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刹那に色を  作者: はるの そらと
春ノ章 ユウ
12/50

十一.目は前にしかついていなかった(五)


 歳月人を待たずとはよくいった言葉で、すでに街中にある桜は散り、葉桜になっている。

「いつになったら、お前も花を咲かすんだろうな」

 独り言のように呟くと、そっと、他とは違う桜の幹に手を当てた。

 一年中裸のままなのに、死んでいない桜の木。普通ならありえない話だ。オカルト好きの川野が、食らいつくだけのことはある。

 だけど、何故かな。

 誰も咲いたところを見たことがないはずなのに、悠には満開の桜の姿が自然に思い描ける。

 夢に出てきたことが、あったのかもしれない。あいにく、悠は夢を見ても忘れる性質(たち)の人間だ。しかし、そのせいか、よく既視感を覚える。はたしてそれが本当に夢で見たのか、それともただの思い過ごしかは誰にもわからない。

 奏は、多分瀧にいるのだろうな。

 枯れ桜の向こう、草木が生い茂るその向こう側を見つめながら思う。

 どうして瀧ばかりに行くのか、それを尋ねたくても肝心の本人が答えないのだから、仕方がない。

 そういえば、僕もここに来たばかりの頃はよく瀧に行ったんだっけ?

 あまり記憶にないことを思いながら、悠は枯れ桜に背を向けた。今日は、日曜日。時計屋の付近を見回るつもりで石階段を下りた。


   ◇


 長い長い下り坂を過ぎれば、閑静な住宅街が現れる。それを抜ければ、人通りの多い大通りに出るのだが、車も人も店も多い通りから、一歩裏に入り込めば、途端に人気も少なくなる。そんな場所にあの時計屋はあった。

 きょろきょろしながら道を歩けば、通りすがりに凝視してくる人間がたまにいた。

 少し前なら、それが嫌で「綻び」も視えていないフリをしていたが、今はそんなこと言ってられない。

 自分のメンツと友人の存在なんて、量りにかけるまでもない。

 ――人には視えないものが視える。

 悩みの種だった重石に、今はかまっている暇はないい。

 特に何も視えずに時計屋の前まで来た悠は、そのまま日子の店まで向かった。

「緑水堂」と書かれた木材の看板を一瞥すると、引き戸に手をかけた。

 ガラガラと軽快な音を奏で、のれんをくぐれば、カウンターには日子ではなく愛美がいた。

「いらっしゃい」

 笑顔で迎えられ、悠は小さく会釈しながら中に入って行った。

「さっきまで華菜多いたんだけど、すれ違いになっちゃったね」

「いや、あいつに用があったわけじゃないから別にいいんだけど」

「そうなの?」

 悠は片手で頭をかいた。

 愛美は華菜多の友人だ。周囲を和ませるような、おっとりとした雰囲気を纏う彼女は、和菓子を扱うこの店によく馴染んでいる。普段男勝りな性格の華菜多と接することが多いせいか、愛美のような異性はどことなく苦手だ。

「近くまで来たから、たまたま寄っただけ。今はヒコさんいないの?」

 そう聞けば、愛美はこくんと頷いた。

「そっか。じゃあ、また来るよ」

 そう言って背を向けようとした瞬間だった。

「まあまあ。そう急がなくても」

 突然両肩に温もりを感じ、振り返れば、ほほ笑む日子がそこにいた。

「ユウさん、いらっしゃい」

 今日は、浅黄色の着物にレース状の羽織身に着けていた。

「今日はどうしたんです?」

「いや、たまたま近くに来たので。ヒコさん、どこか出かけていたんですか?」

 そう言うと、日子は口元を隠して笑った。

「ちょっと、ね。――最近野良猫が寄りつくようになったから、少しだけお世話しててね。華菜ちゃんがよく見てくれるんだけど、この町に来たばかりなのか、ふらふら出歩くから、心配らしくて」

 野良猫、か。そういや神社の境内で見かけたな。

「華菜ちゃん、野良のままじゃあいずれ保健所に連れてかれるからって、飼うつもりでいるらしいんだけど――」

 そう言いながら、日子は顔を曇らせた。

 言いたいことはわかる。

「それは無理というか、無謀ですね」

「だよねぇ」

 華菜多の父、つまり良明の兄、智明は猫アレルギーなのだ。そのせいか、大の猫嫌いである。

 あれを説得するくらいなら、諦めた方が楽だ。

 そもそも聞く耳を持つかどうか……。

「あら、噂をすれば」

 日子の視線の先を追えば、ガラス越しに黒猫が座ってこちらを見ていた。心なしか、僕の方を見ている気がする。

『なんだよ』

 音にはしないで、口の動きだけで言ってやれば、おかしなことに、猫も欠伸で返してきた。

 ――変なやつ。

 猫は店の中をじっと見たあと、背を向け去っていった。

 結局、悠の探す「綻び」は見つからず、一旦家に戻ることにした。いつの間にか日は沈み、緑から黒に変化した木々が悠を囲む。

 早くしないと――。もう、時間が……。

 一刻を争う事態に、休む余地はない。

 制服のまま探し回って、そのまま学校――はダメだ。警察に補導される可能性がある。

 山の頂上から風が吹く。木々が無数の木の葉を揺らし、音を奏でる。少しだけ冷たいその風は、頭を冷やすには十分だった。

 タイムリミットまで、あと四十二時間――。


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