36(251).蓬莱に残して
あの悪夢から数日経った。
僕は、穣都の医療機関の一室で、少し冷たい手を握る。
変わらない彼女の寝顔は、そこからいつもの声が聞こえそうな程だ。
それでも、アリシアは目を覚まさない。
医師からは、体の回復は問題ないと話があった。
しかし、意識の回復は彼女次第だという。
僕は情けなくも、彼女の手を握るくらいしかできなかった。
そこに1つの足音が近づき、僕に呼びかける。
「ルシアさん、帝がお待ちでありんす。」
「お気持ちは、お察しいたしんす・・・」
「しかし、今は帝のお話を・・・」
僕は、ため息と共に腰を上げる。
そして、二人に声を掛ける。
「ラスティ、アリシアをお願いね。」
「アリシア、行ってくるよ・・・」
「ウチ、看てるよ。」
「安心して、ルシア。」
僕は、ラスティに笑顔を返すこともできず部屋を出た。
そして、藻に連れられ城へと赴く。
そこには、女帝とその家臣、そして呀慶と驍宗の姿。
「来んしたね。」
「アリシアの事は、残念でありんす。」
「意識が戻るまでは我が国で面倒見んしょう。」
彼女の表情は、優しさに満ちてる。
しかし、その言葉には、裏があることは確かだ。
とは言え、僕に選択肢はない。
僕は、女帝を見据え声を返す。
「玉藻様、ありがとうございます。」
「僕は、親父を止めたいです。」
「呼び出された話は、その事ですよね?」
「話が早うござりんすね。」
「では、本題に入りんしょうか・・・」
「呀慶、お願いしんす。」
女帝は、横で控える白狼に声を掛ける。
彼は、その言葉に軽く頭を下げ、話を始めた。
「ルシアよ、事は起こってしまった。」
「我々も、注意はしていたが、甘く見過ぎていた様だ・・・」
「それは、悔んでも悔やみきれんがもう遅い。」
「私と驍宗、藻の3名は、数名を連れ西に向かう。」
「そこで、お主にも同行を願いたい・・・やってくれるか?」
唇を噛み、俯きながら言葉を終える呀慶。
その横で控える鬼も同じ表情だ。
僕は、彼の言葉に頷く。
彼は、その姿に優しく言葉を返す。
「そうか、嬉しいよ。」
「そこでだが、西でも人員を集めたい。」
「西では、一度別れる事になるが、藻の式神で遠くにいても話ができる。」
「お主は、藻と共に人の街を回ってくれ。」
「呀慶達は、どうするんだい?」
僕は、腕を組み悩む呀慶に質問を返す。
それは、直ぐには返答はない。
少しの間の後、うなり声と共に答えは返って来た。
「・・・そうだな、私は師の弟弟子の元を訪ねようと考えている。」
「彼の組織なら人手も集まるだろう。」
「しかし、蓬莱国とはいえ報酬は大して出せんがな・・・」
その言葉は、奥に控える女帝に苦笑いを与える。
それは、現状でも慌しい城内に関係しているのだろう。
僕は、女帝の表情に口元をひきつらせた。
呀慶は、女帝の視線に罰の悪さを感じ話を進める。
「あの男の言うバベルとは、女神の信者が集まっていたとされる塔だと判った。」
「場所は、お主なら分かるな。」
「あの地には、古来より地下深くに神殿がある。」
「あの男は、そこに向かったに違いないだろう。」
「まぁ、女神の顕現迄には、最低でも1年程の準備が必要」
「間諜は既に出ている。」
「とはいえ、猶予がある訳ではない。」
「海はともかく、崑崙からは空を使う。」
「出発は明日だ、準備をしておいて欲しい。」
「ルシアよ、本当に済まぬ・・・」
僕は、城を後にアリシアの元へ帰る。
変る事の無い寝顔は、僕の心を蝕んだ。
それに気が付くラスティは、優しく僕に言葉を送る。
「おかえり、ルシア。」
「お金ちゃんと芭紫さんが来たよ。」
「少し会えなくなるからって。」
そこに、もう一つ声が割り込む。
それは、少し暗いが優しく通る声だ。
「ルシア、聞いたよ・・・アリシアの事。」
「絶対、元気になるよ・・・」
「これ見舞いね・・」
「あと私は、兄貴たちについてけないんだ・・・」
「こんな時なのに力になれなくてごめん・・・」
「月山も跡取り二人は、出せないって・・・」
「だから、これ、オヤジに頼んで作って貰ったんだ。」
「西の友人の為にって・・・頑張れよルシア。」
「アリシアの帰る場所、守ってやってね。」
瀬織は、俯きながらも笑顔を返す。
そして、差し出される大きな包み。
僕は、それを解く。
現れたのは、鎧一式だ。
それは、蓬莱風な意匠だが、兵士のそれとは違う。
動きやすさはあるが、守る所はきっちり守っている。
この国の間諜職でも採用できそうな程だ。
素材は、ヴィーヴィだというが、今のモノより桁違いに良い。
僕は、瀬織に笑顔を返す。
「ありがとう、瀬織。」
「お願いがあるんだ。」
付け足された僕の言葉に、彼女は笑顔を返す。
それは、僕に少しの力を与えた。
「あぁ、アリシアとラスティの事だろ。」
「任せておきなよ。」
「とはいえ、元気になったらきっと追うよね。」
「その時は、何とかするよ。」
「ルシア、君は安心して親父を止めなよ。」
「ありがとう、瀬織。」
僕は、彼女に頭を下げる。
それを見守るラスティは、何か言いたげだ。
「ラスティ、君もアリシアをお願いね。」
「アリシアは、一人だと連れてかれちゃうからさ・・・」
「・・・ウチ。」
「うん、ウチもアリシアの事、看てるよ。」
「ルシア、また三人でご飯食べれるよね・・」
僕は、瀬織の視線を気にすることなく彼女を抱きしめた。
そして、頭を撫で優しく笑顔を向ける。
「あぁ、大丈夫だよ。」
「3人でご飯食べよ。」
「また、湖の見えるあの懐かしい家で。」
僕は、二人を残し蓬莱を発つ。
海は荒れることなく、戦士たちを大陸へと送り届けた。
そして僕達は、用意された飛竜に乗り西の国を目指す。
沈んだ月に変わり、遠くに見える地平線の彼方を太陽の光が漏れる。
しかし、港での噂は、僕の心を曇らせる物となった。
西の国は、ラトゥール新王派閥と王女派閥で戦争が始まていたのだ。
空を翔る風は、薄れゆく闇を見つめる僕達の背を押す様に強く吹く。




