20(235).愛穢土流
梅の花が香る昼下がりの風は、優しく頬をくすぐる。
井戸端では、弟子たちが汗を流し終わり、その師が布で肌を拭く。
僕は視線を外し、背を向け空の風を感じていた。
冬の風鈴の様な声は、何処か優しさを孕んでいる。
「貴方は、変った娘ですわね。」
僕は、さりげなさすぎるアリシア達に眉を顰め目を細めた。
そして、芭柴へと声を掛ける。
「あの、勘違いの訂正が遅れてすいません。」
「僕は、男です。」
「そうですか、その成りで男ですのね・・・それは失礼致しました。」
「とはいえ、私がお誘いしたことに違いは御座いません。」
「それでは、道場へ行きましょうか。」
「はい、有難う御座います。」
「僕は、ルシアといいます。」
そこは、阿傍の屋敷の様に板張りの広いく天井の高い部屋。
奥には、神棚と呼ばれる神をまつ小さい社が飾られていた。
彼女は、その下に姿勢よく座る。
僕達もそれに倣い、彼女の正面に腰を落とした。
「それでは、見てみましょうか。」
「見物の御三方は、ご安全の為、端へ移って頂いても?」
アリシアたちは、頷き彼女の言葉に従う。
広い部屋の真ん中には、僕と道場主の二人。
彼女は、無駄のない流れる動作で立ち上がる。
「では、ルシアさん。」
「木刀をお使いください・・・それと、この盾を。」
手渡された2つの武具は、意外にも手になじんだ。
それは、何百何千と使われたであろう程に持ち手がすり減っている為だろう。
僕は、正面の彼女に頭を下げる。
それは、相手への礼儀だと瀬織に教わった。
少しぎこちないお辞儀に、彼女の笑みがこぼれる。
「フフッ、心得は大切ですわね。」
「初々しい姿は、いつ見ても微笑ましく思いますわよ。」
言葉とは裏腹に、吹雪の如く刺す空気。
それは、驍宗や、アイン、そしてトゥーンの時と変わらない空気だ。
僕は生唾を飲み込み、半歩後ずさりつつも円を描く。
彼女は目を瞑り、ゆっくりと息を吐く。
そして、正眼に刀を構える。
彼女は両手で刀を構えるが、見た目には小さな盾を持つ様にも映る。
それを可能にしているのが、小手と一体の盾であろう。
それは、防ぐための装備ではない。
彼女は、ジワジワとすり足で距離を詰め、自身の間合いで止まる。
それは、僕の間合いでもあった。
彼女を軸に描かれる円は、彼女に誘われたかの様に感じる程だ。
「宇受愛の足取りに似ておりますわね・・・」
「ただ、未完成では動きは読まれます!」
芭柴は目を見開き、一瞬剣先を上げる。
次の瞬間、眼前に振り下ろされる刃に、今までの体験が反応させた。
しかし僕の体は、反応するも体勢は沈まず、腕だけで無理にソレをいなす。
その結果、力の流れは乱れ、上手くいなすことは出来ない。
次ぎの瞬間、下段から上昇する彼女の刃。
僕は、割り込ませる様に盾をねじ込む。
「剣に比べ雑ですわね・・・」
「流れは、全て1つに集約されますわ。」
振り上げられた剣閃を、追う様に止まらぬ小手は僕の盾を弾く。
そして、彼女の背が見えた瞬間、横薙ぎが迫る。
それは、僕の首筋で止まり、衝撃だけが駆け抜けていった。
「いなそうとする姿勢は、感じますわよ。」
「だた、お基本が出来ておりませんわね。」
「私の元で修行なさってみますか?」
それは、当然と言える結果だった。
そこに在ったのは、日々の努力などと思える程の力量の差。
僕は、唇を噛み俯くも、頭に過るのは董巌との打ち合い。
あの時も本気の殺気など無かったであろう。
僕は、小さく首を左右に振り、彼女に視線を向ける。
「芭柴さん、お願いします。」
「僕に、貴方の武術を教えてください。」
それから僕は、彼女の屋敷で手伝いをしながら彼女に師事を仰いだ。
朝は早く、掃除から始まり、朝の鍛錬へと続く。
繰り返される基本の型は、記憶力に近いのか、意外にも周りとは差がつかない。
終わる頃には、朝餉となる。
そして午前中は、彼女を含めた師範代達は出稽古へ。
残る門下生は、薪割りや掃き掃除。
久しぶりの家事は、気分転換に丁度よかった。
そして、昼餉が始まり、終わると稽古となる。
ソレが終わると、出入りの門下生は帰宅。
残る住込みの生徒は、夕餉の準備へ。
そこに在るものは、剣術を極める為に過ごす日々。
何処か温度感を感じつつも、僕は状況に合わせた。
10日も過ぎると、今までの蓄積が花開く。
それは、才能ではない。
繰り返してきた鍛錬が、真の技術へと繋がっただけの事。
生徒の中には僕より強い者も、もちろん存在する。
ただ違う事は、命がけかどうかだ。
道場に来て60日余りが過ぎた頃。
梅の花が満開になり、街の賑わいに彩りを添えた。
午後の稽古が終わり、門下生が払われた道場。
「ルシア、貴方の鍛錬を見せてくれますか?」
「はい、芭柴先生。」
僕は、再び彼女に相対した。
変わらない張り詰めた冷たい空気。
しかし、僕の動きは水を得た。
一定の間合いに作り上げる円は、無数の樋化学模様を描く。
それは、彼女から笑みを奪う。
「フフッ、嫌味な弟子ですわね。」
「宇受愛が重なって見えますわ・・・」
僕は、その言葉に現れた隙をつく。
流れる様に沈みこむ体勢は、ミーシャの様に瞬発力を生む。
地面から突き上がる刃は、彼女の構えを防御へと押しやる。
僕は、伸ばした腕を回しがら軽く引き、払いへと繋げる。
それは、彼女の小手が拾う。
僕は、脇構えに変化した彼女の持つ刀の柄に盾をねじ込む。
それは、彼女の見せた1つの流れ。
払いから止まらない盾のねじ込みは、彼女の体勢を崩す。
しかし相手は家元、そこからの手段などない訳がない。
視線の切れない体の回転は、気持ち悪さしかない程に美しい。
「上手くなりましたわね、ルシアさん。」
僕は、嫌味なほど重い斬撃を、いつものいなしで待ち受ける。
その瞬間、木刀からは煙が上がり赤く燃え上がった。
そして、僕の盾は彼女の小手にぶつかるも地面へと落ちる。
残ったのはのは、僕の手が彼女の脇に当たっている事のみ。
「あの人の様ね・・・お懐かしいわ龍陰様。」
「・・・ルシア、貴方も何でも致しますのね。」
「もちろんです・・・僕には守りたい人がいます。」
そこには、瀬織の話す彼女の姿は一切ない。
何処までも一途で気高い女性の姿がある。
外は梅の香りに交じり、桜の優しい香りを風が運ぶ季節に変っていた。
その間アリシアたちは、月山へと戻り、兎月の修行に付き合っていたという。




