7(295).虚勢と肯定
男の表情が絶望から笑みへと変わる。
それは、同一人物の様で別人にしか見えない表情だ。
リーファの声は洞窟内に響き渡るも、直感的に動く事は間違いを引き寄せる。
呀慶は、呪言を唱えるも目の前の魔人は表情を変える事がない。
その姿は、むしろ枷が外れた様にも見えた。
その光景に眉を顰める藻は、後方へ退避しつつ呀慶へ声を掛ける。
「呀慶様、その呪言は、逆効果でありんすぇ。」
彼女の言葉に白狼は、詠唱を止め、魔人から距離をとる。
そして、僕にエリクの情報を訪ねた。
「ルシアよ、あ奴はどんな術士だ?」
「・・・魔力量は、ヒューマンでは高いと思う。」
「確か・・・エリクさんは氷の適性がある術士だよ。」
呀慶は、僕の言葉に表情を曇らせ顎に手を当てた。
そして、リーファへ質問を投げる。
「ヒューマンの女、ドッペルゲンガーを引き剥がす方法は?」
「ごめん・・・私の知識には無いわ。」
「王国にある大魔導士ヴァン著の本には、ここまでしか情報がないの・・・」
「大魔導士ヴァンか・・・」
「藻よ、何か似た事案を聞いた事は無いか?」
呀慶は魔人から視線を逸らす事なく、後方の藻へ声を投げる。
それは、一瞬の間をおいて返った。
「うーん、顔無しや影法師が近いかもしれんせん。」
「影法師と同種なら、魔法以外は無駄でありんすぇ。」
「そもそも斬り飛ばしたら、その男の命はありんせん 。」
「その事は忘りんせん様にしてくんなまし。」
言葉を終えると、藻は式を飛ばし魔人を囲む。
それは、五芒星を描く様に取り囲み結界を作り出す。
封じられた魔人は、エリクの声を使い僕達を挑発した。
『「私を消滅させない限り、後ろの扉は開かない。」』
『「クックックッ、考える時間など腐る程くれてやる。」』
嫌な不協和音は、笑みを浮かべる姿と相まって、一行にストレスを与えた。
そこには、いつものエリクの表情や口調はない。
その姿に握った手を紅くにじませるエリクの舎弟とリーファ。
舎弟の一人デュオは、僕の元へと駆け寄り縋る様に懇願。
その表情は、鬼気迫る物があった。
「ルシア兄さん、エリクさんを助けてください。」
「あれでも、俺達にとっちゃ大事な兄貴なんです。」
「少し無茶もいいますが・・俺達には、スゲェ優しくて頼もしい兄貴なんです。」
「デュオ・・わかってるよ、エリクさんの事。」
「あんなに魔力量も増えてたんだ、頑張ってない訳ないよ。」
「・・・でも、どう対処していいか分からないんだ。」
「ルシア兄さん・・・」
僕は、目の前で崩れ落ちるデュオから視線を外す。
そして、エリクに向けて魔力探知を行った。
そこには、巨大な魔力が一つある様に見えるが、その実2つ存在する。
一つはエリクの魔力、そしてそれを覆う様にもう一つの魔力があった。
覆う魔力は、少しずつだがエリクの魔力を蝕んでいる様にも見える。
僕は、リーファの言葉を想い出す。
それは、"対象を喰らう" と言われる内容だ。
目の前の結界では、瞼や口の端を痙攣させながら笑うエリク。
そこには、狂気の中に悲痛にも似た想いが溢れている様に思えた。
僕は、3人の術士に声を掛け相談。
二人は、一瞬表情を曇らせるが了承。
残るリーファは、眉を顰め意を返した。
「ルシアだったわよね。確かライザのお気に入りくんだったかしら。」
「で、そんな夢みたいなことが貴方にできるの?」
「少なくとも私には無理・・・そんな技術無いわ。」
「そもそも、下手をしたらアイツも消失しかねないのよ。」
「かもしれない・・・」
「でも、このままじゃエリクさんがエリクさんじゃなくなっちゃうよ。」
「僕は、成り果てた魔人を斬るぐらいなら、今も抵抗してるエリクさんに加勢したい。」
僕の表情を見つめるリーファは、ため息と共に表情を緩める。
そして、眉を顰め口調を強めた。
「わかったわ・・・」
「で、私はどうしたらいい?」
僕は、3人に補助を頼み結界の中へ。
驍宗は、そこに不要と考え後方の警戒へと移る。
それに習う様にファルネーゼやレマリオ達も移動。
残る者は、救急の知識のある者とエリクの舎弟だ。
僕は、舞姫を手に持たず構えだけ取る。
正面の魔人は、笑みを浮かべ氷刃で薙ぎ払う。
それは、ヒューマンにしては過大な火力だ。
しかし、鬼の盾と相性は最悪だろう。
飛び交う氷刃は、術式を分解され魔力へと還元、そして吸収された。
目の前の魔人は、尚も氷刃を繰り返すが効果などない。
徐々に小さくなっていく魔人の魔力。
しかし、笑みは強く歪んでいく。
『「小娘、私が魔法を放てば、この体の魔力は減る。」』
『「魔力が無くなれば、この者は私の器になり下がるだけだ。」』
『「クックックッ、この者を見棄てる決断が付いたのか?」』
「・・・兄さん・・やってくれ・・・俺、兄貴にやられるなら悔いはねぇよ。」
「エリクさん・・・」
そこには、強い意識で魔人と戦う漢の姿がある。
それは、信頼する者への想いを孕んでいた。
「『エリクさんじゃねぇっすよ。エリクって、最後ぐらい呼んで下さいよ。』」
「・・ごめんな、エリク。 僕は君を認めているよ。・・・で」
エリクは僕の言葉を遮る様に引きつりながら優しい笑みを漏らす。
「『兄さん、ありがとう・・・アイツらをお願いします・・・』」
『「クックックッ、フハハハハッ、理解できぬ感情よ。」』
繰り返される呪文は、エリクの魔力を小さくしていく。
その結果、僕はより大きく感じられる魔人の魔力を捉える事が出来た。
僕は、体勢を落とし走り出す。
それは、棒立ちの魔人が構える前に辿り着く。
僕の手は、エリクの腹に触れた。
「皆、エリクに魔力を!!」
僕の後方からは、エリクへと魔力が流れ込む。
その状況に笑みを漏らす魔人。
しかし、僕の魔力は魔人の魔力だけを発散させた。
表情は悲痛へと変わり逃走を図るが、ゴリアスが飛び掛かり魔人を押さえつける。
その瞬間、ゴリアスへ移ろうとする魔人。
しかし、魔人の魔力には僕の魔力が絡みついている。
それは、アリシアの"釣り"で鍛えた技術だ。
地面にめり込んだ魔人はもがく。
しかし、ゴリアスとエリクでは力の次元が違う。
徐々にエリクに戻る表情。
それでも暴れる魔人に僕とゴリアスは砂煙に包まれた。
悲痛な叫びと共に、僕の魔力は8割近く持っていかれる。
砂煙が消え僕達の元へ駆けよるウヌスとデュオ。
遅れてルーファスが駆け寄り、苦笑いで声を掛けた。
「おい、ゴリアス・・・もう十分だ、そいつ死んじまうぞ。」
「念には念を入れなければな。」
「・・・もう、過ちは起こしたくないのだ。」
「あぁ、わかっているよ。」
「・・・誰もお前を責めちゃいねえ。」
二人をよそ目に駆け寄るウヌスとデュオ。
「兄貴・・・無事でよかったっす。」
「へへっ、生き残っちまったな・・・」
「・・・あの・・・ルシアの兄さん・・助かるって知ってましたよね?」
エリクの悲し気な視線が僕を襲う。
僕は視線をそらし、何食わぬ顔で離脱をこころみた。
しかし、僕らを取り囲む壁はそれを拒んだ。
僕は諦め、エリクのばつの悪い表情に苦笑いを返す。
「・・・話そうとしたんだよ。」
「でも、エリクが遮ったんだ・・・無理だよね。」
「・・・ハァ・・俺、スゲェカッコ悪いじゃないっすか。」
「って、エリクって呼んでくれるんすね・・兄さん!」
僕は、エリクに両手を掴まれ彼の涙を見せつけられた。
これは、生き残れたからだけではないのだろう。
僕は、半年も一緒にいた訳ではないのだが、ここまで信頼されているとは思っていなかった。
改めて彼に頭を下げる。
「エリク、ごめん。」
「流れとはいえ、やっぱり嫌だったんだね。」
「そんな、兄さんに気を遣われる方が困りますよ。」
「・・兄さんなら、エリクでもエリクさんでもかまいません。」
僕はむず痒い感情に耐え兼ね、エリックの真似をする。
「構うんじゃねえよ、構うんだよ?」
「「フフッ、ハハハハッ。」」
僕とエリクの周りには、親しい者達の優しい笑いで溢れている。
その姿に、リーファが申し訳なさげな表情で声を掛た。
「魔法使いのお兄さん、ごめんなさい。」
「私の注意が足りなくて・・・」
「いえ、リーファ様は、あれでよかったんですよ。」
「他の・・もし・・兄さんがもし敵に回ってたら全滅ですよ。」
「あれが正解なんす・・・」
「ほら、俺だって生きてるし、誰も傷ついてませんぜ。」
エリクの言葉に、ようやく笑みを取り戻すリーファ。
その情緒は、山の天気の様に変化が速い。
「そうよね。正解よね。」
「フフッ、まぁアンタも少しは頑張ったし。」
「そもそも、大魔導士ヴァンて奴がいけないのよ。」
「もう、私が執筆した方が良いくらいね。」
「全くですぜ。」
絶望は去り、一行に明るい空気が戻る。
既に魔人の歪んだ魔力は消え、目の前の扉は簡単に道を開いた。




