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京に屋敷を建てる
元亀三(一五七二)年三月、信長は近江北部に向けて兵を進めた。地元の地侍共は進軍の邪魔をしてやるとか言っていたが、何の妨害もなく易々と横山城へと到着した。北近江の諸城の攻囲は配下の武将に任せて、信長は京に向かった。京に向かった理由は、自分の屋敷を京に建てるためである。
この報を聞いて張り切ったのが、将軍義昭公である。その屋敷は自分の名の下に建てさせてくれ、と言い出したのだ。もちろん信長は断ったが、何度も何度も言って来るので信長が折れる形で承諾した。
そのため尾張・美濃・近江衆は御役御免となり、かわりに畿内衆が上洛して建築することになった。信長の屋敷を建てるということで京の人々が集まり、始まりから終わりまで何かの祭りかのような様だった。
このような中、三好義継と松永久秀・久通親子が畠山昭高に戦を仕掛けた。畠山昭高は信長の妹婿で、俺の妹婿でもある。その配下の城を包囲したのだ。どうもこれは松永の指図によるものらしい。
この知らせを聞いた信長はただちに討伐軍を送り逆包囲するも、敵は風雨に紛れて脱出した。三好と松永親子はそれぞれの居城に立て籠った。
この後、京での用事に区切りが付いた信長は岐阜へと帰って行った。




