30(206).秋泉と蚩尤
時は、数百年遡る。
崑崙で起きた内戦が終わり50年ほど経過した寒い日の出来事。
秋泉は、いつもの様に女性達の化粧品を求め商店街を散策する。
その光景は珍しいものではない。
「よお、秋泉。 今日は何が欲しいんだ?」
「新しい生地が入ったんだがどうだい?」
「今日はね、紅を探してんだ。」
「また今度寄らせてもらうよ。」
男は、店先の店主に手を振り、目的の店を目指す。
その道中の路地には、飢えた子供の姿があった。
彼は、そこに手を差し伸べる。
「ほら、饅頭だ。」
「住む家が無いなら、俺の店で働かないか?」
「食うには困らんぞ。」
男は、子供たちの手を引き、紅や白粉を買う。
店主は、驚きもせず彼を笑う。
「秋泉は、儲かってんだな。」
「まぁ、うちもアンタに儲けさせてもらってんだがな。」
彼は、化粧品の並ぶ店を後に自分の店へと戻っていく。
そんな日々の中、成功を羨む者など腐るほどいた。
「俺たちも、あんたにあやかりたいもんだなッ!」
ガラの悪いオークの男達は、彼の店を荒らす。
そして、店の店主に言葉を投げる。
「このご時世じゃあ、店を荒らすもんなんか腐るほどいるぜ?」
「どうだ、俺達がここら一帯を仕切ってやるよ・・・この意味わかんだろ?」
秋泉は、男を睨み、店員の女性に避難を促す。
そこで、いつか拾った少年が彼らの前に立つ。
「なんだ、小僧。」
「俺は、コイツらと仕事の話をしてんだよ。」
「小僧は、ママの乳でも啜ってろや。」
男は、無情にもミノスの少年に蹴りを見舞う。
その姿に店内の隅からは女性の悲鳴。
しかし、彼はひるまない。
「秋泉の店は僕が守る。」
「はぁ? 夢は寝て言えや!」
男は更に蹴りを見舞うも、それはあっさりと止められた。
がっちりと掴まれた脚は、徐々に制御を失う。
ミノス少年は、男の脚を持ち振り回す。
男は、顔を何度も机や壁にぶつけ、赤黒く線を引く。
止めに入る男の仲間は、武器にされた男を助ける事など出来ない。
ミノスの握る男の脚は、そのほとんどが失われ、質量など半分以下だ。
見かねた秋泉は彼を止める。
「もういいよ。蚩尤。」
「これ以上は、やめなさい。」
「彼女達も怯えているよ・・・」
「・・・」
「ありがとう、蚩尤。」
「君は優しい子だ。」
それは、悠安の花街で起こるサクセスストーリの始まりだ。
時は経ち、女性達も入れ替わる。
それは、幸せを掴み離れていく者や、望みを捨て帰郷する者と様々。
それでも変わらない者はある。
姿は変わり年老いた笑顔の秋泉。
そして、それを護衛する花街の猛者蚩尤。
幾度となく訪れる暴漢や、所場代を請求する輩は蚩尤の武勇を高める。
アノ時から秋泉の目じりには皺が増え、深くなるばかりだ。
しかし、荒らされた園で絶望は彼の皺に涙を流す。
その姿に、屈強な花街の守護神も肩を落とす。
その背中には、明けたばかりの太陽も姿を隠し雨粒を呼ぶ。
赤く染まった薔薇も徐々にその色を薄くした。
泣き崩れる老人を、蚩尤は優しく抱きかかえ彼の庵へ連れていく。
しかし、老人は庵から店に戻り、散らされた花たちを集る。
その姿は、余りにも哀れに見えた。
見かねた蚩尤は、老人の腕を掴む。
「おやめください、秋泉様。」
「彼女達は、もう元には戻りません・・・」
「彼女達はもう・・・」
「蚩尤、分っていますよ・・・」
「せめて、元の美しい姿にしてあげたいのです。」
蚩尤は、老人のか細い腕を離し、そっと見守る。
老人は涙を流し、彼女達の頬を濡らす。
「辛かったろうに・・・痛かったろうに・・・」
「苦しかったろうに・・・」
呟くような声は、蚩尤の心を握りつぶす。
老人は、その器用さで、形を失った彼女達の形を取り戻させる。
そして、老人は、彼女達をやさしく横たわらせた。
アレだけ華やかだった花仙郷は静かにその栄華を閉じる。
庭園の花々は、雨に打たれ首を垂れる。
それは、老人を天が憐れむかの様にも思える程に雨は強く降った。
枯れ枝の様な老人を蚩尤は支え介護する。
そこには、あの華やかな世界で生きた影は何処にもない。
しかし、その仇を討つ事が叶わないと彼は知っていた。
それは、情報など権力者のいいように改竄される。
さらに相手は、ただの高官ではない。
功を上げ国に認められた相手。
それは国に守られている事を意味していた。
絶望と怒りに打ちひしがれる蚩尤に秋泉は告げる。
「蚩尤、お前はよく私に尽くしてくれた。」
「お前は、お前の時間を過ごせ・・・」
「こんな事は忘れて、幸せになるのだぞ。」
老人は、袋一杯の金貨を強引に握らせる。
そして、彼の背中を押す。
「さぁ、いきなさい蚩尤。」
「私なら大丈夫ですよ・・・」
「私には、彼女達がいますからね。」
「さぁ、お行きなさい・・・」
静かに閉まる花仙郷の扉。
蚩尤は、涙に汚れた顔を拭い、街へと消えた。
あれほど降っていた雨は既に止み、何処か不穏な空気が流れていた。