第108話
3匹のフォレスト・ウルフは、魔術師を囲む様に守る兵士達を睨みながら、ゆっくりと周りを回って隙を伺う
一瞬の隙も逃さないと言わんばかりに、低く唸りながら睨んでいる
その身体は普通の狼よりも大きく、噛み付かれたら一溜りもないだろう
猪の様な大きな身体をゆっくりと動かし、今にも飛び掛かって来そうだった
魔術師達が狙われているのに、ギルバート達は手が出せなかった
何故なら、彼等の前にも魔物が立ちはだかっていたからだ
大きな熊の魔物、ワイルド・ベアだ
熊のうち1匹は将軍と向かい合い、その剣戟を何とか身を捩って躱す
右腕の二の腕から胸までは、マジックアローの傷が付いていた
しかし厚い毛皮が邪魔をしたのか、傷は浅くて出血も少ない
多少の痛みがあるのか、右腕の動きはぎこちなかったが、それでも時折、唸りを上げた剛腕が繰り出されてくる。
「くそっ
厄介な」
グガアアア
今のところ、互いに牽制をし合って、有効打は与えていない。
それでも油断すれば、強烈な一撃が入るだろう。
そうすれば形勢は決して、一気にどちらかが倒れる事となる。
しかし、将軍は倒れるわけにはいかない。
チラリと正面の魔物を気にしながら、横目でもう一方の魔物を見る。
そこにはもう1匹のワイルド・ベアが立ちはだかり、ギルバートと兵士が身構えている。
魔物が迫った時、将軍とギルバートの側にも兵士は居た。
彼等は魔術師達の元へは向かわず、ギルバートを守ろうとしたのだ。
しかし警戒した魔物に威圧されて、身構えたまま動けなくなってしまった。
こいつは先日のワイルド・ベアに比べても、よく育った大きな個体だったのだ。
将軍が向き合う個体も2m70㎝ぐらいの大きな物だったが、向こうは3m近くあり、ギルバートの倍の大きさだった。
だからか、ギルバートは迂闊に踏み込めず、正面から睨み合っていた。
極度の緊張からか、ギルバートも兵士も、さっきから一言も発していない。
無理もない。
兵士は共にワイルド・ベアと戦ったベテランたちだったが、この魔物の迫力は桁違いだ。
先に感じた強い殺気は、恐らくこの2匹の魔物が発した物だろう。
そしてギルバートは、初めて大きな殺気を感じた影響か、顔を険しく顰めて魔物を睨んでいる。
考えてみれば、彼はまだ大人になっていない少年だ。
普通なら、オークぐらいでも怖がって、逃げ出してもおかしくないだろう。
それが、大人でも逃げ出す大きな熊を前に、必死に踏ん張っている。
何とかして、彼だけでも逃がしたい。
そう思いながらも、強烈な熊の爪を捌くのがやっとで、前へ踏み出す事も叶わない。
ガキーン!
「うぬぬぬ
こいつ…めえ」
ブン!
ザシュッ!
グガアア
必死に振るった剣先が、熊の頬を掠める。
それでも浅手で、大した傷にはなっていない。
熊の反撃の一撃が振るわれ、剣で受けても大きく後退してしまう。
ガキーン!
ズザーッ!
「っくう
何て重い一撃なんだ」
後方に飛ばされながらも体制を立て直して、将軍は再び魔物と睨み合う。
先程から何度、このやり取りを繰り返しただろう。
そろそろどうにかしなければ、魔術師達も限界だろう。
どうにか出来ないものか?
その思考を油断と捉えたか、焦った熊が大きく踏み出す。
ゴガアアア
巨体が一気に詰め寄り、両の爪が高々と振り上げられる。
青い空に白い雲
それを背景に、両腕を振り上げた熊
まるで一枚の絵画の様だな
こんな美しい光景を最期に見れて…
一瞬、将軍はその光景に見とれた。
しかし逆に、将軍が動かなかった事が熊に警戒を抱かせた。
熊は大きく振り上げた両腕を、振り下ろす事を躊躇った。
…って、こんなところで死んでたまるか!
まだ子供の顔も見てないんだぞ!
頑張れオレ!!
「…っふううん、ぬううう」
ブウオオオン!
ズドン!
ゴアアアア
一瞬遅れた両腕の振り下ろしに、下から将軍の剣が振り上げられる。
膂力によって無理矢理振り上げた剣は、力任せに熊の両腕を叩き切った。
ワイルド・ベアは両腕を、肘から先で斜めに切り飛ばされて、自分が大きなミスを犯したと察した。
それは将軍がカウンターを狙っていたのでは無かったが、結果としてそうなったからだ。
思わぬ反撃に、両腕を失ってしまったのだ。
狼狽えた熊は、そこがどこかを忘れてしまっていた。
踵を返して逃げようとするも、前足である腕は無くなっている。
バランスを崩しながら倒れると、そこにはもう1匹の熊が居た。
助けを求めて見上げるも、仲間も敵と対峙していてそれどころではない。
「喰らええええ!
うおおおお!」
跳躍した将軍が、渾身の一撃を熊の背目掛けて落とした。
グガアア…ア…
熊の断末魔が、一瞬だがもう1匹の熊の意識を奪った。
視線が一瞬だが、後方の仲間の方へ向く。
しかしその瞬間を、ギルバートは見逃せなかった。
「うおおおおお!」
渾身の気合を込めて、全身に魔力を送り込む。
先年の黒い骸骨武者と対峙した時以来の、全力を込めた力だ。
魔力の奔流が全身を駆け回り、ギルバートの身体に不思議な模様が浮かび上がる。
それは文字を絡めて描かれた、不可思議な模様だった。
ギルバートは素早く踏み込んで、跳躍しながら剣を振り抜く。
熊の魔物が最期に見たのは、飛び掛かって来る少年が振るう剣と、視界が回って地面が見えた事だった。
大きな熊の魔物の首が飛んで、ゆっくりと宙を舞った。
そのまま首のあった辺りから大量の血を吹き出しながら、その身体は地面に崩れ落ちた。
その光景は、狼達も怯ませていた。
予想外の味方の死に、狼は意識を完全に奪われていた。
熊の断末魔に振り向き、そのまま見入っていたのだ。
それを魔術師達は見逃さなかった。
さっきまでは恐怖に震えていたが、狼が後ろを振り返ったままだ。
これは絶好の機会と魔法を解き放つ。
「マジックアロー」
「マジックアロー」
「マジックアロー」
次々と魔法の矢が飛んで行き、狼の灰色の毛皮に深々と突き刺さる。
ギャワン
キャイン
「お…終わった?」
「たす…かった?」
魔術師達だけでなく、兵士達までもがその場にへたり込んだ。
極度の緊張から解放されたので、腰が抜けてしまっていた。
向こうの方でも将軍が、熊の背中から転げ落ちる。
「う…ああ」
「しょ、将軍」
「大丈夫ですか」
慌てて動ける兵士が駆け寄る。
その近くでは、ギルバートも力を使い果たして蹲っていた。
「な、なんとか…
勝てた…」
「もう駄目だ…」
ギルバートの傍らに居た兵士しか、満足に動ける者は残って居なかった。
ここでオーガ以上の魔物が現れたら、彼等は全滅していただろう。
しかし女神の采配か?
魔物はそれ以上は現れなかった。
「おーい
大丈夫か?」
先に荷車でオークの死体を運んで行った兵士が、大きな物音を聞いて引き返した来た。
オークの死体をそのまま残すのは心配だったが、あまりに大きな音と声が聞こえたので、心配になって引き返したのだ。
「こ、これは…」
「狼?」
「しかし、それにしては大きい」
「はい
フォレスト・ウルフです」
狼の死体を前にして、兵士達は驚く。
フォレスト・ウルフ初めて見たのだ、驚かない方がおかしい。
「フォレスト・ウルフ?」
「はい
森に潜む、狼の魔物です」
「そんな奴も居るのか」
魔術師を代表して、ミスティが魔物の説明をする。
そのミスティも、戦闘の恐怖で腰が抜けていて、顔を赤らめながら座っていた。
「将軍は?
殿下はご無事なのか?」
「ええ
殿下は力を使い果たしたのでしょう
魔力がほとんど抜けています」
「そうか
それならマジックポーションを…」
「それから将軍ですが
彼も戦闘に疲れた様子です
私達も…暫く立てません」
「そ、そうか」
「それならば、馬車か荷車が必要だな
すぐに手配する」
兵士は慌てて駆けて行き、その背中に向けて、ミスティはお願いした。
「頼んだわ…」
魔力に余力は残っていたが、腰に力が入らない。
恥ずかしいが、数人が失禁していて、微かな臭いがしていた。
彼女はそれで、自分も誤魔化せるのが救いだと思っていた。
普段なら情けないとか叱る場面だが、あれでは仕方が無かっただろう。
奮起してマジックアローを放った者は、寧ろ褒められるべきだ。
それで多くの仲間が助かったのだから。
「うう…
痛ててて…」
「さ、寒い…」
怪我して出血した者が、血を失って寒がっている。
早く街に戻って処置をしなければ、大事に至るだろう。
ミスティはポーションを飲ませながら、仲間の魔術師に身体を摩らせた。
「低体温になっているわ
身体を暖めてあげて」
「それではファ…」
「馬鹿!
燃やしてどうするの
本当に死ぬわよ」
気が動転しているにしても、温めるのに火を点けては駄目だ。
それこそ燃えて、灰になってしまう。
「こうして…擦ってあげて」
私がやったらセクハラになるからね」
「こうですか?」
「分かりました」
立ち上がれる様になった2人の魔術師が、怪我した人の背中や腕を摩ってやる。
それでも寒気がするのだろう。
譫言の様に寒い寒いと繰り返す。
「頑張って
応援の兵士が迎えに来るわ」
ミスティは手を握りながら励まし、仲間も懸命に声を掛けた。
冷静な判断が出来た者も居て、近くの木切れを引き摺って来る。
「さあ、これに火を点けよう」
「そうか」
「それなら暖まる」
すぐに火が起こされて、魔術師は側に寝かせられる。
季節は夏を過ぎたところで、まだまだ暑かった。
それでも失った血が多くて、身体の体温が下がっていたのだ。
だから他の魔術師達には、焚火の火は熱過ぎた。
「だ…だいじょう…ぶ?」
魔術師達が仲間を暖めている所へ、ギルバートがフラフラと歩いて来た。
彼らを心配して来たのだろう。
しかしギルバートも深刻な状態で、唇は紫になり、顔色も悪かった。
「で、殿下」
「殿下こそ大丈夫なんですか?」
「だ…じょぶ」
「大丈夫じゃないでしょう
顔も真っ青ですよ」
ギルバートも焚き火の側に座らされ、火で暖められる。
魔力を一気に使った事もあるだろうが、どうやら魔力枯渇では無い様だ。
初めて見る症例に、ミスティはどう対処すれば良いか悩む。
実は魔術師達の方では、フォレスト・ウルフに注目が集まっていて、ギルバートの変化には気付いていなかったのだ。
身体に浮き出た模様は光っていたが、そこまで目を引く様な光では無かった。
それに、目の前に迫る死の予感に、彼等の視界は狭まっていたのだ。
唯一、傍らに居た兵士達は見えていたが、その光が何か分かっていなかった。
寧ろ身体強化か何かの、魔法を使った為だと思っていた。
これがアーネストだったなら、何か勘付いたかも知れない。
しかしこの話は、アーネストの耳に届く事は無かった。
ギルバートが焚火に暖まっている間に、将軍は力を使い果たしてダウンしていた。
怪我ではないのでポーションも効果が薄くて、寝転がって休むしか無かった。
将軍は譫言の様に繰り返して呟いていたが、その言葉が兵士の笑いを押さえるのに必死にさせていた。
「うう…
オレはこのまま、死ぬのか?」
「将軍
何を弱気な」
「しっかりしてください」
「子供の顔も見れないで…」
「おい
本当に大丈夫なのか?」
「外傷は無い
なあに、疲れて動けないだけだろう」
将軍には目立った外傷は無く、熊の掠めた爪痕が幾つかあるだけだった。
「ああ…エレン
子供が出来なくてすまない」
「今夜も頑張るつもりだったが…
もう腰を動かす気力も出ない」
「ぷっ」
「くすくす…」
「おい!
くすくす」
「ダメだぞ、笑うな
く…ぷっ」
兵士が笑いに堪えられずに悶えている横で、尚も将軍は頑張れない自分を責めていた。
「オレがヘタレなばっかりに、寂しい思いをさせて…」
「将軍
それ以上はもう…くっ」
「ダメだ
堪えきれん」
それを眺めていた老練の兵士が、将軍を見下ろしながら呟く。
「将軍
それ、エレンさんに聞かれたら、殺されますよ」
「え?」
「女は抱かれる事に幸せを感じるんです
帰ったら先ず、する事より黙って抱き締めてあげなさい
子供はその先です」
「ぶはっ
もう駄目だ」
「限界だ!
ぶひゃひゃひゃ」
「おい!
お前ら!」
遂に笑い出した兵士を見て、将軍に生気が宿る。
顔を真っ赤にしながら、怒りの形相に変わった。
ここにきて、彼は自分が弱気になって、とんでもない事を呟いていた事に気が付いた。
「それだけ元気なら、くくっ」
「今夜もさぞかしお盛んに…ぶはっ」
笑いに身悶えする兵士を見ながら、将軍は拳を握って震えていた。
しかし身体に力は入らず、本当にこのまま立てなくなりそうだった。
「なあに
暫く休んでりゃ元気になりますぜ
それこそ家に帰る頃にゃあ下も元気になってますって
死にそうになれば、男は女を求めたくなりますからね」
ベテラン兵士は、夜もベテランだった。
応援の兵士が戻って来た頃には、兵士達は笑い転げていて、ギルバートの顔色も大分良くなっていた。
それでも大事を取って、負傷した兵士と魔術師、ギルバートと将軍も寝かせられて運ばれた。
「もう、大丈夫ですよ」
「いえ
先ほどは本当に死にそうな顔をしてましたよ
暫くは大人しくしていてください」
「はい…」
「将軍もですよ」
「え?」
「折角無事だったのに、兵士を笑い殺そうとしないでください」
「いや、オレはその
あいつ等が勝手に…」
「でも、将軍が原因ですよね
私も聞いていましたから」
「ぐ…くそっ」
将軍は何か言い返そうとして、悔しそうな顔をする。
「家に帰るまでは大人しくしてください
その後はいくらでも頑張って良いですから」
「お、おま!
くそう…」
嬉しそうにニヤけて、サムズアップする兵士を睨んで、将軍は不貞寝をした。
ギルバートは将軍が怒った意味が分からず、キョトンとしてそれを見ていた。
そのまま馬車で運ばれながら、彼等は街へと戻った。
他の者達もほとんどが、立てなくて馬車や荷車で運ばれて行った。
時刻はまだ2時を過ぎたところで、少々時間は早かったが、狩は終わりとなった。
また夜に、時間があれば上げます
魔物の侵攻は次章に分けるかも知れません




