―第0️⃣1️⃣1️⃣話― 【つわり奮闘記】深夜2時まで鍋を振り、千疋屋で7000円のスイカを買った結果。
わが家には二人の子どもがいます。
高校1年生の長男と、中学2年生の長女。
今でも息子に軽くハグをして、それを受け入れてもらえるくらいには、
良好な親子関係を築けている自負があります。
子どもたちの顔を見るたび、ふと思い出すのは、
妻と駆け抜けたあの「共同戦線」の日々です。
今回は、長男を授かった時のお話をさせてください。
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長男の命が宿ったとわかったのは、7月頃のことでした。
不妊治療を経て、ようやく授かった待望の命。
喜びと同時に、言いようのない不安が入り混じったのを覚えています。
当時、私たちは東京に住んでいました。
妻の両親はすでに他界し、私の両親は遠方。頼れる身内が近くにいない中、
私たちは文字通り二人三脚で出産に備えるしかありませんでした。
しかし、状況は過酷でした。
当時の私は、地方から「仕事ができる期待の星(自称)」として本社に呼ばれた身。
連日、朝7時半に出勤し、帰宅は夜10時を過ぎるのが当たり前。
そんな中、妻を襲ったのが、想像を絶する「重いつわり」でした。
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日中、一人で苦しむ妻のために、
帰宅後の私には重要なミッションが課せられました。
それは、「明日、妻が食べられるもの」を作り置きすること。
当時の妻は、しいたけとピーマン、そして牛と豚のひき肉なら
食べることが出来ると言っていました。
なので……
「しいたけなら食べられそう」と言われれば、しいたけ料理。
ピーマンが食べたい」となれば、ピーマン料理。
朝・昼・晩と三食同じ素材を食べる妻を飽きさせないよう、
私は深夜10時から鍋を振り、違うメニューを考案し続けました。
気づけば時計は深夜2時。
明朝の出勤を控え、意識が朦朧としながらも、
「妻と子のために」とフライパンを握りしめる日々。
今振り返れば、あれこそが私なりの愛情表現だったのだと思います。
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つわりも終盤に差し掛かった10月か11月頃。
妻がぽつりと、こう言いました。
「……スイカが食べたい」
季節は晩秋。スイカの名産地・熊本ならまだしも、ここは東京。
そこら辺のスーパーに並んでいるはずもありません。
ですが、私は行きましたよ。新宿の千疋屋へ。
記憶を辿れば、小玉丸まる一個で7,000円ほど。
当時の私にとってはかなりの出費でしたが、妻の願いを叶えるため、
清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入しました。
しかし……結末は残酷でした。
期待に胸を膨らませて差し出したスイカ。
一口食べた妻の感想は、 「……なんか、想像してた味と違う」
結局、その高級スイカのほとんどは、
深夜2時まで作業を終えた私の「夜食(栄養補給)」へと姿を変えました。
私の血肉となった7,000円の味……。
あの時の、なんとも言えない切なさとスイカの淡い甘みは、今でも忘れられません。
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あの頃の自分に、声をかけてあげたいです。
「よく頑張ったな、お前の2時までの残業代は、
最高に高価で水っぽかったぞ!」と(笑)。
今、元気に育っている息子の姿は、あの深夜2時の鉄鍋の音と、
千疋屋のスイカから始まっているのかもしれませんね。




