三十七.×××よ、こんにちは
どうして休みというのはあっという間に過ぎるのだろう。
悠は制服に身を包み、窓際の自分の席から外を眺めた。
夏休み明けの新学期。休み明けのダルさは体に悪い。かといって永遠に休暇というわけにもいかない。
飴と鞭ってか。
だが、夏休みという長い休みは人に何かしらの影響を与えるらしい。たとえば、大人しそうに見えた女子がギャルになったり、クラスの人気者だった男子が、何故か今日は誰にも相手にされなかったり、僕の目が「綻び」や白いリボンを映さなくなったり――なんてことはないのだが。
それでも、三日会わざるのなんとやらということわざがあるのも頷ける。
……意味が違うかもしれないが。とにかく、久しぶりに学校に行けば、ほんの少し雰囲気が変わった人はそれなりにいる。
それにしても、夏休み最後の一週間は本当、冷や汗ものだった。別に宿題が終わってなくて、とかではない。これでもかと出される課題は、休みが始まると同時に終わらせる勢いで取り組むのがいつものことだから問題ない。
冷や汗をかかされたのは、以外にも良さんだった。
まだ、残暑は続いているらしいが、ここまできても「暑さ」を実感できずにいる。もう、このままでいいや、と思い始めた矢先だった。
「ユウ、お前、暑くないのか?」
ちょうど一週間前。山崎からのSOSを受け取った悠は、とっくに終わった課題を持って出かけるところだった。玄関先で立ち尽くしていれば、良明は腕を組むと首を傾げた。
「お前、帽子は?」
悠は思わず笑った。
「暑いからって帽子を必ず被るとは限らないでしょ」
行ってきます、そう言って家を出た。
だが、それだけじゃなかった。
良明はこの一週間ことあるごとに「暑くないのか?」と聞いてきた。
それはもう、しつこいくらい。
けど、と悠は頬杖をつきながら思う。
良明は一度も「汗をかいてない」とは言ってこなかった。
新学期早々なんで通常授業なんだよ……。
道端に転がっている数多の石の中から一つだけ選んだ石を蹴りながら、悠はいつものように帰路についていた。
夏休み中もことあるごとに出かけていたとはいえ、学校と家ほどの長距離は歩かなかった。そのせいか、いつもより時間が早く過ぎる気がする。
本来なら聞こえるのだろう蝉しぐれも、悠の耳には木の葉のささやきしか聞こえない。
一週間の短い命を謳う蝉の声が聞こえないというのは、なんて虚しい夏なんだろう。石を蹴る足を一旦止めると、青々とした山を見上げた。
たった七日の命なのに、その存在を認めてもらえないばかりか、ないものとして扱われる。――まあ、こうして蝉に思いを馳せている時点で認識はしてなくても意識はしてるんだが。
いつものように長い石階段を上がる。今日は、久々に学校に行ったせいか、家までの近道ではなく、社の前まで行こうと思い、そのまま階段を上りきった。
玉砂利の音が響き渡る。階段から社まで続く一本の道。舗装されたその道を行けば、歩きにくいということはない。
だが、悠は昔からその道が嫌いだった。歩きにくいとわかっていても玉砂利を踏む。音がうるさく聞こえてもだ。
社に続く参道には、手水舎や古札納所が立ち、狛犬との間に絵馬殿がある。絵馬殿と言ってもここの絵馬殿は、四方から絵馬を納められるものではなく、前後に掛けられるだけの簡易的なものだ。屋根と呼ぶのも首を傾げてしまうような飾りがついているだけで、雨風はまったく凌げられない。
そんな絵馬殿の前にじっとたたずむ人影を見た。
「何やってんだよ」
声をかけても、奏は動かなかった。
そう言えば、初めて会ったのもここだったな、とか思っているときだ。
「……終わりが、あるのだな。絵馬にも――願いにも」
カラカラカラっと絵馬と絵馬がぶつかり、音を奏でた。そのとき、ひときわ大きな音が辺りを割くように鳴った。古い絵馬の一つが落ちたのだ。
「おい! これは誰かが神にささげたものなんだぞ! 雑な扱いは――」
「この絵馬を捧げた者の願いは、叶ったのだろうか……」
「それは……」
その人しか知らないことだ。
「もしかしたらどうでもいい願いで、とうに忘れているかもしれない。……それとももう願った本人がこの世にいな――」
「奏!」
無理矢理言葉を遮った。
「お前、なんか変だぞ? どうしたんだよ、そこまで絵馬にこだわって。願いが叶ったかどうかなんて、本人にしかわからないことじゃないか!」
そう言えば、奏は顔をそむけた。
その眼は何か言いたそうではあったが、結局奏は一言も発さなかった。
「そこにいるのはユウか?」
聞き覚えのある声に振り向けば、こちらに向かってくる中年男性の姿を捉えた。
「……伯父さん」
華菜多の父、そして良明の兄である智明がそこにいた。
滅多に会わないせいか、少しだけ体が強張る。
何かあったんだろうか――。
不安を募らせる悠とは対照的に、智明は急いでいるらしく、悠にとっては歩いているようなスピードで駆けてきた。
智明が向かってくるのを見て、奏のほうを振り向いた。初対面なことを確認しようと思ったのだが、もうそこには奏の姿はなかった。
いつの間に――。
そう思っている間に、智明が目の前に辿り着いた。息を切らしながらも悠を見る目は、少しだけ焦っているようだ。
「ユウ、いきなりで、申し訳ないんだが、良明は今、どこに?」
「……良さんなら、この時間だし家に居るかまだ仕事して――」
「仕事だと?」
「ええ、そりゃあ……」
「あいつ、何も話してないのか」
智明の厳しい口調から、悠は鼓動がどんどん大きくなるのを感じた。
「あの……伯父さん。良さん、なんかしたんですか?」
耐え切れず、悠は伯父に尋ねた。すると、智明は悠に一瞥をくれると、肩が沈むほどの深いため息をした。
「君にこんなこと言っても仕方ないかもしれないが。弟……良明は二年前から私に金を借りていたんだよ。それに、今は仕事などしてないはずなんだ」




