79.不穏な気配
結局、マルレーネたち二人分の水着を作るという話はいったん保留となり、一同はグレアムの家の中へと入っていった。
その後、ラフィの身体と白猫マロの身体をしっかり拭いてやってから、幼子に服を着せてリビングの丸テーブルを囲んだ。
ちなみにクリスは魂の抜け殻みたいになってしまっており、部屋の隅で膝を抱えて小さくなっている。
「それで、結局お前らは何をしに来たんだ? まだ昼過ぎたばかりなのにここに来たってことは、何か用があったんだろう?」
グレアムは魔法で出した水を木製コップに入れて一気飲みした。
それを見ていたラフィも、どこからか小さなコップを持ってきて、グレアムの隣にぴったりと張り付いて座る。
そんな可愛らしい言動を見せる幼女に、グレアムは思わずニヤけてしまいそうになる自分にカツを入れてから、水を入れてあげた。
どっからどう見ても平和な親子。
マルレーネは微笑ましい二人の姿を眺めながら頷いた。
「えぇ。今度行われる豊穣の祝祭のことで、お話があったので足を運んだのです」
「そういえば、もうじき祭りが行われるんだったな」
豊穣の祝祭とは、秋に行われる豊穣の祈願祭と対となる夏祭りのことだ。
祈願祭の方は文字通り、翌年に実る農作物の豊作を祈るための秋祭りで、祝祭の方は豊作を土地神様に感謝しつつ、来年の豊作を願うためのお祭りである。
今年も無事豊作を迎えられたので、例年通り豊穣の祝祭として行われるが、不作の年だと土地神様の怒りを静めるという意味合いに取って代わられる。
そんなお祭りがライ麦を収穫したあとの、数日後に行われることになっていた。
「一年経つのもあっという間だな。ついこの間、祈願祭をやったばかりのような気がするのにな」
「そうですね。新年を祝うお祭りも終わったばかりのような気もしますし、本当に早いです」
「だな。しかし、その祝祭のことで話があるってことだが、何かまずいことでも起こっているのか?」
グレアム自身はまだこの村に来てから五年しか経っていないので、祭りの経験もそれほどない。
だからとは言わないが、村人総出で執り行われるライ麦の収穫には参加するものの、祭りのことで何か重要な役割を与えられるといったことはまったくなかった。
それなのにこうして出向いてくるということは、何か問題が発生したということなのだろう。
「グレアムさんのおっしゃるとおり、少し厄介な問題が起こっているんです」
「厄介? まさかとは思うが、シュラルミンツの領主が何か言ってきたのか?」
祭りに関して領主が口出ししてくるようなことは特にない。ただ、領主が定める方針に反した行為をすれば、当然、警告文が送られてくる。
「いえ、そういうことではないんです。グレアムさんもご存じのとおり、豊穣の祝祭は収穫祭でもありますし、一年で最も大事なお祭りに当たります。ですので、この日ばかりはと、肉や魚など、普段はあまり口にできないような贅沢品をたくさん用意しますよね?」
「あぁ。そうだな。リューン村から塩漬けされた川魚もいっぱい仕入れるし、東のナシュテット村からも、豚や羊を大量に買い付けてくるよな」
「えぇ。ですが、今回、その買い付けがうまくいっていないんですよ」
「どういうことだ?」
マルレーネが言うとおり、収穫祭は特別な行事だ。他の新年祭や祈願祭が粛々と行われるのに対して、収穫祭は租税対象となっているライ麦の豊作を祝う祭りである。
そして、今年も無事に税を納められそうだということで、村人たちが自分自身を労う意味も大きい。だからこそ、この日ばかりはと贅沢をするのだ。また次の年もがんばれるようにと。
それなのに、そのご褒美である肉類が手に入らないというのは大問題だった。
眉間に皺を寄せるグレアムに、マルレーネは困ったような表情を浮かべた。
「リューン村は問題ないと伺っているんです。発注した量の魚介類も、期日までに送って寄越すと連絡が入っていますので。ですが、火櫓用の材木や肉類を発注していたナシュテット村で問題が発生したらしいんです」
「問題?」
「はい。あちらから来た使いの人が言うには、材木と羊に関してはこちらが注文した数を滞りなく手配できているらしいのですが、問題は豚でして。なんでも、放牧林で養殖していた豚が半魔獣化してしまったそうなのです」
「は? 魔獣化だと……? どういうことだ?」
「それがよくわからないんですよ」
グレアムはマルレーネ同様困惑してしまった。
ナシュテット村は材木と畜産が主要産業と言われている村で、豚や羊、農耕利用のための牛などを多数養殖している。
しかし、牛が牛舎や放牧地、羊たちが広大な放牧地と畜舎で育てられるのに対して、豚はどんぐりが豊富な森の中で放牧されるのが一般的だ。
繁殖用の成体や子豚などは畜舎で大切に育てられるものの、餌代がバカにならないため、一定年数経ったら柵が施された森の中に放たれて放牧飼育されることになる。
そしてそんな豚が魔獣化したという。
通常はあり得ない話だった。
魔獣とは野生動物が長い歳月を経て、手がつられないくらいに凶悪な個体へと進化した者たちの総称なのだ。
それなのに、現状ただの養殖豚であるはずの個体が、半とはいえ、魔獣のように危険な生物へと変異することなどあり得ない。
「いったい、どういうことだ? そいつらは見た目も魔物のように醜悪な姿に変わってしまったということなのか?」
独り言のように呟くと、マルレーネが首を横に振った。
「いいえ。そうではないようです」
「というと?」
「私が聞いた話ですと、見た目もそのままで、ただ魔獣のように凶暴になっただけということらしいのです。特におかしな病にかかっているようにも見られないことから、おそらく肉の品質にも問題ないだろうと」
「なるほど。しかし、半魔獣化か。なんでそんな状態になってしまったんだ? それに、品質に問題ないという話だったが、本当に食っても大丈夫なのか?」
「その辺は私の方としてはなんとも。ですが、魔獣のように危険な状態になってしまったことだけは確かなようです」
「ふむ……」
豚はそもそも野生の猪を品種改良して生み出されたものだ。当然、元々が猪であるため、危険な生き物でもある。
ときどき興奮状態に陥った豚に襲われて、大怪我する者たちも普通にいる。
何しろ、豚といっても、生態も見た目も猪とそれほど大差ないからだ。養殖しやすいように飼い慣らしたことと、肉質をよくするために品種改良しただけ。
つまり、下顎から突き出るように伸びている牙が普通に生えており、そんな個体が突進してきたら牙が刺さって大怪我するのは当たり前。
そういった生き物が、放牧林で養殖されているのだ。
「ナシュテットから来た人の話によると、彼らも原因がまったくわからないと言っていました。しかも、半魔獣化した凶暴な個体を捕獲しようとしたため、村人が大勢、負傷してしまったとのことです」
「まさか。それで発注した品の調達にてこずってるってことなのか? 豚を捕獲しようにも魔獣みたいになっていて捕獲できず、更に村人が怪我したから、ここまで輸送することもままならないと」
「はい。一応、シュラルミンツの領主には報告のために何人か村人を派遣したらしいのですが、おそらく原因調査員などの応援を送って寄越すまでには、半月以上はかかるだろうと。村医者もいますが、手当てしたとしてもすぐには治らないと」
「なるほど。てことはつまり、どうしても祭りまでに調達したければ、俺たちが自分たちの手でナシュテットまで行って豚を取っ捕まえて、そのまま村まで引っ張ってくるしかないってことか? もしくはナシュテットより値段が高いシュラルミンツから」
飼育された家畜は税として一定数、シュラルミンツに治められるが、それ以外は基本、ナシュテット村で消費する他、シュラルミンツ含めた別の町や村に売って金に換えたりする。
当然、シュラルミンツに卸された家畜は仲介が入っているので、その分どうしても高くなってしまう。裕福ではないカラール村にとっては直接買い付ける以外に道はない。
「はい。そういうことになりますね」
静かに答えるマルレーネに、グレアムは溜息を吐いた。
「それで俺のところに来たってことか」
「えぇ。一応ギルドからの正式な依頼です。グレアムさんだけでなく、調達物資を運んでくるために狩人や冒険者の皆さん、それからクリスさん含めて合計十名ほどに応援要請を出し、馬車と一緒に手配してあります。グレアムさんが行ってくれれば、すぐ終わると思うんですよ。ですが……」
彼女はそこで浮かない顔となる。当然だ。先日、グレアムはしばらくの間、育児に専念するからギルド絡みの仕事は休業すると、そう話し合ったばかりなのだ。
もちろん、緊急時にはお願いしますという話もしていたし、今がそのときなのだろうから致し方ないのだが、
「ラフィ、か」
「……はい。正直、今回のお話を持ってくるのはよそうかとも思いましたが、事が事でしたので」
「だろうな」
よくわからない半魔獣化という案件。そして、豚の捕獲に慣れているはずのナシュテット村の者たちですら、手に負えずに大怪我してしまった。
そんなところに村人を派遣して、無事任務完了できるとは思えなかった。グレアムと違って、この村にいる冒険者や狩人はそこまでランクや能力が高いわけではないからだ。
「ただ倒すだけなら誰でもいけそうだが、生け捕りともなると話は別だからな。生きたまま運んでこないと祭り当日まで鮮度が保てず、傷んでしまうし」
「えぇ、そうですね。それに、グレアムさんは治癒魔法も使えます。魔獣を眠らせて運ぶだけでなく、怪我されたナシュテット村の人たちも治療することができますし、そうすれば、いろいろ融通してもらえると思うんですよ」
そう言って苦笑するマルレーネ。グレアムはその笑顔を見て、彼女がなぜ、自分にこの仕事を持ってきたのか、今更ながらに真の理由を理解するのだった。
(これ……相当、向こうの連中に吹っかけたな? さすが村長の娘だ。やることがエグい……)
運搬、捕獲、村人の治療と、すべてこちらで請け負えば相応の額を値切れるはずだ。
それがどのくらいの金額になるかわからないが、グレアムは改めて、村に来た使いの者たちに同情した。
(とはいえ、やはり一番の問題となってくるのはラフィだ。前回のセプテマイコスと違って、今回は何が起こるかわからないからな。意味不明な魔獣もどきが絡んでいるし。さすがに一緒に連れていくのはな……)
しかし、そうなると、残された選択肢は自ずと限られてくる。
(留守番……か。だが……)
グレアムは隣でマロと戯れているラフィを見つめた。
彼女とは保護してから一度も離れ離れになったことがない。果たしてちゃんとお留守番できるだろうか?
(既にもう、大分村に馴染んでくれているし、マルレーネのこともなんとなく母親代わりのように思ってくれている部分もあるから、あいつに任せておけば大丈夫なのかもしれないが)
相変わらず気になっているのは幼子の心の状態だ。お留守番を極度に嫌がっているし、何より、グレアムにいつもべったりな甘えん坊さんだ。
最近は多少姿が見えなくなっても平気になってきているが、長時間姿が見えず、離れ離れな状態が続いた場合、どんな反応を見せるか皆目見当もつかなかった。
「う~む……」
まるっきり答えが出ず、腕組みして唸っていると、マルレーネが溜息を吐いた。
「本当は私も、グレアムさんにお願いすべきではないとわかっているのですが、他に適任者がいないことも事実なんですよね」
「だろうな。それぐらいは俺でもわかる」
グレアムはそう応じたあと、少し間を置いてから、
「なぁ、マルレーネ。もしもの話だ。もしこの子をお前に任せるとして、今から根気よく言い含めておけば、当日、納得して待っててくれると思うか?」
「どうでしょうね……。もし今教えたことで、かえってずっと駄々をこねられてしまったらそれこそ厄介ですし」
「だよな……」
下手なことして心や体調まで壊されたら、豚捕獲どころの騒ぎではなくなってしまう。最悪、何日もつきっきりで看病しなければならなくなってしまう可能性すらある。それでは本末転倒なのだ。
しかし、だからといって、彼女を連れていくという選択肢はさすがに選びづらかった。
クリスにラフィを任せてグレアム一人で対処するという方法もなくはないが、万が一、彼一人の手に負えなかったら、ラフィの身が危険に晒されてしまうかもしれない。
そうなって欲しくはないのだ。
(困ったな……結局、出発直前に教えてマルレーネに預けてしまうしかないってことか? だが、それで駄々こねられたら結局は同じことだしな)
ああでもないこうでもないとさんざか頭を悩ませたが、やっぱり答えを出せないグレアムだった。
(あぁくそっ……やはり、無理してでも双方向カメラを作っとくべきだったか)
今更後悔してももう遅い。グレアムは軽く溜息を吐いたあと、
(仕方がない。一か八か。あとでマルレーネに頼んでおくか)
彼はそう、自分自身に言い聞かせるのであった。




