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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』と『戦時の青春』と『初デート』と  作者: 橋本 直
第九章 『特殊な部隊』と異国の花魁

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第30話 戦争前の新さん

 それからもお蔦は店のあちこちで東和の豊かさを身にしみて感じていた。そして店内を見て回るうち、お蔦は甲武での自分の暮らしを思い返していた。太夫だった頃の豪華な生活はもちろん、西園寺御所の長屋や、その後の小料理屋での暮らしさえ、甲武の庶民から見れば十分に恵まれていた。

 

 花街で太夫をしていた頃は、戦時下とはいえ食べるものに困った記憶はなかった。嵯峨との昔話を聞くため、毎晩のように西園寺義基が訪れていたからだ。

 

 『殿上会』で関白太政大臣として『開戦断固拒否』を唱えた義基を今でも信奉する者は多く、彼らは闇市から、本来なら軍部の将官向けだった最上級の酒や食料まで藤の屋へ運び込んでいた。地方のコロニーでは配給すら滞り始めていたというのに、お蔦はその惨状を知らずに日々を過ごしていた。


 西園寺御所ではそこで暮らす食客たちに囲まれて彼らの知恵と伝手でそれまでの花街での豪華絢爛な暮らしとまではいかないものの、すでに領主が無能な甲武の田舎では餓死者まで出始めた甲武にあって空腹で悩んだ記憶も無かった。


 だからこそ、お蔦はこれまでの人生で不幸や不満を感じたことは取り立てて感じてこなかった。むしろ自分は飢えて死ぬ地方の小作人の嫁などにならなくてよかったと、戦後に軍部の情報統制が解かれて戦争と物流の崩壊に、領主の無策が重なったコロニー群での小作人たちの惨状を見るたびに逆にそのような環境から女郎として売られることで抜け出せて今の自分の暮らしがあると考えていた。新聞で見る山と積まれた裸の餓死者の写真を見るたびにそう考えなければ自分の人生を受け止められなかった。


 そして、その後の御所を出てからの小料理屋を営む暮らしでも客に花街の最高の贅沢を知る人間としてのもてなしとしての食材の仕入れに頭を痛めることは有ったが、その途中で見かける物乞いをする傷痍軍人や親を失った路上で生活する子供たちに比べて自分がいかに恵まれた存在なのかと思うと心が痛むものの、自分もまた店が失敗すれば彼らと同じ暮らしが待っているんだと思いながら必死になってその日々を過ごしていた。


 しかし、あのお蔦と嵯峨を引き離した戦火に街を焼かれることなく繁栄を続けた東和共和国にはその甲武のぬかるみのような貧しさのかけらはお蔦の見る限り全く見かけることが出来なかった。


 食料品売り場の胸元に同じ札を付けた女たちの誰もがどうやって食べていくかを考える甲武とは違って、何を食べようかと悩んでいた。談笑する職人風の男達の話を聞けば甲武では上流貴族しか持てない自家用乗用車の買い替えをどうするかについてお蔦にも分からないような言葉で笑顔で話し合っている。


 誰もが甲武の街角で擦り切れた着流しや汚れた着物で歩いていてもおかしくない顔つきをしているというのに、その会話の中にはお蔦の抱く『普通の暮らし』がどうやら東和では憐れみを買うような酷い暮らしなのだと知ってお蔦は衝撃を受けながら、店内の見慣れない箱に入った調味料について説明して来るレイチェルの言葉に生返事を続けていた。

挿絵(By みてみん)

「なんだい、お蔦さん。アンタはカレーが好きだって聞いたからそのルーの説明をしてやっているというのにまるで聞いちゃいないみたいじゃないのさ。まあ、そういうアタシもそうだったっけねえ。アタシがゲルパルトを出た15年前。まだ、あっちこっちに戦争の爪痕が残ってて、それが当たり前だと思ってた。そんなアタシがこの東和に来てそもそもこの国が400年間そんなものを一度も見たことが無い国だと思い至った時のアタシの顔はきっと今のアンタの顔みたいだったろうと思うと少し笑えて来るよ。まあいいさ、その様子だとちょっと店の中も飽きて来たんだろう?これからはこういう店には隊長と一緒に……ああ、隊長はそもそもここにある食材を買う金の持ち合わせがないからその時は、あの渋ちんの娘さんから『隊長にいいものを食べさせたい』って金を搾り取ってやんな。それよりこれから外に出ないかい。ちょっと肌寒い季節だけど風に吹かれるのもまた悪くないものさ。それにアンタが見たいのは隊長がいるこの街そのものなんだろ?」


 レイチェルはカレーのルーを棚へ戻し、お蔦をマルヨの外へ連れ出した。


 相変わらずまだ電気で動くことは分かっても、人を見分ける仕組みは理解できない自動ドアを不思議そうに見つめるお蔦に笑顔を向けながらレイチェルは周りに店に入った時と似た服装の人物が見当たらないかと一度鋭い視線を向けた後で、すぐに笑顔に戻ると戸惑うお蔦を促すように正面口の階段を降りた。

挿絵(By みてみん)

 二人が歩く豊川の街の早春の日はお蔦が驚きながら生鮮食料品を見て歩いて店内を夢中で見て回っているうちにやや傾きかけていた。お蔦には珍しく、レイチェルにはありふれた規格ものの建売住宅の並ぶ街並み。道路にはひっきりなしに自動車が行きかう。


 お蔦が嵯峨から聞かされた話しではこの東和共和国は少なくとも、この国の街が戦場になったことは四百年ないという。そう考えると第二次遼州大戦の同じ敗戦国である戦火の苦しみを知るレイチェルの存在は、街を行く戦争を知らない東和の人々とは違ってお蔦にはありがたくもあり頼もしくもあった。


「しかし、なんだってこんなに東和の街の家は同じ形をしているのかい?東和の大工の棟梁は同じ家の建て方しかお上に許されていないのかねえ……甲武はお上が何でもかんでも決めて、やれ芝居や映画には警官を張りつかせろや、岡場所や花街には風紀を乱すから巡回の憲兵を配置しろだの、アタシのやってた小料理屋だって何かというと警官や市の役人が口実を付けてやってきてはいちいち小言を言ってくるんだ。この東和でも大工の棟梁の所には東和の役人が同じ形の家を作れとか言ってくるのかね?」


 似たような屋根、似たように二階建てでベランダと車庫がある家の作りを見ながらお蔦はそんな言葉を口にした。


「アンタの話を聞いてるとアンタが甲武の人間だってことが良く分かるよ。そんなお上がどうこう言ったところでこの国の建物の形が変わったりはしないよ。東和じゃ同じ材料で同じ家をまとめて建てた方が安いんだよ。金より『建国復古の理念を第一として』という甲武の憲法の前文が何より重んじられていて、その意味するところの伝統が何より大事な甲武の政府は認めないだろうが、東和じゃそんなことは当り前さ。まあ甲武じゃ効率よりも伝統だからね。だから伝統で同じ立て付けの家を作らないのが大工の矜持と政府が認めたら伝統を重んじるあの国の政府の役人も何にも言えないんだよ。だから大工の棟梁が昔ながらの作り方で家を作るのが伝統だと言い出せば遼帝国で安く仕入れた木材に高いもうけを乗せて甲武まで運んで大正風の日本家屋を、棟梁の好みで建てるわけだ。東和の建築会社……ああ、お蔦さんにも分かるように言うと偉い大工の棟梁だ……その会社はそんな面倒なことをするより同じ規格で木造モルタルの建物を大量生産した方が効率がいいって考える。それがこの東和の考え方……ああ、少し難しい話をしちまったかね」


 レイチェルはそう言いながらどこまでも続く分譲住宅を飽きることなく眺めているお蔦に笑いかけた。


 お蔦はどれもお蔦には同じ家にしか見えない新興住宅街を歩いていたが、そんな彼女はその街角にある機械にばかり目が行っていた。


「それにしてもあれは何だい?さっきから街のあちこちにあるんだが……赤や青など、さまざまな色で同じ形をした箱。それに窓ガラスの中には缶のジュースが並んでいる……あれは宣伝看板か何かかい?」


 お蔦はジュースの自動販売機を指さしてそう言った。


「そうだよね。確かに甲武にはこんなものは無いね。甲武はどこまでも大正期の日本を模した国……自動販売機なんてあるはずもないさ。あれは飲み物を買う機械さ。あれに硬貨を入れてボタンを押すと缶ジュースが出てくる。人がいちいち売るより便利だろ?」


 レイチェルの言葉にお蔦は驚いた。


「飲み物を売るのに機械を使うのかい?信じられないねえ……そんなの人間が立って売れば良いじゃないのさ。人間なんてわんさといるんだ。機械なんかを使うよりよっぽどそちらの方が安く済むよ」


 人間があふれて失業者の群れが街を覆う甲武の人間であるお蔦にはレイチェルの言うことが理解できないでいた。


「そりゃあ甲武では職がない人間が山といるからね。その人間にタバコ銭でも握らせれば喜んで売りに立つだろうさ。でも東和では労働省って言う役所があって政府が決めた賃金以下でそんな真似を役所に見つかりゃすぐ指導が入るし、悪質なら罰金ものだ。甲武には甲武の理屈があるように、東和にも東和の理屈があるのさ……まあ、それを理解できるにはアンタには少し時間が必要だし、そう言うことの専門家の隊長の女になるんだろ?今夜にでも聞いて見りゃアタシよりよっぽどわかりやすく説明してくれるよ」


 そんなレイチェルの言葉だが、まだお蔦にはあの機械のある意味が分からずに、今晩寝物語に嵯峨にその辺りの事を聞いてみようと心に決めた。


「それじゃあ、レイチェルさん。これでお茶を買ってくれないかね?アタシは使い方が分からないんだ。少しくらいサービスしてくれたっていいんじゃないのかね……アタシはアンタの旦那の隊長の女なんだよ。少しくらい世話をしてくれても良いじゃないのさ」

挿絵(By みてみん)

 そう言ってお蔦は手にした巾着から小銭入れを取り出した。


「さっきまでの借りてきた猫みたいな態度がもうこうなったなんて……花街一の花魁と言うのはやっぱり度胸の座り方が違うんだね。それよりそんなことを言いだすなんてどうやら喉が渇いたみたいだね。それならこの近くにのどの渇きを癒すには良い店がある。自動販売機の缶のお茶なんてそれこそうちの人の恩人、その大事な女に出せたもんじゃないよ」


 そう言うとレイチェルは思い出したように歩みを速めた。小銭を返されたお蔦は巾着を仕舞うと草履姿のお蔦は、レザーブーツを履いたレイチェルの早い足取りに急いでついていった。


「その先の角を曲がるとあるんだ。ちょっとした隠れ家みたいな店でね。あの隊長の下にいる中では切れ者の艦長さんもご愛用の喫茶店さ」


 レイチェルは自分の歩みが早すぎたことに気付いてしばらく立ち止まった後、振り返ってそうつぶやいた。


「新さんの部下の切れ者?そんなのはアタシは会わなかったけどねえ……ただうるさい女と生意気な若造しか新さんの部下には居ない感じで新さんは可哀そうだった」


 お蔦の言葉にレイチェルは大きくため息をついた。


「そうでもないさ。あの連中……うちの人の後輩たちはああ見えて意外としっかりしているんだよ。あの中にひと際背が高くて、紺色の髪をした細目の女が居たろ?名前はアメリア・クラウゼという中佐でね。アレが隊長の運用艦の艦長なんだ。ああ見えて油断のならない女さ。アンタも気を付けた方が良いよ。たぶん隊長の任期が切れたらあの女が『特殊な部隊』を率いることになるだろうね。アタシとうちの人はそう見てる。まあそうしたらアタシ等もこの街を去ることになるだろうね。同じところに根を下ろせばあの人やアタシを追ってる連中も嫌でもあの店の存在に気付くだろうからね。それもまた人生さ」


 レイチェルはそう言うと再び繁華街に入った道の中でもひときわ地味な喫茶店の扉を押し開いた。


「ああ、いたね。あのでかい、よく喋る女。あれが切れ者かい?アタシにはただ眼がやたら細いデカい女としか覚えてないんだけど……ああ待っとくれよ!」


 そう言うとお蔦はと店に入ろうとするレイチェルに遅れまいと扉の中に飛び込んだ。


「いらっしゃい……こりゃあ、レイチェルさん。今日も一人……いや、そのお方は……」


 顎髭を蓄えたマスターが慣れた調子でカウンターに座るレイチェルに声をかけた。一方のお蔦は店の薄暗い雰囲気や西洋風の調度品にどぎまぎしながら立ち尽くしていた。


「ああ、マスター。この人は東都の朝草や青坂の芸者さんじゃないよ。甲武の人……そう考えれば日本髪に和服でも少しも不思議じゃないだろ?」


 レイチェルはそう言って視線をお蔦に向けた。


「アタシはこういうハイカラなカフェーに来るのは久しぶりでね。あの新さんがまだ高等予科学校の生徒さんだったころに行ったきりで……あの頃は甲武にもこういうカフェーが沢山あって、質の悪いコーヒーを出す安い店の女給は当たり前のように安い金で春を売る女給を沢山雇うんで新さんに変な虫がつかないように目を光らせていたんだ。それにしてもこの店には女給はいないのかい?」


 落ち着いた雰囲気の店内に圧倒されながらお蔦はレイチェルの隣に座った。

挿絵(By みてみん)

 マスターは困惑した。伝統芸能の番組から抜け出したような若い女が、喫茶店の女給は春を売るのが当然だという調子で話している。奇人ぞろいの『特殊な部隊』、とりわけアメリアに慣れた彼でも、これには言葉が出なかった。


「ああ、甲武の喫茶店のウェイトレスは実際は飲み物を運ぶなんて言うのは建前で売春が目的だったとこの仕事を教えてくれた先輩からもらった資料で読んだことがあるからね。売春が違法なこの国の喫茶店じゃあそんな店は……ないとは言わないけどアタシは行く気にはならないね。それにこの店はマスター一人でやってる店だ。純粋にコーヒーを楽しむ店。それがこの店なんだ」


 レイチェルは甲武と東和の常識の違いをお蔦に説明するとマスターに向き直った。


「アメリアさんお気に入りのブレンドを二つお願い。この人は……甲武生まれでコーヒーには慣れていないから、それなりに腕によりをかけて淹れておくれよ」


 レイチェルはそう言うとマスターに笑いかけた。


「アメリアさん好みだとコーヒー好きの人以外は苦みが強すぎるかもしれませんね。じゃあ、ミルクを多めに添えましょう」


 マスターの優しい言葉を聞くとレイチェルは満足げにうなずいてお蔦に目を向けた。


「アタシも女だからね。隊長の昔の話に興味があるんだ……聞かせとくれよ……戦争に行く前の隊長の話」

挿絵(By みてみん)

 そう言うとレイチェルはお蔦に笑いかけた。それまで借りてきた猫のようだったお蔦の顔に笑みが浮かんだ。



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