三十六.砂の城は所詮、砂(肆)
「ごきげんよう、みなさん」
白い大きな帽子を被り、茜色の着物を着た日子は、その場に流れる険呑な雰囲気をものともせず、爽やかな笑みでその場を見渡した。
「……思ったよりも早かったな」
「あら? 早く来てはダメでしたか?」
「ああ。そうだな」
国見は、本当に面倒だと言わんばかりの表情で答えた。
「相変わらず、貴方は思ったことそのまま顔に出ますね」
くすくす笑う日子は、誰よりもこの場に不釣り合いに見える。けど、次の瞬間、日子はまっすぐ国見を見ると、強く言い放った。
「今すぐ放してあげてください」
だが、国見もそう簡単に言うことを聞くはずもなく。日子は、困りましたね、と肩を落とすと、腕に抱いている猫の背を撫で始めた。
「国見。貴方さっき小梅ちゃんに言っていたでしょ? 私も同じことを何度も繰り返すのは勘弁してもらいたいのですよ」
「……よく言うぜ」
そう言って国見は小梅を解放した。放された途端、小梅は日子に向かって走って行った。
「ちょっとした、賭けだったわ」
そう言って小梅は日子から黒猫を受け取った。前足の付け根だけを持たれているせいで、後ろ足が力なくぶら下がっている。ただ、尻尾だけは半円を描くように振られていた。
首に付けられた鈴がよく似合っている。
「鈴に気づかなかったら負け、鈴に気づいても、ヒコがすぐに来てくれなかったら負け。覚悟はしていた。けど、本当よかった」
猫は喉を鳴らして目を細めた。
鈴の音は、日子の耳によく届く。ましてやこの鈴の音だ。何かあったのだと気づくはずだと信じていた。
だが、野良がこの鈴を持たなければ、日子も異変に気づかない。そして、何も知らない野良が、無事にそれを成し遂げられるかもわからなかった。
「本当、良かった」
猫は、小梅の腕から飛び降りると、じっと国見のほうを見た。その目には挑発的な色が滲んでいる。
「ちっ」
舌打ちをすると、国見は背を向けた。
「やめた、やめた」
ひらりと手を振りながら去ろうとする国見とそのあとについて行く火ノ根。
「国見」
すぐにでも立ち去ろうとする二人に向かて小梅は叫んだ。
「絶対、絶対に戻るから。だから、今は――」
「ったく、わかったよ。そのかわり、今度どっかで長居するときは、ちゃんと言ってから行け」
じゃねえと心配するだろうが――。
もちろん、最後の一言は小梅には聞こえなかった。
◇
家に戻ってきた悠、川野、山崎は、居間で天井を仰いでいた。
「枯れ桜はいいけど、外あっつ!」
天井に向かって吠える山崎。そんな山崎に悠は氷の入った麦茶を差し出した。
「まあ、いくら街中より涼しいとはいえ、日差しはどこにいても変わらないからねえ」
川野はうちわを仰ぎながら、悠の差し出した麦茶を受け取った。
「むしろ紫外線ならここのほうが強いかも」
「きゃー、肌が焼けちゃうー」
「……山崎、可愛くない。むしろキモいからやめろ」
「えー、つまんねえこと言うなよ、川野ぉ」
「甘えてもダメ」
「えー」
二人のやり取りがどことなく懐かしい。
悠が笑えば、二人も笑った。
「そういえばさ、一つ聞きたいことがあったんだよ」
悠は自分の麦茶を飲んだ。カランっと氷の音が大きく聞こえる。
「二人が家に来たのって、見夢が関係しているだろ?」
「……なんでそう思う?」
川野の問いに、悠はうっすら笑みを浮かべて答えた。
「なんとなく。強いて言うなら勘」
そう言えば、川野はあきらめたようにため息を吐いた。
「風早って、夜にそういう楽しい話を持っていこうって思わないの?」
「……楽しい話?」
本気でわからないという顔をしている山崎の脇腹に、間髪入れず川野の肘が入った。
「まあいいや」
川野はぐいっと麦茶を一気に飲み干すと、言った。
「そう。風早の言うとおり。俺たちは見夢に行くため、ここに来たんだ」
もちろん、風早のうちに泊まりたいって気持ちもあったよ、と川野は言う。
そりゃあ神社だから、オカルト好きには持って来いの家だろうけど、と悠は心の内で思った。
「夏休み前に言ったろ? 見夢に行ける方法を知ったって。で、俺が手に入れた有力な情報によると、見夢にこちらから行く手がかりとして、こんな言葉がある」
――神聖な水を体内に持つ幻獣が飛び込みし白銀の輪、先の民のみ行ける国、それすなわち和の世界。
「多分白龍の瀧のことじゃないかと思ったんだけど、行けないなら仕方ない。また別のときにでも改めるよ」
また来るのか。
だが、山崎の性分を考えればそれも仕方ないと思える。
「それにても、随分難しいよな」
少しだけ涼しさを取り戻したのか、話にくわわってきた山崎は、変だと言わんばかりに首を傾げた。
「むこうはポンポン簡単そうにこっちに来て、勝手にこっちの住人招待しているのにさ、こっちからむこうに行くのはややこしいとか、不公平じゃん」
「そうだよな、俺もそう思う」
山崎の言葉にうなずく川野を見て、悠は眉間に皺を寄せた。
そうじゃない。
皆は知らない。見夢が本当は楽園なんかじゃないことを。
自分だけが知っていても、伝える術がない悠は、改めて決意するのだった。二人を絶対に見夢に行かせてはならない、と。
時計の針が七時を示そうとする頃、小梅は野良と一緒に帰ってきた。
随分疲れた表情の二人を見て、喧嘩でもしたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「本当、今日は散々な一日だった。あんたも知ってたんなら最初から言いなさいよ」
「うー、だって、言ったら梅ちゃん困らせるだけだし、これ以上の悩みの種は……」
「もう! いらん気は使わなくてよろしい!」
そう言えば、ここしばらく二人が話しているのを見た記憶がない。喧嘩していたけど、仲直りできたってところかな、と思って悠は居間から二人に声をかけた。
「手洗ってからこっち来いよ。飯だ」
いつもと違い、人の多い食卓は、時間があっという間に過ぎる。
ただ、野良が帰って、もう寝るという時間になっても、奏は帰ってこなかった。




