80.父と子、最大級の初試練1
今後のシナリオを左右する重要なエピソードなので、二話連続投稿いたします(ぺこり
二日後早朝。
グレアムは眠そうにしているラフィを抱っこしながら、村へと続く坂道をゆっくりと歩いていた。
今日は朝早くから、豚の買い付けのために隣村へ出立しなければならないということで、マルレーネたちは家に来ていない。村で落ち合うことになっていた。
「ぐ~たん……どこいくですか……?」
しきりに目を擦って小さな声で聞いてくる幼子に、まだ地平線がどこか白んでいる空を眺めながら、グレアムは優しく微笑んだ。
「今からお仕事に行くんだよ」
「おしごと……?」
「あぁ。だから、マルレーネお姉ちゃんたちのところに会いに行くんだ」
「ふぅ~ん……」
相変わらず眠そうにむにゃむにゃしながら返事するラフィ。おそらく、グレアムが何を言っているのか理解していないのだろう。
そうこうするうちに、村の東門が見えてきた。
そこには、家畜や材木を運ぶための運搬用馬車が五台、既に待機していた。
周囲には幾人もの人影がまばらに立ち、朝早くだというのに談笑している者たちもいる。
そんな中に、グレアムは話し込んでいる二人の娘を発見した。
マルレーネとクリスである。
「おはよう、二人とも。遅くなった」
二人の前で立ち止まると、彼女たちも挨拶を返してくる。
「おはようございます。丁度いい時間ですね」
「まぁ、グレアムは普通に早起きだしな」
普段通りのいいとこの町娘のような白いワンピース姿のマルレーネと、こちらもいつも通り、フリフリの可愛らしいメイド服姿のクリスがそう応じた。
「よ、おはようさん」
「相変わらずラフィちゃんを連れてるんだな」
「ホントにお前さんという奴は、どこ行くにもいつも一緒だよな」
「まぁ、でも、気持ちはわかるぜ? なんせ、こんだけ可愛けりゃ、誰だって連れ回したくなるわな」
手持ち無沙汰な感じで馬車の周りや門の周囲に立っていた男たちがグレアムの姿を見つけて集まってくると、皆口々にそう言って笑い始めた。
グレアムは軽く舌打ちした。
「うるさいよ、お前ら。朝っぱらからまったく……」
「まぁまぁ、固いこと言いなさんなって。今日は一日中一緒に仕事するんだし、仲良くしようや」
グレアムより一回り以上年上の年配狩人がニヤッと笑って肩をポンポン叩いてくる。
グレアムは軽く溜息を吐いたが、彼らとはもう数年来の付き合いだ。
互いの性格もわかっているし、何より、悪気があって言っているわけではないこともよく理解しているので、心の底から不快になることはなく、むしろこのやりとりが楽しくもあった。
「足手まといになったら、容赦なく切り捨てるからな?」
グレアムもニヤッと笑い返してから、再度、マルレーネへと向き直った。そのときには既に、真顔となっている。
このあとのことを考え、二人して、若干緊張感すら漂わせていた。
「それじゃマルレーネ、昨日も話したと思うが、仕事行ってる間、ラフィのこと、よろしく頼むな」
「えぇ。確かに承りました。しっかりとラフィちゃんの面倒を見させていただきますので、安心していってきてください」
彼女は軽くお辞儀したあとで、グレアムが差し出した幼子を受け取り抱っこした。
ラフィは自分の身に何が起こっているのかまったく理解できないといった感じで、眠そうにきょとんとしていた。
「ぐ~たん?」
それでもいつもと雰囲気が違うことを察したのだろう。徐々に不安そうに表情を曇らせ始める。
グレアムは罪悪感にも似た思いに胸がチクリと痛んだが、なんとかそれを無理やり抑え込もうと、幼子の頭を撫でながら微笑んだ。
「ラフィ、今からちょっと、お仕事で隣村まで行ってくるけど、すぐに戻ってくるから、お姉ちゃんたちと一緒にいい子にして待っててくれな?」
なるべく彼女を刺激しないように、言葉を選んでそう優しく声をかけたつもりだったのだが――瞬間、ラフィの顔色が変わった。酷く強ばっている。
どうやら自分の身に何が起こったのか本能的に悟ったらしい。留守番させられると。
「ラフィちゃん? パパが帰ってくるまで、私と一緒にギルドで待ってましょうね?」
胸に抱く幼子の雰囲気が一瞬にして変わってしまったことに気が付いたのだろう。マルレーネもすぐさま慈愛に満ちた温かな声でフォローに入ったが、すべては遅かった。
「ャ……! ヤ~……! ラフィ、おるすばんイヤなのです! ぐ~たんといっしょにいる……! おいてっちゃィヤなのですっ……」
彼女はそう叫ぶなり、大きくて愛らしい瞳にいっぱいの涙を浮かべてしまった。
必死になって、グレアムの首に両腕伸ばして抱き付こうと暴れ始める。
そしてついに、我慢できなくなったかのように大粒の涙をあふれさせ泣き出してしまった。恐怖に怯えきった、異常とも言えるような痛々しい表情を浮かべながら。
(参ったな……なんとなく、こうなるかもしれないとはある程度予想していたけど……まさかここまで嫌がるとはな……)
グレアムは、最愛の娘が泣きじゃくる姿を見て、胸が締め付けられる思いとなってしまった。
予想通りといえば確かにそのとおりなのだが、やはりまだ彼女にお留守番させるのは時期尚早だったということなのだろう。
おそらくこの分だと、出かける直前ではなく事前に言い聞かせようとしても説得は難しかったかもしれない。
(一縷の望みを託してのお留守番作戦だったけど、やっぱダメだったか。ラフィが納得して待っててくれることを期待していたんだけどな)
まだ三歳ということも理由の一つなのかもしれないが、これほどの怯えよう。
やはりまだ心の傷が癒えていなかったということなのだろう。
(しかも、あれだけ母親のように慕ってくれていたマルレーネですら、俺の代わりになれないとはな)
それだけ、彼女にとってはグレアムが一番身近で安心できる存在だったということなのかもしれない。
あの森の中で、心の底から誰かに助けて欲しいと思っていたときに自分を見つけてくれて、ずっと側にいてくれた人だから。そして、そんな彼が一緒にいてくれるだけで、無意識のうちに嫌なことすべてを忘れさせてくれたから。
だからこそ、幼心ながらにも、彼のことを過分に必要としていたのかもしれない。
今でも忘れられない、ひとりぼっちになってしまったときに感じていた恐怖や悲しみ、寂しさや喪失感といった負の感情すべてを打ち消してくれる、とても大きな存在だったから。
グレアムだけが、その役目を担える唯一無二の存在だったから。
(だけど、それってつまりアレだよな? 今のところ、俺以外に心の底から安心できる存在が誰もいないってことだよな?)
何しろ、彼の次に慣れているはずのマルレーネですら、代わりにはなれないのだから。
(……参ったな……。これ、詰んでるんじゃないか? 預けられる相手が誰もいないって。しかも、こんなに怯えているようじゃ、とてもじゃないが置いていくことなんかできないぞ?)
しかし、だからといって連れていくのもどうかと思われた。
一応ラフィには物理攻撃のみ無効化するペンダントを与えているし、セプテマイコスのときみたいに今回一緒に同行する予定のクリスに面倒を見させれば、特になんの心配もする必要はないのかもしれない。何か問題が発生したらすべてグレアムが対処すればいいし、クリスが防御に徹すればなんとかなるかもしれないから。しかし、何事にも絶対はない。もし半魔獣化した豚たちがおかしな魔法でも使ってこようものなら……。
そのときの光景を想像し、背筋が寒くなってぶるっと震えた。
(絶対に連れていけるはずがない……)
グレアムはかつて感じたことがないほどの苦しみに胸を苛まれながらも、ああでもないこうでもないと、ひたすら迷い続けた。
しかし、何も良策が思い浮かばない。
仕方なく、彼は一か八か、もう一度、説得を試みることにした。
「なぁ、ラフィ。ちょっとでいいんだ。俺の話を聞いてくれないかな?」
そう前置きしながら、顔色を窺う。幼子は相変わらず、泣き顔のまま首を左右にぶんぶん振ってイヤイヤをした。
おそらくダメだろうなぁと思いながらも、グレアムは説得を続けた。
「――ラフィ。ラフィはまだちっちゃいからわからないかもしれないけど、今から行くお仕事っていうのはね、本当に危険なんだよ。もしかしたら怪我をしてとっても痛い目に遭うかもしれない。俺はそんなラフィを見たくないんだ。とっても悲しくなる。だから、仕事から帰ってくるまでの間、マルレーネママと一緒に待っていて欲しいんだ。ずっと側にいてくれると思うから。絶対にひとりぼっちになんかさせないから。だから、な? ダメかな?」
優しく、だけれど笑顔は見せず、彼女の頭を撫でながらじっと見つめるグレアム。
しかし、ラフィは首を縦に振ることはなかった。
「……ィヤっ、イヤなのです! ラフィもいっしょにいく! いいこにしてるから、おいてかないでくださいなのです!」
そうして今度こそぎゅ~っと、グレアムの首にしがみつき、より一層わんわん泣き出してしまうのであった。




