32(208).造花
青く染まった薔薇が美しく咲き誇る庭園
そこには、好々爺の姿はない。
再び店が開かれた花仙郷は、妓楼の格を落とした。
今までの様に女性の笑みは無い。
それでも、男達の下世話な笑い声だけが場を包む。
「ハハハッ、お姉ちゃん、乗り悪いよ。」
「・・ソ・そうですね・・」
「・・・」
「ほら、可愛いんだからもっと笑いなよ。」
「ね、是も食べてさぁ。」
「・・ア・あリガとうございます。」
「君は初めてなのかな?」
「そうい初々しいのも好きだよ僕。」
「・・・今夜どう?」
「・・・ソ、ソウですね・・」
「マジかぁ~。じゃあもっと飲んじゃおうね!」
あれから、男性客に対する老人の対応は緩くなった。
客からすれば、嬉しい誤算だ。
しかし、以前の常連からしたら彼の姿が守銭奴に映る。
「秋泉さんよぉ、いいのかい?」
「・・・構わんよ。本人の意志じゃ。」
そこには、何処か違和感のある好々爺の表情。
今までも能面の様に違和感があったが今は違う。
明らかに、狂気じみた笑顔に変わっているのだ。
「そ・・そうかい。」
「俺は帰るわ、勘定ね。」
「鈴々ちゃん、楽しかったよ。」
「ア・ありがトうございマす。」
そして客が引き、夜明けと共に部屋へと女性が戻った後。
老人は、笑顔で彼女達に化粧を施す。
その姿は職人であり、子供の様だ。
その部屋はバラの香りに包まれ死臭など一切しない。
心の壊れた老人は、遠い日の想い出に浸り、筆を動かし、綿を叩く。
そこに礼や笑顔を返す女性の姿はない。
だた黙々と笑顔の男が作業に耽る。
そして、疲れから彼は眠りに落ちた。
それは彼の見る夢の中。
懐かしい声に彼は、目を開ける。
「秋泉、ちょっと服のほつれを直しておくれよ。」
彼の目の前には、遠い日の懐かしい女性達。
忘れた事の無い彼女達の名前を呟く。
「李央さん、ちょっと待ってください・・・」
「フフッ、秋泉はモテモテね。」
男の目に映る指先は、枝には決して見えない。
急かされるままに、破れた服の裾を手直しする。
そして、遊女を送り出す。
「できましたよ。」
「ありがとね、秋泉。」
「終わったら、料理の余り持ってきてあげるよ。」
秋泉は、汗を拭い、もう一人の遊女の元へ。
そして、化粧を始める。
「小蘭さん、昨日遅くまで起きてましたね。」
「いいじゃない、本読んでたのよ。」
「いいですけど・・隈まであるじゃないですか・・・」
「・・・隠せるわよね?」
「化粧は、あまり体には良くないんですよ。」
「だって、貴方が貸してくれた本じゃない・・・」
「責任取りなさいよ~。」
秋泉は、いつぶりだろう。
子供じみた笑顔を目の当たりにし、心を掴まれた。
「・・どうにかしますよ。」
「仕事ですから・・・」
「・・ごめんなさい、秋泉。」
彼は真剣に彼女の肌を整え、化粧を施す。
最後に唇に紅を指す。
そして、彼の口から小さく息がこぼれる。
「小蘭、どうにか消しましたよ隈。」
鏡を見ることなく彼女は彼の手を取る。
そして、喜びと共に彼への感謝を伝えた。
「秋泉、ありがとー。」
「フフッ、アタシ秋泉の真剣な顔好きだよ。」
そして彼女は、客間へと出ていった。
それを見つめる店のオーナー。
「秋泉、いい仕事だ。」
「・・・ですが、女性を心に泊めなさんな。」
「辛くなるのはお前さんだよ。」
「はい、店長。」
「彼女達は、店の看板です。」
「ここを出る時は、上客に買われる時でしょうね・・」
その言葉を聞くと店長は、彼の肩を叩き部屋を出る。
そして、言葉を残す。
「お前さんは、笑顔でいなさい。」
「腕のいいお前なら、この先も安泰だ。」
その言葉と共に彼は目を覚ます。
そこには、現実味の無い現実が広がる。
生気を失くし、目的すら分からない女性達が佇む部屋。
男は、今は亡き小蘭の言葉を胸に彼女達を化粧した。
その日々が繰り返され、老人は疲労し、また夢を見る。
「秋泉、私、国仕えの文官にもらわれる事になったんだよ・・」
「身請けは、7日後かな・・」
「・・・そ、そうなんだ、小蘭よかったじゃないか。」
「・・・ありがと、秋泉。」
「じゃ、化粧するよ。」
秋泉は、真剣に筆を走らせる。
しかし、白粉は容易く崩れ出す。
「小蘭、大丈夫?」
「体調悪いなら、店長呼んでくるよ?」
「・・・秋泉のバカ!」
彼女は、化粧室を駆けだし、自分の部屋へと引きこもる。
その姿に秋泉は唇を噛み、瞼を瞑った。
そして、目を開けると、目の前には聞かざる小蘭の姿。
その光景は、明らかに時が進んでいる。
しかし、その事は彼が誰よりも理解していた。
なぜなら、それは記憶であり夢なのだから。
目の前の小蘭は、悲しい笑みを向ける。
「秋泉、最後の化粧だね・・・」
「ありがと・・・これ私だと思って大切にしてね。」
彼の手には、白いバラと小さな人形。
それは、彼女の大切な物だった。
秋泉は彼女へ声を掛ける。
「小蘭、僕は君だけを愛し続ける。」
「だけど、君は幸せになってくれよ。」
彼に背を向ける女性は徐々に小さくなり、馬車へと消えた。
そして、世界は涙で歪む。
現実に引き戻された老人は、その人形の様に女性を愛した。
目の前に映る彼女たちは、美しく煌びやかな衣装に身を包む。
それは、小蘭の人形の様に美しく。