別れと前進
移動島は大陸の沿岸に寄り添うように止まり、俺たちは移動島から降りた。すると、見覚えのあるものがそこにはあった。
「皆さん。選択の時が来ました。あそこに見える大きな白い扉は旅をリタイヤし、天使になる道を選ぶ人々のためのものです」
そうか、すっかり忘れていた。ドロップアウトする扉はまだ残っていたのか?
「あの、天使になってどうでしたか?」
メアリーが急に天使に食いかかるように声を上げた。俺と小島は驚いてしまい、口が開けっ放しになっている。
「それは、この扉に入れば分かることです」
天使はそれしか言わなかった。しかし、予想外なことを一つだけ言った。
「この旅に残された試練は後一つだけです」
その言葉に大勢の人間たちから笑みが生まれてきた。
「先輩、あと一つがんばれば天国へ行けます。それに悪魔はもう出ませんしね」
確かに。喜ばしいことなのだろうが、不安な気持ちをぬぐいさることはできなかった。
「しかし、最後の試練は今までよりもっとも難しいものでしょう。人の心が試されます」
その言葉を聞いた時、俺は記憶のトンネルでの出来事を思い出していた。
「時間を上げますので選択してください。我々のような天使になる道を選ぶか、天国へ向かうかを」
俺の答えは決まっていた。
天国へ行く。そして、この愚かな旅の真実を知りたい。その選択だけが俺を突き動かしていた。しかし、予想外なことを言ったものがいたのだ。
「私、天使になる」
「何!」
メアリーの発言は驚き以上のものを俺と小島に与えた。
「メアリー、どうして?」
誰よりも小島が動揺している。
「私は決めたのよ。使者を導く天使になるって」
「いっしょに前に進もうと言ったのはお前じゃないか!」
俺はつい興奮してしまい、大声を上げてしまった。
「そうよ。私は前に進みたい。でも、私一人が前に進んだって意味ないのよ」
「何を言っているのか分からないぞ!」
「私は大勢の死者たちを天国へ導きたいのよ。前に進ませたい。だから、私は天使になる!」
メアリーは頑固だ。いくら説得しても言うことを聞かないだろう。
「メアリー。いっしょに戦おうよ。もう少しで天国だ。僕はいやだよ。メアリーがいない旅なんて!」
これが小島の本音なのだろう。好きな女の子と別れてしまう苦しみは理解できる。
「私は多くの死者を助けたいの。悪魔にさせたくないし、殺したくもない。見てみぬ振りは私にはできないの。分かって」
「分からないよ。メアリー。今までうまくやってきたじゃないか!」
「ごめんね。小島。神路。二人に会えて本当に良かったし、今までで一番いい思い出になった。でも、私は自分の意思を曲げたくない女なの」
時間のある限り、メアリーを説得しようとしたが、俺はそれをやめた。時間の無駄だからだ。
「メアリー、分かったよ。お前の好きなようにすればいい。もう否定しないから」
「先輩、それでいいんですか?」
小島は俺に怒声を上げた。
「メアリーを説得しようとしても無駄だよ。それに彼女の選択は彼女だけのものだ。だから。説得なんてやめて残り少ない時間を三人で過ごそう」
俺は上空に天使が一人飛んでいるのを確認すると、二人の腕を掴み、海岸沿いへと向かった。
「どこいくのよ?」
「先輩?」
「最後の海を見るんだよ。移動島が邪魔だから場所を移動するだけだよ」
俺はたいした考えもなく、移動をしていると、海だけが見える絶好の場所を見つけることができた。
岩と砂浜だけがある絶好の場所だ。
俺たち三人はそこに座り、ただ海を眺めた。
それから、俺たちは沈黙を破ることなく、海の彼方をただ見ている。これが三人でできる最後の『旅』だ。
こんなにも穏やかで落ち着いた時間は久しぶりに感じていた。移動島も最初は興奮していたが、それは本当に一時的なものであった。
今は悪魔も現れなければ、魂の消滅もない。ただ、時が流れるだけだ。
俺は悲しみも憎しみもない。ただ心が和やかになってきている。メアリーの選択を俺は受け入れることができたのだ。もう止めやしない。
俺はふと、小島の顔を見た。すると、彼は泣いていたのだ。メアリーと離れるのが辛いのだろう。馬鹿にしたりはしない。この世界でも涙を流せることに俺は少し感動していた。
今度はメアリーの顔を見た。海を笑顔で見ている。彼女の決意は固いようであり、この時間がとても幸せのような笑みにあふれていた。
しかし、一定の幸せは決して長くはない。必ず変化が訪れる。人との別れ、新たな出会い。同じ幸せは永遠とは続かない。それはこの世界も同じだ。あの待機島でも人の心が堕落し、腐っていく。だから、あの島での待機を俺は否定した。
完璧な世界なんてない。変化を繰り返して初めて世界が成り立っていることを俺はこの旅で学んだことだ。
そして、時間がやってきた。
天使が上空から舞い降りてきて俺たちに時間を告げた。
「そろそろ行きましょう」
俺たちは立ち上がり、白い扉に向かった。その一歩一歩はメアリーとの別れのカウントダウンとなっている。しかし、もう変えることはできない。
そして、運命の時がやってきた。
「では、皆さん。天使になる方は扉の前に並んでください」
すると、大勢の人々が並び始めた。意外なことにその列の中には長宮さんの姿があった。俺は長宮さんに迫った。
「天使になるんですか?」
「ああ、もう限界だよ。それに天使になれば大勢の死者と出会うことができる。これも運命さ」
「分かりました」
この人の決意もまた固い。もう余計な説得は不要なのだ。
「あなたと出会えて良かったです」
「私もだよ」
そして、互いに握手をし、その場で別れた。
俺は再び二人の前に戻ってきた。
一方扉は開き、天使への道が開かれた。そして、一人ずつ光の中へと消えていく。
「皆、今までありがとう」
メアリーからの別れの言葉だ。
「感謝するのは俺のほうだよ。お前がいたからここまでやってこれた」
「私がいなくても神路はやってこられたわよ」
「そうかい? そういわれると頭に乗るぞ」
俺は笑みになったが、小島の方はそういうわけにはいかなかった。
「小島、最後の言葉だ。何か言えよ!」
小島は下を向きながら必死で考えている。しかし、何を言っていいのか分からないようであった。すると、メアリーが小島に近づき、ぎゅっと抱きしめたのである。その行動に俺は一瞬驚いたが、すぐに慣れた。
「ごめんね。小島。いっしょに天国に行けない私を許して」
「いいんだよ。天使になったら多くの死者たちを導いて」
「神路といっしょに天国に行って。そして、答えを知って」
小島とメアリーは互いに強く抱きしめている。相思相愛なのかは分からないが、少なくとも強い絆は感じる。俺はその光景を見続けるしかないのだ。
そして、時間が来た。
「そろそろ行くね」
そう言うと、メアリーは小島から体を放し、白い扉に向かった。そして、扉の光の中へ入っていった。
「じゃあね。絶対天国に行ってよね!」
それがメアリーの最後の言葉になった。
メアリーが光の中に消え、小島は腰を下ろしながら、ショックを受けている。その気持ちは十分すぎるほど理解できる。しかし、俺はメアリーの選択を受け入れている。
そして、白い扉は閉まり、天使になる選択肢は消え去った。
「では、旅を続けましょう。もう少しで天国へ行けますから」
そして、数は数十人になってしまった旅のメンバーは歩き始めた。しかし、小島は立ち上がれずにいた。
「小島、行こう。メアリーが言っていただろ。天国へ行ってくれって。その言葉を守るんだよ。そうしないと、天使になったメアリーにしかかれちまう」
「先輩、悲しいです。とても・・・」
小島の言葉には今までにない重みがあった。
「俺だって悲しいさ。けど、メアリーはあえて天使になったんだ」
「どういう意味ですか?」
「あいつは他者を見捨てられないおせっかいな性格だ。もし、天国に行ってしまったら、後に現れるであろう多くの死者を導くことができない。今の天使たちは誘導はするが、俺たちを助けてはくれない。メアリーはそれが許せなかったんだよ」
「じゃあ、メアリーは死者たちのために天使になったんですか?」
「ああ、そうだ。あいつはそういうやさしいやつなんだよ。自分を犠牲にできるアメリカ人。だから、俺たちには天国へ行けと行ったんだ。いっしょに天使になろうとは言わなかっただろ。悲しいのは分かる。俺だってそうだ。でも、人を導くのがあいつなんだ。それを受け入れてやろう」
俺は小島の体を無理やり立たせた。
「あと少しで天国だ。メアリーとの約束を守るんだ!」
「分かりました・・・・」
その言葉にはどこか力がなかったが、一応やる気は出してくれたようであった。
そして、俺たちは再び歩き出した。多くの思いを抱えながら・・・・
しばらく、岩ばかりの道を進んでいると大きな崖にぶつかった。すると、その崖には大きなトロッコが用意されていた。このトロッコに乗りながら崖から崖に渡るようになっているらしい。その光景は以前のつり橋に似ていたが、悪魔が現れないので俺と小島、そして残りの死者たちは安心して灰色のトロッコに乗ることになった。
トロッコの中には電車のような座席が用意されており、俺と小島は隣同士に座り、トロッコは走り出した。周りは谷底なので恐怖心はあったが、それ以上にこの景色がきれいで見とれている俺がいた。しかし、小島の方はメアリーのことを引きずっており、落ち込んでいる。話しかけずらかったので、俺は谷底を眺め続けた。
もし、ここにメアリーがいれば楽しい旅になっただろうに・・・・
そのように考えると、再び悲しみがこみ上げてくる。しかし、もうどうすることもできないのだ。メアリーとの約束を果たす。それが俺と小島にできることだ。
移動島で感じた風がこのトロッコからも感じる。このトロッコもまた自動運転であり、天使たちは翼で移動している。
空はあいかわらず輝いていて、俺たちを見下ろしている。
今までの試練さえなければどれだけ楽しい旅であっただろうか。一体何のために試練はある。この世界の目的とは一体何なのだ?
そんな、答えの出ないことを悶々と考えながら、トロッコは進んでいく。そして、トロッコのレールが終わると、俺たちは再び陸地へと上がっていく。
すると、最後の試練と呼ぶにふさわしい場所がそこにはあった。
小さなプレハブのような建物があり、道をふさいでいる。
「これが最後の試練となります。ここを超えれば天国へ行けます」
そして、天使の一人がプレハブの扉を開けた。
「さあ、中へお入りください」
そして、一人ずつ中へと入っていった。その中にどのような試練が待ち受けているのか? 俺たちには皆目検討がつかなかった。
順番を待っている中で俺は自身の恐怖と戦っている。今までで一番難しいという意味が未だに理解できていない。その答えはこの建物の中にある。
そして、俺の番が回ってきた。
「先輩・・・」
「大丈夫。ここを乗り越えて見せるさ」
そして、俺は扉の中へと足を踏み入れた。




