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天正六年の年始の出来事

 天正六(一五七八)年、正月。


 安土に畿内・若狭・越前・尾張・美濃・近江・伊勢の諸将が年始の挨拶に登城した。

 まず信長は武井夕庵・林秀貞・滝川一益・細川藤孝・明智光秀・荒木村重・長谷川与次・羽柴秀吉・丹羽長秀・市橋長利・長川宗仁ら十二人に茶を振る舞った。座敷は名物・名画で装飾されていた。

 茶会が終わると諸将の登城が始まった。信長は登城した面々に座所を見て回らせた。座所には狩野永徳の三国の名所を写した絵が飾られ、様々な名物が飾られていた。見物した者たちには雑煮と唐の菓子が振る舞われた。


 この時期には宮中では、節日や祝日を祝う儀式である節会が行われていた。これは長く資金難の為に行われていなかったが、織田家の援助により復活した。公家の知行も増えたので今まで行うことの出来なかった儀式の数々が復活していた。


 一月末日。

 信長旗下の者の家で火事が起きた。これは安土に妻子を置いていないが為の失火が原因であった。信長はただちに郷里に妻子を置いている者達を調べさせた。結果、百二十名の者が郷里に妻子を残していた。

 信長は自分の旗下の者が火事を起こした事が許せず、尾張の妻子が居る私宅に火をかけ、庭の植え込みを切り倒させた。これを聞いた者達はただちに安土に移り住ませた。

 信長は罰としてこれらの者たちに道の普請を行わせて赦免した。


 二月。

 ある将が信長の命に逆らい、処罰を恐れて逐電した。これを聞いた信長はただちに領地を没収し、他の武将に与えた。また、吉野の山中に住んでいた義昭公配下だった男が、地元の者に殺された。首は安土に届けられ、男は金を与えられた。この様に信長は信賞必罰を明確に行っていた。例外もあるが。


 そんな中、播磨の豪族である別所長治が謀叛。ちょうど羽柴秀吉が播磨の攻略を進めている時だった。

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