32(283).絶望の淵
天が荒れ大地が引き裂かれた終末の様な日から10日程が過ぎた。
ファルナウム島南部の海岸に一人の女性が打ち上げられる。
そこには、心配そうに意識を確かめる海女と野次馬達の姿。
海女たちに呼ばれた法王庁の女司祭が息を切らせ野次馬を掻き分ける。
「はいはい、道を開けてくださ~い。ハァ・・疲れた。」
「司祭様、疲れてちゃダメですよ。」
「これからが本番ですから。」
海女は眉を潜め、何処か気の抜けた司祭を睨め付ける。
しかし彼女は手で顔を仰ぎ、視線に意を返すことは無い。
司祭は息を正し、打ち上げられた女性を覗き込む。
「あら、枢機卿に似ているわね。」
「フフッ、カワイイッ♡」
「こら、真面目にやってください。エイルニルス様!」
「なぁにぃ~、嫉妬かしらぁ~。」
「フフッ、貴方も可愛いわよ・・・今夜ね。」
「もぉ!! エイルニルス様。しっかりやってください!!」
赤面しながらも、女司祭の意地悪な表情を睨み返す海女。
その姿に笑顔を見せるエイルニルスは、腕を組み頬杖を突く。
そして、視線を空へ向け呟く。
「・・・アルカディアって落ちたわよね。」
「まぁ、いっか・・・どうせ、ジジイ共の小言は何やっても付いて来るし。」
そして考えをまとめた女司祭は、ひょいッと横たわる女性を肩に担ぐ。
その姿は違和感がなく、周囲の漁師は息を飲む。
その中に数人の漁師は、意志せず言葉を漏らす。
「さすがに、エイルニルス様は全部が凄ぇな。」
「確かにでけぇ・・いや、凄ぇ・・・」
そのあっけに取られた馬鹿面に、ため息を落とす海女たち。
彼女達に笑顔を向け声を掛けるエイルニルス。
「じゃぁ、この娘は私が引き取るわね。」
「あっ、そうだ馬車出してもらえない?」
「さすがに登山は怠いわ・・・ねっ。」
エイルニルスは、法王庁へ戻り彼女をベットに寝かせた。
意識は戻らぬも、息のある女性に笑みを浮かべ彼女は日々の勤めに戻る。
そして、勤めをさぼり枢機卿の部屋を訪れノックもせず入る。
「お~い、ピエトロ。」
「居るかぁ~・・・って居るじゃねえか。」
「返事くらいしろよ。」
笑顔で睨むエイルニルスに、背を向け書類をしたためるピエトロ。
その背に掛けられた声に彼は冷静に嫌味を返す。
「師匠、僕は仕事中です。」
「貴方も仕事してください。」
「・・・そんなだから、降格させられるんですよ。」
「あと、ノックをしてくれと何度言えばわかりますか?」
エイルニルスは、眉を顰めるも相変わらす悪戯な笑顔を浮かべる。
そして、彼の頭を後から雑に撫でまわし抱き着く。
「いつから、そんな偉くなったんだ?」
「師匠と言うなら、それ相応に扱えよぉ~。」
「僕は偉いですよ、枢機卿ですからね。」
「それと、離してください邪魔です。」
「あと、師匠の音は煩いです。」
「フフッ・・・私が泣いてしまうぞ?」
ピエトロは、ため息をつき彼女を見据える。
その姿に、口元を緩めるエイルニルスはどこか満足そうだ。
「勝手に泣けばいいでしょ。で何の用件ですか?」
エイルニルスはピエトロの頭をポンポンと叩き、今朝の出来事を伝えた。
その内容にピエトロは、ため息をつき椅子の背に体を預け天を仰ぐ。
そして、視線を合わせること無く、打ち上げられた女性の状態を確認する。
「相変わらず、度し難い。」
「で・・・その・・娘は無事なのですか?」
「まぁ、意識は無いが生きてはいる。」
「ただ、お前とは違った方向で力を得た様だな。」
「お前らエルフは碌なことを考えない・・・そこまでして欲しいものか?」
ため息交じりに言葉を返すエイルニルスに、ピエトロもまたため息で返す。
その姿は、見た目のわりに達観しているように映った。
「あの男は、そんなもんでしょう。」
「自分の子に王位を譲る気すらないんですからね。」
「アイツが死んで清々しましたよ・・・」
「しかし、何故・・・力なんて・・・苦しむだけだ。」
「自我だって・・・」
「得た者の言葉は重いな。」
「まぁ、話はそれだけだ・・・根詰めるとジジイ共みたいに禿げるぞ青年。」
「ゴミが出ない事はいいが、失うと寂しいものだぞ・・・知らんけど。」
エイルニルスは、言葉を残し枢機卿の部屋を後にする。
残されたピエトロは、背を椅子に預け天井を見つめた。
そして、静かに呟いた。
「どうするものか・・・」
「嫌な音だよ、まったく・・・・」
廊下から聞こえる足音は、徐々に小さくなり無くなる。
ピエトロは、月を見つめため息を風に乗せた。
法王庁の一室では、痩せ細った女性が静かに寝息を立てる。
それから数日後、彼女の意識は戻るも、その姿は生きる屍。
しかし、その口からは静かな囁きが漏れ、時折涙を流す事があった。
世界では、アルカディアは過去の国となり、そこにヒューマンの国が建つ。
そして、栄華を誇った黒エルフもまた希少な存在へと変っていった。




