鳥取渇殺し
八月。
信長は高野山の者、数百名を捕らえて殺した。高野山では荒木の残党を匿っており、更にその引き渡しを申し入れにいった使者を殺していた。その報復だ。
九月。
北畠信雄を総大将に伊賀へ再侵攻させた。前回の反省を踏まえて複数箇所から侵攻させた。各所から攻め入ったために各軍勢で混みあってしまい、各自の受け持ち地を定めて攻略した。
十月。
鳥取では羽柴秀吉により固く包囲されていたため、飢餓が蔓延していた。鳥取城には百姓までもが城に籠城していた。始めは食糧の調達出来ていたが、次第にそれも出来なくなる。飢えに耐えかねた者たちが壁に取り付き「ここから出してくれ、助けてくれ」と訴えてきたが、その者たちは鉄砲で撃ち殺されてしまう。さらにその撃ち殺された者たちに人々が群がり、その肉で奪い合いが発生している始末だった。
この事態に城の守将は「腹を切るので場内の者は助けてもらいたい」と願い出てきた。秀吉は信長に確認をとり、問題ないようだったので承諾した。しばらくして守将の首が届けられ、城は解放された。場内の者のあまりの様に食べ物をたらふく与えたが、衰弱のあまり飲み下す力が無く頓死する者が多数でた。
十月末日。
伯耆国の織田方の武将が籠る城に、吉川の軍勢が来襲した。羽柴秀吉はただちに救援を決めた。城までは難所を越えなくてはならなかったが、国中に人を走らせて兵糧などを集めさせた。秀吉は七日ほど国に滞在し、城へと兵と守将を配して姫路城に戻った。
十一月。
羽柴秀吉らを派遣し、淡路国を平定する。




