81.父と子、最大級の初試練2
「あ~……ダメだ……。俺にはもう、これ以上どうすることもできん」
首にしがみついたまま離れなくなってしまったので、仕方なくマルレーネからラフィを引き取ると、グレアムは彼女を優しく抱きしめながら天を仰ぎ見た。
途方に暮れて、茫然としている。
そんな彼に、眼前の娘二人はなぜか変な顔をしていた。
マルレーネは若干頬を赤らめ挙動不審に。クリスに至っては唇を震わせながら目が点になっている。
「グレアムよ。俺も子供いるからわかるが、そうなっちまうともう、無理だろうなぁ」
どこか呆れたように、年配狩人のギールが告げた。
「……やっぱりか?」
万策尽きて困った顔を向けると、ギールは肩をすくめた。
代わりに、赤髪で片目が隠れている三十代後半の冒険者、マルスが渋い顔をする。
「しかし、ちびっ子を連れていくとなると、想定外な事態が起こったとき、対処できなくなるぞ?」
「わかってるさ、そんなことぐらい。だから、今回はマルレーネに任せようとしたんじゃないか」
グレアムはそう答え、大分泣き声が小さくなってきたラフィの背中を優しく撫でた。その上で、「ダメかもしれないけど」と思いながらも、もう一度説得を試みる。
「なぁ、ラフィ。聞いて欲しいんだ。今度さ。リューン村ってところに行くんだ。そこはさ。この村から遠い場所にあるから、一日では帰ってこれないような村なんだ。だからね、ラフィ。そのときには観光――遊びも兼ねてラフィも一緒に連れていこうと思っているんだよ」
首にしがみついたままの幼子は、鼻をすすりながらも黙って聞いてくれている。
グレアムは続けた。
「覚えているかい? ラフィ。この間、いっぱいいろんなもの見に行こうなって話したよね?」
「……うん……おぼえてりゅ……」
「今回連れていけない代わりに、リューン村でいっぱい、いろんなものを見よう。お魚もいろんなのがいるんだよ? 青いのとか黄色いのとか、変な顔してるのまでさ」
「……ホントでしゅか……?」
「あぁ、ラフィが大喜びしそうなものがいっぱいあるんだ。だからさ、ラフィ。次こそはちゃんと連れていってあげるから、今回はお姉ちゃんたちと一緒に待ってて欲しいんだ。ダメかな……?」
そう優しく諭すグレアムに、ラフィはしばらく返事をしなかった。自分を納得させるための材料を探しているのか、それともまだ納得できないのかはわからない。
もしかしたら、お留守番の恐怖に打ち勝てるだけの材料を、一生懸命模索しているのかもしれないが――ともかく。
「……ラフィ……ぐ~たんにおねがいがあるでしゅ……」
「うん? なんだい?」
「……こんど、みんなでいっしょにねたいでしゅ……ぐ~たんとま~たんとみんなでいっしょにねたいのでしゅ……」
ラフィはそこまで言って、グレアムの首から顔を離した。
真正面から見つめてくる幼子は、目を赤く泣きはらしていて、見ているだけでもいたたまれなくなってくる。
ラフィはまだまだ甘えたい盛りの年頃だ。本当の両親と死に別れてしまう前は、毎日三人で一緒に寝ていたのだろう。
優しい両親に愛情をいっぱい注いでもらって、たくさん甘えながら過ごしていたに違いない。
だからこそ、本当は父親だけでなく、母親の代わりになれるような人ともいつも一緒にいたいに違いない。
もしかしたら、彼女にとっては、それがマルレーネなのかもしれない。
(マルレーネのことを母親を見るような目で見ていた気もするしな。ときどき冗談なのかなんなのか、あいつのことをおかあたまとか言ってたし)
だからこそ、彼女に任せておけばすべてうまくいくと期待していたのだが、結果は惨敗。
(まぁ、だけど、あいつは母親じゃないし、それに俺たちと一緒に暮らしていたわけじゃないからな。もしかしたらそれが原因で、壁を感じて、絶対的な安心感や信頼感が得られていなかったのかもしれないけど)
だからあれほど慣れていたマルレーネですら、お留守番という名の恐怖を払拭できる存在になれなかったのかもしれない。
家族やそれに近しい間柄と認識できていれば、なんの遠慮もせず無条件に甘えられ安心できる存在となれるが、他人の場合にはそうはいかない。どこか距離を感じ、遠慮してしまう。だから信頼できないし安心もできない。
けれど、今このタイミングでラフィがマルレーネと一緒に寝たいと要求してきた。
もしかしたらそれは、グレアム同様、彼女との間の壁を取っ払い、家族レベルで甘えられる存在になって欲しいと思い始めている、そういうことなのかもしれない。
(もし本当にそうなら、今後のお留守番問題もいっさい心配しなくてすむようになるかもしれないな。ラフィ自身が安心感を得られる存在が増えてくれたら、それに越したことはないし。しかし、参ったな。それってつまり、逆に言えば、母親レベルまでいかないと留守番任せられないってことだろ? ……というよりこれはもはや、ラフィは俺だけでなく母親も欲しいと思い始めてるってことか?)
しかし、今回ラフィが求めているものは、そのレベルのものではなく、あくまでも「今度一緒に寝たい」である。一度だけでいいなら、とりあえず今後の母親候補のことは考えなくてすむ。
グレアムはいろんな思いが交錯して、内心複雑な気持ちになってしまったが、自分の一存では決められない案件でもあったので、即答できなかった。
しかしその代わりに、マルレーネに視線を送って何度も目だけで拝み倒した。
今は四の五の言ってなんかいられない。もしこれでラフィが納得してくれるのであれば、なんでもやってやる。
そう開き直って見つめていると、マルレーネは大きな溜息を吐いたあと、苦笑した。
「仕方がありませんね。ラフィちゃんを連れていくわけにもまいりませんし、背に腹は代えられないでしょう」
「そ、そうか。ラフィのお願い、引き受けてくれるのか――恩に着るっ」
グレアムは何度も低頭すると、ラフィに笑顔を見せた。
「ラフィ! よかったなっ。マルレーネが一緒に寝てくれるそうだ!」
「……ほんとでしゅか?」
「あぁっ。だから、俺が帰ってくるまで、ママのところでいい子にして待ってるんだよ」
グレアムは危機を乗り越えられたことにほっとし、満面の笑顔でラフィをぎゅっと抱きしめた。
「……はいなのでしゅ。ラフィ、おかあたまといっしょにまってるでしゅ……」
そうか細く答えた幼子の顔には、少しだけ笑顔が戻っているような気がした。
グレアムはそれだけを確認し、再度マルレーネに預けようと視線を巡らせたのだが、なぜか幼子を受け取った彼女は頬を赤らめ大慌てとなっていた。視線まで反らされてしまう。
「クリスさん。あなたも買い付けの仕事、頼みましたよ」
マルレーネは焦ったようにメイド騎士へと声をかけるが、当該の女騎士もまた、瞳から光が失われ虚ろな目をしていた。
「ママ……おかあたま……マルレーネがラフィのおかあたま……いっしょにねる……つまりグレアムの嫁……」
クリスは際限なくブツブツと念仏を唱えていたが、やおら、瞳をかっと見開いてグレアムを睨み付けた。
「お、おい、貴様っ……わ、わた、私がお前の婚約者なのだぞ……!? それなのに他に女を作ったばかりか、あまつさえ一緒に寝るだと……!?」
顔面蒼白状態から一気に大興奮して赤面状態となってしまったメイド騎士。
そのまま勢いよく胸ぐらを掴もうとしたが、それより早く、ラフィを抱きかかえたマルレーネによって、ホワイトブリムを被った頭に手刀が叩き込まれていた。
「痛いっ」
「痛いではありません。早くしないと、夜になる前に戻ってこられなくなってしまうではありませんか。これ以上遅れるわけには参りませんので、早く出発してください」
「し、しかしっ。こやつにはいっぺん、天誅を食らわさねば気がすまんのだ!」
わめき散らすクリスの言葉に、
(天誅なら既に一度、孤児院で食らってるんだけどな? しかも、ただのとばっちりで)
グレアムは心の中で反論するが、もちろん、面倒なことになるので声には出さない。
「つべこべ言わずにさっさと行ってください。いいですね?」
有無を言わさぬ強い口調に、女騎士はぐっと息を飲み込んだ。
「うっ……ぐぐ、し、仕方がない。仕事だから堪えるが――しかし、私はこのひらひらした格好で豚の捕獲とやらに同行するのか?」
フリフリメイド服と腰に巻いた剣帯。そこに聖騎士の剣がぶら下がっている。
「もちろんです。クリスさんは私のメイドとして参加するのですから、そのまま向かってください」
にっこり微笑むマルレーネに、クリスは顔を引きつらせて絶叫した。
「嘘だあぁっ。そんなバカなっ……嘘だと言ってくれっ、マルレーネ! こんな格好で村の外など出歩けるかっ。せめて、せめて鎧だけでもっ。あれは、騎士の誇りなのだぁぁ~~!」
一人、延々とわめき散らし続ける女騎士。
このままでは収拾がつかなくなりそうだったので、グレアムは叫び続ける彼女の首根っこを掴むと、そのまま馬車へと引きずっていった。
(ていうか、メイド服の上に聖騎士の鎧着たらどうなるんだ? 意外にイケるのか?)
思わず想像してしまうグレアムだった。
このお留守番エピソードは、本作の中で最も悪戦苦闘したワンシーンでした。
今でもまだ、もう少しうまく表現できていたらなと、読み直すたびに思う部分ではあります。
とりあえず、この『初めてのお留守番』エピソードがきっかけとなり、いろんな意味でグレアムさんを取りまく人間関係に大きな変化がもたらされていくこととなります。
そういったとても重要なお話でしたので、敢えて入れさせていただきました。
ラフィちゃん、ごめんなさい(土下座
でもきっと、試練のあとにはとっても嬉しいご褒美が待っていますから^^;
【次回予告】 82.帰りたがるグレアム




