。
そして集団の方を手で示したまま、振り返って私を見た。
「アレ、何とも思わないの?」
急に意図のわからない質問を投げかけられる。
私はもう一度左の集団を見て、何かを思ってみる。けれど、特に思い当たることはなさそうだ。
「うーん、大変そうよね、あれ」
「ふーん・・・そう」
どうやらエディの欲しかった回答ではないらしい。何かを言いたげなまま集団の方を一瞥し、やっぱりあっちかと独りごちた。
「ま、さすがに面白・・・大変そうだから、少しは助けてあげるか」
「そ、そうね」
エディは馬を集団の方へとゆっくり進めた。そして普段の明るい声で呼びかける。
「あぁ、いたいたダン兄さん!探してたんだよ!」
「!・・・お前ら」
女性たちがエディの声に、一斉に振り返る。
当の本人はひょいと軽やかに馬から降りると、集団に向かって突き進んだ。
「みんなごめんね、この人に急ぎの用事があるから、少し譲ってもらってもいいかな?」
「エディオッド様!!」
にこりとエディが笑って言うと、女性たちは皆一様に頬を染めた。そしてすごい勢いで謝罪の言葉を口にすると、四方八方に霧散していった。
呆気にとられたダンが、エディに向かってぼそっと呟く。
「お前、スゲェな」
「フフン、姉さんと同じ顔した僕がモテない訳ないじゃん?」
自信満々にそう言ってのけたエディ。我が弟ながら恐ろしい。
あと私と似てるっていうのは関係ないのでは。
馬上から挨拶するのもなんなので、私も馬から降りる。重みから解放された茶毛の馬は、ぶるぶると首を震わせた。
「久しぶりね、ダン」
「おう」
半年前に会ったときと変わらず、口数は少ないダン。仕事の途中だったのか、大きな紙袋を抱えていた。
その状態で囲まれてしまったのなら、仕事中だからのひと言で逃げられたのではないだろうか。
ダンはしばしの間私とエディをじっと観察していた。
一体なんだろうと、私たちは不思議に思う。
そしてダンは視線を横にそらすと、うーんとひと言唸ってから口を開いた。
「なんつーか、貴族になったな、お前ら」
「元から貴族なんですけど」
エディが不服そうに腕を組んだ。
「いや、そーじゃなくて」
どう言おうか迷っているのかと思っていたが、ダンはひとつため息を吐くと目を閉じた。
そしてゆっくりと目を開く。その表情はさっきまでと少し変わっていて、まるでどこか吹っ切れたような顔をしていた。
「これからはもう簡単にフィオナだのエディだのなんて呼べねーな」
そう言って短く笑った。
「そんなことないわよ、今まで通りで」
「今まで通りの距離感でも、貴族扱いするんだよ普通は」
ダンとしては何も気にしてないのかもしれないけれど、私にとっては急に友人が1人減ったような感覚に襲われた。
それはエディも同じようで、信じがたいというような顔をして、ダンに詰め寄った。
「ダン兄さんはそれでいいの?」
「いいんだよ。そもそもハナっから何も期待してねーし」
ダンはエディの頭にコツンと拳を当てた。そしてわしゃわしゃと髪が乱れるくらい頭を撫でた。
「そんなことより」
そう言ってダンは私たちを見た。
「お前らの手腕次第で俺ら領民の生活が変わるんだから、せーぜーきっちり勉強してこい、領主様」
「もちろんよ」
元よりその覚悟があって学院に向かったのだから、私はしっかり自分の役目を果たさなくてはいけないのだ。
ぐしゃぐしゃにされた髪を直しながら、エディは破顔した。
「わかったよ。でもダン兄さんはダン兄さんだからね!」
「なんとでも言え、エディ“様”」
「うわぁ、なんか気持ちわるっ!」
「慣れだ、慣れ」
ダンは持っていた紙袋を持ち直し、じゃあ仕事中だから、と言うと、右手をひらひらと振りながら去って行った。
「なんかダン兄さん、変わったな」
「そうね」
変わらぬものばかりと思っていたエルラントも、少しずつ変わっていくらしい。それはそうだろう、自分たちが変わって周りだけ変わらないなんてことない。
私は少しだけ寂しい気持ちにもなったが、変化を含めてエルラントだ。この地の行く先は私たちに掛かっているのだから、しっかりしなくては。
「とにかく、この招待状を届けに行かなくちゃ」
「そうだね」
手綱を引かれた馬は、ヒヒンと短く鳴くと歩きだした。
国交記念パーティーはもう明後日だ。




