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上洛

 上洛するにあたって信長は義昭公の上使に加えて自分の使者を一緒に行かせ、途上にある勢力に送った。六角家にも協力と人質の供出を求めたが、交渉は決裂。所司代の役職を約束するも首を縦に振ることはなかった。


 六角家との交渉が不振に終わった事により、道中の近江国での戦闘を覚悟しなくてはならなくなった。


 永録十一(一五六八)年、信長は「近江をひと呑みに討ち果たし、お迎え申し上げる」と義昭公に挨拶を述べ、軍勢を率い出立した。


 兵を進めた信長は、六角家当主の義賢と息子の義治の立て籠る観音寺城の支城である箕作城に攻撃を仕掛けた。このとき配下に加わって間もない自分達が戦の先方に配置されるだろうと思っていた美濃衆は、自分達に構わず馬廻りだけで攻撃を開始した信長に驚く事しか出来なかったらしい。美濃衆は信用に値しなかったみたい。


 その日の内に箕作城は落城したので、その翌日には観音寺城に攻撃を仕掛ける勢いを示したが、箕作城落城の様子を見ていた六角親子は抵抗することは不可能と城を捨ててしまった。


 観音寺城落城によって周辺の領主が次々と降伏、人質を出させて所領を安堵してやり一国を支配下に置いた。これにより近江国を平定した信長は義昭公に迎えの使者を送った。


 六角家を退け信長は無事に入洛し、義昭公も入洛して清水に宿陣した。入洛した信長は間髪入れず畿内の敵対勢力の排除に取り掛かった。まず三好三人衆の一人岩成友通が守る勝竜寺城を攻め、降伏させる。続いて同じく三好三人衆の一人三好長逸と細川昭元は織田軍の圧力に堪えかね芥川城から退却。あわせて篠原長房支配下の越水、滝山からも退いていき、信長は義昭公と共に芥川城に入った。


 さらに池田勝正の拠る池田城を攻撃した。激しく攻め立てる織田軍の勢いの前に池田勝正は人質を出して降伏した。池田城の降伏により畿内とその隣国は信長の支配するところとなった。


 芥川城在城中に信長の下には沢山の使者が訪れ珍品名物を献上していた。その中には三好三人衆と反目している松永久秀の姿もあった。


 芥川城から帰洛した義昭公は本圀寺に入った。直後に信長も馬廻りを連れて帰洛した。その際に戦勝に浮かれて狼藉者が出ないように警固を厳重にするように命じた。その為、乱暴沙汰は起こらなかった。


 朝廷から正式に宣下を受けた義昭公は室町幕府第十五代将軍に就任した。その多大なる功績に対して義昭公は信長に機会がある度に手ずから酒を注いだり、刀やら盃やら鷹やら鎧なんかを下賜していた。さらに再三にわたって副将軍か菅領にと要請していた。これは断っていた。


 そんなこんなで歓待を受けていた信長は、いつまでも本拠美濃を空けているわけにもいかず義昭公に挨拶をして帰還した。挨拶の翌日に信長へ義昭公から感状が送られ、その宛名に「御父織田弾正忠殿」とあったそうな。父とまで呼ぶなんてその浮かれっぷりが手に取るようにわかるね。


 ちなみに俺は兵を勝家に任してずっと義昭公の側にいた。そう、ずっとだ。はっきり言ってその浮かれっぷりが凄く鬱陶しい。


 あ、俺は今も京にいる。朝廷と将軍をよろしくだって。……なんでやねん。

 

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