8(296).仄暗い闇の奥から
静かな地底湖の周りには似つかわしくない花畑があった。
地底では珍しく差し込んだ月明かりが、先攻する兵士達の緊張を和らげる。
しかし、深い闇はその隙を見逃さない。
その場に残った物は、鋭利な傷口が残る肉塊のみ。
深い闇の奥からは、バリバリと嫌な音だけが響く。
僕の居る本体に届いた情報は、先攻動隊の連絡が途絶えた事だけだ。
部隊を率いる者たちは、集まり会議が始まる。
しかし、結果が変わることは無い。
僕達は止まる訳にはいかなかった。
消息が途絶えた階層へ立ち入り、最奥へ続く道を探す。
今まで通り変わらぬ風景は、不自然に開けた。
そこは、違和感しかない花畑が広がる地底湖。
錆鉄の臭いが立ち込める空間に、気色の悪い模様の蝶が舞う。
月はまだ低い位置で輝き、角度が浅く足元までは照らさない。
進む度に感じられる、どこか嫌な感触の靴底。
何かを踏みつぶす音は、乾いている様でいて少し湿っていた。
視線の先の花畑には、まだ錆びついていない武具の残骸。
そして湖には嫌な魔力の塊。
ルーファスは、眉を顰めファルネーゼに声を投げる。
「おい、ファルネーゼ・・・あれか?」
「どうかしらね・・・可能性はあるかもしれない。」
「でも、何が潜んでいるのかわからないわ・・・・」
ファルネーゼは、声を上げ周囲に注意を促す。
「皆、気を付けて!」
水中の魔力は次第に大きくなり、水面にを持ち上げその存在を現す。
その姿に反応するファルネーゼ。
「来るわ! 防御陣形!!」
集団は、凛とした女性の指揮の元、形状を変える。
地底湖から水を引き、全貌を表す巨大な爬虫類。
地面をうねる体は、蛇特有の波うちを見せる。
鎌首を持ち上げるソレには複数の眼光。
リーファは、盾を構える兵士達へ声を飛ばす。
「下がりなさい!」
「機動力の無い者は、後方で術士の支援よ!」
そして、視線をファルネーゼに。
声量の変化は無いが、何処か自信が感じられない。
「ファルネーゼ、ヒュドラよ。」
「無理に押し込んだらダメ!」
「毒だったわよね・・・」
ファルネーゼは、視線をヒュドラから外し後方へ。
そこには、視線に気づき陽気に手を振る優男の姿。
ため息交じりのファルネーゼは彼を呼ぶ。
「ハァ・・・レマリオ、ちょっといい?」
「何だい、ファルちゃん。」
「あんた風魔法の心得あったわよね?」
「あぁ・・・ここでも問題ないかな。」
「余裕ではないけどね。」
彼の返答に、視線をレマリオからリーファへ。
ファルネーゼは、彼女と彼女の部隊を見渡す。
「ねぇ、リーファ。アンタん所で風使いってどのくらいいるの?」
「部隊の4分の1が使えると助かるんだけど・・・どうかな?」
天井を見つめつつ、風の防壁を完成させるリーファと数名の彼女の部下達。
「そうね・・・その半分がいいとこかな。」
「問題は、息と毒液だよね・・・岩漿で塞ごうよ。」
「後は土系で拘束でもすれば、接近戦で首狙えるんじゃないかな。」
「任せられる?」
ファルネーゼの視線に腕を組み頬杖を突き悩むリーファ。
彼女は、また天井を見つめ返答する。
「口塞ぐまでは行けるけど・・・人員が足りないね。」
「風の余裕が無いかも・・・」
悩むリーファに声を掛けたのは、レマリオでもファルネーゼでもない。
低い声は、彼女達の頭上から飛んだ。
「儂に任せろ。」
「抑え込めば良いのだろ?」
巨大な影は表情を崩す。
それはゴリアスだ。
彼は、利き手に持つ巨大な盾を軽く叩く。
「王の盾・・・世界の為に使ってくれ。」
彼の言葉に頷くリーファ。
彼女は、視線をファルネーゼに戻す。
そして、強く頷いた。
ファルネーゼは、集まる部隊長達に視線を流す。
「じゃぁ行きますか・・・蛇狩りよ!」
「法術隊、風で牽制しつつ頭を岩漿で攻撃!!」
「戦士は、攻勢をかけられるまでは法術隊の援護!」
洞窟内に響く凛とした女性の声。
その振動に呼応する様に大蛇の威嚇音。
響き渡る振動は、若兵の心を握りつぶす。
幾名かの兵士は、その振動でその身を委縮。
萎縮した者を見のがす程、魔窟の深層は甘くない。
数本の蛇首は消え、次の瞬間集団の中に現れる。
そこには、上半身を失った兵士の肉塊が転がった。
男女の悲鳴が洞窟内に響きわたる。
しかし、それを掻き消す様にルーファスの声が響いた。
「怯むな! 陣形を整えろ!」
「手順を違えるんじゃねぇぞ!!」
集団は、ヒュドラから距離を取り魔法が飛び交う。
風は大蛇を包み、その進行を阻む。
幾つかの魔力は岩漿に変り蛇頭を狙うが、それは叶わない。
唇を噛むファルネーゼにレマリオは提案する。
「ファルちゃん。 俺にヤツの拘束を任せてくれないか。」
「そうすれば、リーちゃんは土に専念できるよね。」
「だからじゃないけど、残った水使いの魔力・・俺に回してくれないか?」
ファルネーゼは、眉を顰めレマリオに視線を向ける。
そして、睨むように声を返した。
「本当にそれで抑え込めるのね?」
レマリオはファルネーゼ越しに映るヒュドラを睨む。
そして、彼女の肩を強く叩き、声だけ残しヒュドラへと向かう。
「大丈夫だ、問題ない。」
レマリオは、弓を番える。
そして古代語と共に光を矢に乗せた。
「少しは、いいとこ見せないとね。」
「リーファ、水使いを貸して。」
「レマリオに魔力譲渡をお願い!」
レマリオは走り、ヒュドラの虚へと飛び込む。
その姿を横目にファルネーゼの指示。
声に反応したリーファは、ぼやきつつも部下へと指示を飛ばす。
「動くの早いよ・・・もぉ!」
「水使いは、チャラエルフに魔力譲渡!!」
「対象の動きが鈍ったら、岩漿使えるのはいくよ!」
「「「はっ!」」」
空中で輝きを増すレマリオは、その輝きを矢に込める。
ヒュドラは、その魔力の高まりに反応し、レマリオに襲い掛かる。
しかし、そこには何もない。
次の瞬間、レマリオはヒュドラの後方から現れた。
「射貫け!」
放たれた矢は3本。
1本は体を捉え岩壁に捕らえる。
残る2本は、其々頭を捉え、胴体よろしく岩壁へ。
次の瞬間、洞窟内に突風が吹き荒れる。
それは、岩壁に張り付けられた魔獣を圧し潰す。
「今よ、撃て!!」
リーファの号令に続き岩漿がヒュドラの頭を襲う。
それは、ヒュドラの頭を包み込み、幾つかは岩壁と同化させた。
次の瞬間、兵士の波がヒュドラを抑え込みに掛かる。
暴れ狂う首を掻い潜り、懐に入り込むゴリアスの率いる部隊。
押し込まれる巨大な盾は、強引にヒュドラを押さえつけた。
それでも、巨蛇は蠢く。
しかし、五月雨の様に続く攻撃には関係ない。
押さえつけられた首を、ルーファス率いる部隊と共に僕は狩り取っていく。
飛散するヒュドラの血液は洞窟内を溶かす。
残る首も1本となった時、事は起こった。
その姿にリーファは叫ぶ。
「退避よ! 下がりなさい!!」
失われた首は、ボコボコと泡立つように膨れ、新たな首が再生する。
それは、1つの首が2つへと増え、元の倍ほどの量へと変わった。
既に拘束の解けたヒュドラは、此方を睨みつつ距離を詰める。
状況は良くはない。
後方の法術隊の魔力など、3割近くの者が底をつく程だ。
嫌な威嚇音が、兵士達の心を蝕んていた。




