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【01】金剛石

 西木(れい)七星(ななせ)文音(あやね)は、同じ高校に通う3年生である。受験の足音も忍び寄る中、3年5組は今年1番の盛り上がりを見せていた。

 開け放たれた教室の窓から、生暖かい風が吹き込んでくる。


「さて、今年もいよいよ文化祭だな。今年は3年生だから演劇で確定なんだが……。みんな、やりたいものあるか?」


 担任の問いかけにクラスメイトたちは沸き立った。


「ねえ、誰が主役やるんだろう!」

「いやこのクラスにそんなイケメンいる?」

「あはは、だよね~」

 

 一方(れい)は上の空、文音(あやね)はずっと文庫本に視線を落としていた。


 (れい)の脳内には、中学生の頃目の当たりにさせられたアイドルの現実が浮かんでいた。ステージに立つ誰もが主役になれるわけではないうえ、そこに立てる人間もごくわずか。

 夢を叶えたければそれ相応の痛みや苦しみという対価がついて回る。それは学校行事でも変わらないことは澪なりに目に見えて分かっていた。


 それに、文音(あやね)なら我先にと裏方に回ると簡単に予想がつく。文音の華奢な背中を、澪はそのすぐ後ろで眺めていた。


(嫌だな、文音(あやね)ちゃんが裏方で終わるの。裏方ならまだいいよ、木の着ぐるみ着せられるとか、馬の下半身とか、あの子のそんな姿見るくらいなら文化祭なんて中止になっちゃえばいいのに)


 がやがやとする生徒たちが、担任の声で再び前を向いた。


「折角だし、1人1案ずつ挙げていこうか。じゃあそこ! 何でもいいぞ」

「えー? いきなり? なんでもならじゃあ、シンデレラ!」

「いやいや、白雪姫でしょ!」

「ここはあえての桃太郎で!」


 誰でも知っている童話から少し前に話題となった映画まで、次々と候補が上がり順番は文音(あやね)の想像以上に早く回ってくる。彼女は文庫本に身を隠すように縮こまった。


「次は七星(ななせ)だな。何がやりたい?」

「……え、えっと……。皆さんにお任せします……」


 文音(あやね)は耳まで赤くして本当に文庫本で顔を隠してしまう。


「そんなの冷たいって七星(ななせ)~!」「あっ……!」


 その盾を、隣の席の男子生徒が無遠慮にひょいっと取り上げた。彼は本を閉じ、タイトルをつぶやいた。


「何だこれ。『クリミナル・クリスタル トルマリンメモリー』?」

「か、返してくださいっ……」


 タイトルに反応した生徒たちが蜂の巣をつついたように騒ぎ立てる。担任も黒板の前から繰り出してきて文音(あやね)に近づいた。

 

「え、マンガ!? まともそうな七星(ななせ)さんが!?」

「おーい。七星。見せてみろ。マンガだったら没収だからな」


「いや、文字ばっかり。ほら」


 男子生徒がその中身を見せびらかす。『トルマリンメモリー』は社会派マンガである『クリミナル・クリスタル』でも、相当なマニアしか知らないスピンオフ小説だ。

 文音を中学校で負った心の傷から立ち直らせてくれたマンガの本編では語られなかった『マリン』ことレッドトルマリンの物語がたっぷり詰まっている。


「うわ、本当だ……。疑ってごめんな。でも話し合いには参加しような」

「はい……」


 担任はそれだけ言うと教卓に戻っていく。中身に目を通しながらも首を傾げる男子生徒に我慢ならず、(れい)は立ち上がった。


「はいおしまい! 折り目が付いたらどうすんの!」


 (れい)は男子生徒から本を取り上げて文音に手渡す。


「あはは、また(れい)さまの雷が落ちた~」

「ったくもう!」


 3年5組で(れい)は文音の過保護な親友、俗称『澪さま』と呼ばれていた。彼女にとってはかなり不本意なあだ名だ。

 すべては愛しい文音(あやね)を守るためだが、周りの人を攻撃したいわけではないのだ。


「こーら、西木も。静かにしろ」

「っ! す、すみません」

「で、七星(ななせ)はやりたいものあるか?」


 文音(あやね)は担任の顔と手元の小説へ交互に視線を動かす。


(大丈夫、どうせ選ばれる確率は単純に考えて30分の1だ。通るわけがない。ならば)


「では……。『クリミナル・クリスタル』はどうでしょうか」


 強気な提案にクラスメイトは驚きと困惑が入り混じった声を上げる。文音(あやね)は顔を真っ赤にして俯いた。


「もう、勘弁してください……」


「じゃあ、西木はどうだ?」

「え、ええー……? じゃあ、今のにもう1票」


 澪の一声で教室は静まり返った。くすくすと笑い声が聞こえてくる。


「西木ー。多数決は後でやるからな」


 あろうことか文音(あやね)が出した『クリミナル・クリスタル』案はそのインパクトから他の選択肢をいくつも押しのけて採用されてしまった。

 中身はまだしも、名前ならそれなりの人数が知っている社会派マンガの金字塔だ。出し物会議が終わった休み時間、文音は机に伏せて自らの口の軽さを悔いていた。


 時は流れ、ついに役決めの日がやって来た。幸い『クリミナル・クリスタル』は10年前に舞台化されたことがあり、それに倣って進められることとなった。

 それは文音(あやね)が愛するマリンとその相方、『サンド』ことアレキサンドの出番が大幅に削られることを意味している。

 その日の文音は唇を固く結び、いつもよりさらに重々しい空気を纏っていた。


文音(あやね)ちゃん、調子悪い?」

「いえ……。いや、悪いと言えば悪いのでしょうか。今日、演劇の役が決まるのですよね」

「そうだね……。今日の4時間目。文音ちゃんは誰役やりたい? やっぱりマリンきゅん?」

「いえ、私にマリンは務まりません……」


 ついに4時間目、ホームルームの時間がやって来た。教室はすっかり色めき立っている。


「なあ、お前誰やる? クリスタルといえば最終回だよな~」

「やっぱダイヤだろ! 最後にギャン泣きする以外はほとんどクリスタル抱えてじっとしていれば終わるし。主役なうえに楽できるとか丸儲けだわ」


 そんなざわめきを、文音(あやね)は全て耳に入れていた。

 当然、主人公役は文音には重すぎる。しかし彼女の脳内ではクラスメイトたちへ安易にあの物語を渡せばどうなるか。そのシミュレーションが綿密に行われていた。 

 導き出した結論を胸に、深く息を吸い込む。


 (あの最終巻を、安易な気持ちで終わらせてほしくはない。こうなったら……)


「よーし、ホームルーム始めるぞ。劇の役決めだったな。じゃあ、主役のダイヤ役がいいひ」


 ガタンッ!


 目の前の彼女が勢いよく立ち上がった。突然の音に(れい)は全身を強張らせる。

 役名を書き出していた担任も思わず手を止めた。


 文音(あやね)は彼女をなだめようとする(れい)を震える手でそっと制止した。

 確かな足取りで黒板の前へ行き、縦書きの『ダイヤ』の下にチョークが折れてしまいそうな勢いで『七星文音』と書き込んだ。

 澪しか知らないうえ中学のうちに失われたであろう文音の力強い一面に、澪の胸は先の衝撃とは異なる高鳴りを刻み始めていた。

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