十二話
「ねぇ薫君。神様って信じる?」
宴も酣となった河川敷を後にし、家への帰路を歩いている途中。
それまで互いに固く口を閉ざしていたのだが、香菜さんが突如そう言葉を溢した。
辺りはお世辞にも多くとはいえない街頭がポツポツと道を照らしていたのだが、一度街灯の下から外れると、夜空に綺羅びやかに輝いている満月が淡く世界を照らしていた。
一体いきなりどうしたのだろうかと思って首を傾げていると、彼女がいきなり立ち止まってふと横に顔を向けた。
そんな彼女の視線に倣ってその方を向くと、そこにあるのは彼女と出会った、朽ち果てそうな神社。
何時の間にかこんな所まで帰ってきたのかと呆けていると、突如目の前の至近距離から香菜さんの「ねぇ」という声が聞こえ、思わず一歩後退ってしまう。
まるで気配がなかったかの様に。まるでそこに存在していないかの様に、何時の間にか目の前に立っていた彼女。
いや、"今にも存在が消えんばかりに薄く、淡く、透明になり始めた彼女"がそこに居た。
「どうしたんだ」と言葉を紡ごうとするも、その淡く風に吹かれる砂の様に儚くなり始めているその姿に、思わず声どころか息すらも止まりそうになる。
痛々しいとはまた違うが、その儚げな姿に僕の視線は徐々に地へと落ち、彼女の足元を彩る朱色の鼻緒へと向けられる。
だが彼女はそんな僕の心持ちを良しとしなかったのか、短く笑いを溢して僕の頬に触れ、その視線を自らの顔へと向けさせた。
その今にも崩れ去ってしまいそうな程に儚げな表情と共に紡ぎ出されたのは、「何て顔してるのよ」と言う、少しばかり呆れの含まれた寂しげなそれ。
僕の頬に触れた彼女の手が、夏真っ盛りだというのにひやりと冷たさを感じ、まるで雲に触れているかの様にふわりと、そこに存在しないかの如く"存在感を感じなくなっていた"。
その非現実的な感覚は長くは続かず。
彼女はスッと手を引き戻し、まるで誘うかの様に神社の中へと入ってゆく。
そして僕もまた、彼女に誘われる様に夜の廃れた神社の中へと入ってゆく。
鳥居からの外側から見える境内の中の様子はまるで漆黒そのもので、人の介入を拒んでいるかの様であり、大きく口を開けて待ち受けている魔物の様にも思える。
だが僕の体は己が意思とは別に、その深淵とも言えるであろう、漆黒の境内の中へと足を踏み入れてゆく。けれども不思議な事に怖いと言う感情はなく。逆に安堵感すら覚えてしまい、自分でもよく訳がわからなくなってしまう。
だがその様々な気持ちがごった混ぜになった感情は、鳥居を跨いだ事によって一気に消え失せてしまう。
目の前に広がるのは、土に還り始めている廃れたそれではなく、今しがた建てられたと言わんばかりの鮮やかな朱色の壁面に、汚れ一つ無い、見た事もない純白の瓦屋根。
そしてまるで揺り籠の様に空を覆って陽の光を遮っていた大木達はどういう事が背が低くなり、満月の淡い筈の光が眩いと感じる程に境内と神社を明るく照らし出していた。
その光景は正に"神域"という言葉がぴったりな程に荘厳で、昼間のあの廃れっぷりが嘘の様。……と言うよりも、昼間のあの惨状とも言える状態は何処へ行ったのだろうか。
「……どうしたの? そんな狐に化かされた表情して?」
その全盛期と言える神社の様相をぼうっと眺めていると、突如彼女がそうクスクスと笑いを含みながら僕へと振り返る。
ついで彼女は何やらボソリと呟いた気がするのだが、よく聞こえぬまま言葉は空に消えたので真相はわからず。
それよりも気になるのは、目の前に立っている、荘厳で居て新しい神社。
確かに足を踏み入れたのはあの寂れた鳥居で、間違ってもこの背後の入り口にある立派な鳥居ではない。
一体ここはどこなのだろうかと困惑しつつ辺りを見回していると、ふと香菜さんが僕の名前を口にした。すると少し離れた位置に立っていた筈の彼女が触れられる程に接近しており、何時の間にか近付いていた事に驚きつつも、その顔色が曇っている事に気付く。
「……どうしたんですか?」
この空間もそうだが、とにかく目の前の彼女の晴れない表情の理由について伺ってみる事にするのだが、どうも彼女は切なそうで悲しそうな笑みを浮かべるだけで何かを語る訳でもなく、そっと僕の頬に手を添え、親指で緩やかに撫でるだけ。
その瞳には涙が浮かび、ぼそりと「もうお別れだね」と何やら訳の分からない事を口にしたので、理解が追いつかない頭のまま困惑していると、まるで足元にポッカリと大きな穴が開いたかの様に足裏から地面の硬い感覚が消え、体が地面の中へと落ちてゆく。
だが落ちた体に衝撃が走る事なく。延々と体が落ち続ける感覚が体を支配していたのだが、そこでパッと目が覚め、いつもの部屋、いつものベッドで朝を迎えた事に混乱しつつ安堵する。
もぞもぞとベッドにて寝返りを打ちつつ枕元においてあるスマホの画面に光を灯すと、そこに映し出されるのは花火大会のあった八月十六日の翌日である"8/17"の文字が。
どうやらあの後しっかりと家へ帰ってこれた様なのだが、どうも返ってきた時の記憶がさっぱりと抜け落ち、それこそ狐に騙されたかの様な気分になる。
本日は少し気温が低めなのか、昨日の寝起きに比べて幾分かマシに感じる。
自身の部屋を出てリビングに行くと、そこにはテレビを眺めつつ食後のコーヒーを嗜んでいる母さんの姿があり、僕の気配に気づいたのか、こちらを振り向いて「おはよう」と、何でも無い様な反応か返ってきた。
「おはよ。……ねぇ、僕って昨日何時位に帰ってきたんだっけ?」
昨日の夜の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっている為、何時頃に帰宅したのかがわからず思わず尋ねてみるのだが、母さんは頭の上に疑問符を浮かべて「夜の八時位だけど……。どうしたの?」と突然の質問に困惑しつつも答えてくれる。
……いや、そんな表情されても昨日の記憶がすっぽりと抜け落ちてて、どうやって帰ってきたのかが全くわからねぇんだよ。……なんて母さんに言ったら、即病院に連行されて病棟にブチ込まれそうなので、口が裂けてもそんな事は言えない。
とまぁ、そんな母さんの反応からすると昨日の自分に特に変な所も無かった様なので一先ずは安心。
兎に角昨夜別れた香菜さんの事が気になってしまうのだが、生憎今日は部活があり、学校へと登校する日。
……まぁ、あの神社は学校への道すがらにあるので、昨夜の事が本当の事なのかを確かめながら学校へと行っても良いだろうと考える。
そこからはもう日常ルーティンそのもので、シャワーを浴びて汗を流し、朝食を食べて歯磨きをして学校指定の黒いジャージのズボンとシャツに着替えて家を出る。
靴を履いて外へと出た途端、少しばかり暑さが軽くなった、少しばかりぬるいと感じる風が体を掠めてゆく。
空は灰色に染まり、今にも雨が降りそうではあるのだが、天気予報としては曇り止まりだった気がするので、傘は不要だと思ってそのまま家を出た。




