比叡山焼き討ち
信長は一向一揆を討伐するため伊勢長島へと攻め寄せた。軍を三つに分けて攻め寄せるも、とくに進展もなく兵を引いた。ところが、そこへ一揆勢が攻めかかってきた。
周辺の山々に潜んでいた一揆勢は、狭い一本道に差し掛かった織田勢に弓や鉄砲を手に一斉に襲いかかった。殿をつとめていたのは勝家で押し寄せてくる一揆勢と激戦を繰り広げるが、次々と山々から群がってくる一揆勢に遂に崩れて手傷を負って退却した。
代わって戦線を支えようと氏家卜全が残ったが、逆に一揆勢に囲まれて家臣諸共討ち死にしてしまった。物の見事な惨敗だ。
比叡山包囲から一年がたった。この当時の延暦寺の僧は修行は怠り、肉や魚を食うことを戒律で禁じられていりにも関わらず食し、さらに女人禁制にもかかわらず女を山門まで招き入れ肉欲にも耽っていた。それに加えて昨年の浅井・朝倉軍の支援である。
多分だが、信長は筋の通らないことが大嫌いだ。詳しくは語らないが、それはそれまでの言動から推測できる。そしてこれから行われる焼き討ちは明らかにやり過ぎな感はあるが、それを鑑みると納得できなくもない。
もちろん戦略的観点から見ても、延暦寺を放置できない。この時代の寺社は準軍事拠点であり、延暦寺には数万の兵を入れることが出来る。複数の敵対勢力を一気に相手取るのは、いくら織田家でも無理がある。しかし各個撃破していけば勝機は十二分にある。
完全なる殲滅を成し遂げるために織田軍は早朝に攻め入った。闇に乗じて逃げ出す輩を出さないようにとの徹底振りである。織田軍は建物から書物までの一切を焼き払い、比叡山は一日にして灰塵に帰した。
寺にいた老若男女は裸足で取るもの取らずに逃げ出したが、その一切が捕らえらた。寺に居たものは貴賤問わずに全ての者が首をはねられた。信長の前に引き出された女子供が助命嘆願するも聞き入れられず、首を落とされた。
この事後処理には明智光秀が任された。光秀には坂本の地が与えられて、そこに城を築くことが許された。




