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刹那に色を  作者: はるの そらと
冬ノ章 悠
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四十四.刹那


 声を奪われた童話の人魚は、きっとこんな思いだったんだろうなと悠は一人、町を見渡しながら思った。

 学校には一過性のものと説明し登校しているが、本当に一過性のものなのかはわからない。

 良明は悠を病院に連れて行かなかったからだ。

 どうしてと紙に書いて見せても、良明はその理由を語らなかった。

 もしかしたら不治の病で死ぬのかも――。

 なんて思いにふけりながら、すっかり冷たくなった風にあたっていれば、頬を始め鼻もすかり赤くなってしまった。

 小梅や野良も突然話せなくなってしまったことがかなりショックだったようで、いつも目を赤くし一時も離れようとしなかった。

《大丈夫だって》

 そう伝えても、頭を左右に振るだけで離れようとしない。原因はストレスかな、とか自分で勝手に分析してみるが、実際のところはわからない。

 ただ、悠自身はそんなに深刻には考えていなかった。喋れなくなったと同時にあれほど出ていた咳は嘘のように止まったし、きっと見夢と関係あるのではないかと思っている。

「あ、風早こんなところにいた!」

 振り向けば、髪を短くした山崎が立っていた。こんな寒いのによく髪を短く切られたなと思う。ちなみに、寒いのは苦手だ。

「まだ帰らないのか?」

 頷けば、ふーんとどうでもよさそうな返事が返ってきた。なら最初から聞かなければいいのにと思う。

 すでに師走に入り、数週間が過ぎた。あと少しで冬休みである。

 部活はいいのか、と紙に書いて伝えれば、今日は休み、と笑顔と共に帰ってきた。

「兄貴がさ、また風早に会いたいって言ってうるさいんだよ。そんなに会いたいなら自分から行けばいいのに、寮だからってよくわからないこと言ってきてさ。だから風早、今度時間があるときでもいいから顔のぞかせてやってくれよ」

 正直、薫にはあまり会いたくないのだが……。何がそんなに気に入られたのかな、と考えていたときだ。

「そういや小梅ちゃん、元気?」

 山崎から投げかけられた言葉に、悠は筆を滑らせた。

《最近、なんだかんだ言って心配される》

 それを読んだ山崎は、いいなあと言いながらほほ笑んだ。

「オレも兄貴じゃなくて妹欲しかったわー」

 夏休み以降、幾度となく聞いたセリフに、風早は軽くあしらう。

 そう言えばさ、と山崎は言う。

「小梅ちゃん、いろんな人にニックネームつけているけど、風早んちにいるもう一人の人とか野良くんとか、神山さんにはニックネームつけてないよな」

 言われてみれば――。

 悠は片手で顎を支えれば、他にも不可思議な点があることに気づいた。

 日子もそうだ。

 単にニックネームが付けづらいだけなのかもしれないが、なんとなく違う気がした。もっと根本的に何かが違うのだ。

 そのときだ。

 全身を貫かれるような激しい痛みが悠を襲った。

 悠は痛みを紛らわそうと力の限り叫ぶが、声にはならない。突然崩れ落ち、胸のあたりを皺ができるまで握る悠。永遠に続くかと思われた時間は、突然終わりを迎えた。

 ……何だったんだ、今のは。

 一気に疲れ込んだ悠は、手すりに体を支えながら立ち上がろうとした。かすむ視界には、先程と同じ町並みが広がる。

 ただ、動悸が収まらない。

 ……嫌な予感がする。

 すると突然、体を支えていた手すりが消えた。体が前のめりに倒れる。ここは屋上。このままいけば……。

 だが、後ろに引っ張られ落ちることはなかった。山崎が助けてくれたのだろうか、そう思って振り向いた。

 なんで、ここに――。

 その人はまっすぐこちらを見るだけで手を差し伸べようともしない。なんでお前がここにいるんだよ、奏。

 声が出ないとわかっていても、悠は口を動かす。

 神社にいるはずの奏がどうしてここにいる? いや、それより山崎はどこへ?

 立ち上がった勢いで奏の胸ぐらを掴めば、すっと視線を下げたあと、まっすぐこちらを見た。

 その眼は、出会った頃とは違い、哀愁が漂っていた。

 奏は何も言わず、ただとある一点を指差す。町のほうだ。そしてそちらを見た悠は、自分の目を疑った。

 一体……どうなっているんだ。

 街の一部が、破られた写真のようになくなっていた。

 ただ茫然と立ち尽くす悠の傍らで、奏は俯きながら言った。

「……俺は、ここがとても気に入っていたよ」

 何をいきなり――。

「それは、『好き』という感情に似ていたのかもしれない」

 奏はうっすらと笑いながら言う。その顔を見て、悠は自分の胸が締め付けられる思いがした。

 笑うんだったら、どうしてそんなに悲しそうに笑うのか、理解できない。

 彩のある世界と真っ白に塗りつぶされた世界。その両方が混在する町を見て、奏は空を仰いだ。……空の青も街と同じだった。

「……さあ、急ごう」

 そう言って、悠の腕を掴むと走り出した。

『どこに行く?』

 屋上から一気に階段を駆け下り、校庭に出たとき、悠は漠然とした恐怖に襲われた。

 このまま、ここを去って本当にいいのだろうか。

「……もう、君もわかっているだろう?」

 奏は水面のように静かな目でこちらを見た。

「ここがもう――」

 やめてくれ!

 悠は耳をふさいで声もなく叫んだ。

 聞きたくない。

 そんな悠の心情を察してか、奏は再び悠の腕を取ると走った。

 皆が待つ、あの神社へ。


   ◇


 風が止んだ。おそらくすぐにここもきれいさっぱり、無に帰るのだろう。

「……始まったか」

 火ノ根が袖を引っ張ってくる。早くここから出ようと言いたいようだ。

 だが、国見はそれを無視した。

 まだ時間に余裕はある。それに――。

 徐々に白に染まる空を見て、国見は思う。

 あいつがどんな選択をするのか興味がある。


   ◇


 山崎は? 川野は? みんなは無事なのか?

 そう叫んではいても、声は出ない。

 こういうときに限って、自分の無能さに腹が立つ。

 明らかに異常なまでの変化を目の当たりにして、混乱しているのが自分でもよくわかる。でも、それをどうにかする術がわからない。とにかく、このままでいいのかみんな無事なのかそれだけが気になった。

 ――しかし、世界は思っている以上に残酷だった。

 引きずられるようにして絵馬殿近くまで来たとき、やっと奏の手を振り切ることができた悠はその足で石階段まで駆け寄った。

 そこからは、町が一望できる。

 大丈夫、まだ。絶対に――。

 だが、石階段前で立ち止まると、糸の切れた人形のようにその場に崩れ込んた。

 ――すでに、石階段入口にある鳥居から先は、白一色しかなかった。



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