終章 樹木信仰
夏の夜空──そこに桜吹雪が舞い踊った。
信一郎が『木魂』の力で自然の摂理をねじ曲げ、葬られた者のために無理やり咲かせた弔いの華だ。
豪華絢爛に咲き乱れても、今宵限りで後腐れなく散ってしまう。
そして──散った命は決して元に戻せない。
いくら『木魂』が生命を操作しても、こればかりは自然が許さない。
命を別の形へと変え、生を死へと加速させられても、死を生へと復元するのはできない。それは大自然にのみ許された、輪廻の御業だからである。
桜の下──信一郎は両膝を屈して項垂れたまま動かない。
何も言わず、何も聞かず、呆然としていた。
幽谷響も触れず、訊かずに徹している。
そこへ涼しげな風が吹いて、信一郎の髪を凪いだ。
「ああ……そうか……」
揺らぐ風に押されて、微かな言葉が信一郎の唇から零れ落ちた。
気怠そうに首を持ち上げ、咲き誇る満開の桜を見上げた。
この花弁は多くの命によって育まれた、新たに生まれた命の象徴。
無垢なる魂も、穢れた魂も──純化された証でもある。
降り注ぐ桜吹雪の中で、信一郎はじっくりと呟いた。
「人々が木を信仰したのは……滅びた命を受け入れて、そこから命を還り咲かせる……善きも悪しきも区分せず、遍く全てを受け入れる……」
──とても偉大な存在だったからだ。
束の間を生きて死に、大地へと還る生命。
その大地に眠る生命を受け入れ、新たな生命を育むものこそが樹木。
天と地を結ぶ柱であり、命に欠かせぬ息吹を生み、生命の果実を実らせる。
傷付けられても文句を言わず、倒されても怨みを抱かず、刻まれても悲鳴を上げず、雄大な沈黙を守り通し、生命を支える柱として世界に在り続ける。
彼等は罪を問わず、悪を問わず──在るがままに受け入れる。
だからこそ偉大であり、信仰されるべき対象として認められたのだ。
眼下に盛られた小さな土塊。
信一郎はそれを両手で愛おしむように掬った。
「樹木子なんて……くだらない妄想だよ……」
両手に掬った土が、指の隙間から零れていく。
「木は分け隔てなく命を受け入れる……それを疑う人間の卑屈で矮小な心こそが、樹木子を育んだ土壌なんだ……はは、なんて酷い話なんだろうね……」
物言わぬ土へ語り掛けるように、信一郎は呟いていた。
「だから、大丈夫……君たちの命は……必ず『常世』に還れるから……」
土にまみれた信一郎の掌には何も残らない。
その手に桜の花弁が舞い落ちて、その上に涙が滴り落ちる。
信一郎は握り締めた両手を額に押し当て、そのまま両肘も地面に着けると、この手で屠った者へ許しを請うように咽び泣いた。
啜り泣く声は、次第に大きな泣き声へと変わっていく。
幽谷響は網代笠を深く被り、懐から鈴を取り出した。
──寂しく鈴が鳴る。
救われぬ死者への手向けとして、安寧を誘う鎮魂の音が響いた。
「諸行無常──でございやす」




